私はこの世で努力というものが非常に重要であると考えている
だが、努力には質があるということを思っている
例えば、バッティンングの練習をするときにひたすら素振りをすることに意味があるだろうか
もちろん、素振りという練習方法自体は意味がある
ただ、ひたすらに素振りをしていくことに意味はないと思う
極端にいうと、素振りより、実際にボールを打ったほうが効果が高いだろう
どういったボールを打つかのイメージもないのに
ひたすらにバットを振っても効果はあまり現れないだろう
ただ、それを理解し上での素振りであれば
只バットを振るより効果があるだろう
というより、すべての練習自体がそういったものがあるのではないだろうか
バッティングの素振りであれば、球が当たるイメージをできなければ
いくらバットを振っても対した効果が出ないように
どんな練習でも、その練習からどのような結果が生まれるかを
イメージし続けなけなければ練習としてはいまいちなのではないだろうか
そもそも、そういったイメージを保てないと、
練習自体にモチベーションを保っていけないだろう
こういった練習に関してのイメージを言われなくても
できる頭の回転が早い人はきっと何をやってもうまくいくのだろう
ただ、いわれてもそれでもイメージできない鈍い人もいる
私は後者の人間だが、それでも、練習すれば多少成本効果はでる
練習できる時間は限られている
練習に燃やせる情熱も限りがある
効率的にできないことも多い
それでもやり続けなければ、置いてかえてしまう。
世の中は残酷だが、ちゃんとどこにでも道が用意されている
あきらめずにやるしかないね