2月7日はフナ、長野五輪、福井などの日です。
今回は福井に関する雑学を
福井市の市の木は人気投票をもとに決められたが
選ばれたのは人気投票2位の松
1979年に福井市の花と木を決める際にアンケートが行なわれ
花は人気投票1位のアジサイとなりましたが
木は1位の桜ではなく2位の松が選ばれました
選考委員会で悩んだ末の結論だったとのことですが
なら最初から人気投票やるなといってしまいたくなります。
現実世界では話せない心の叫び
2月7日はフナ、長野五輪、福井などの日です。
今回は福井に関する雑学を
1979年に福井市の花と木を決める際にアンケートが行なわれ
花は人気投票1位のアジサイとなりましたが
木は1位の桜ではなく2位の松が選ばれました
選考委員会で悩んだ末の結論だったとのことですが
なら最初から人気投票やるなといってしまいたくなります。
お前の知識など俺からみればまだまだだ
福井県
ふくいけん
福井県
Japan Tojinbo02n4592.jpg
東尋坊
福井県の旗 福井県章
福井県旗 福井県章
国 日本の旗 日本
地方 中部地方、北陸地方
団体コード 18000-9
ISO 3166-2:JP JP-18
面積 4,190.49km²
総人口 783,317人
(推計人口、2016年6月1日)
人口密度 187人/km²
隣接都道府県 石川県、岐阜県、滋賀県、京都府
県の木 松
県の花 水仙
県の鳥 つぐみ
他のシンボル 県の魚:越前蟹
県の歌:福井県民歌
ふるさとの日:2月7日
福井県庁
知事 西川一誠
所在地 〒910-8580
福井県福井市大手三丁目17番1号
北緯36度3分54.7秒東経136度13分18秒座標: 北緯36度3分54.7秒 東経136度13分18秒
福井県庁
外部リンク 福井県ホームページ
福井県の位置
福井県行政区画図
■ ― 市 / ■ ― 町
地理院地図 Googleマップ Bing GeoHack
MapFan Mapion Yahoo! NAVITIME ゼンリン
ウィキポータル 日本の都道府県/福井県
表示・ノート・編集・履歴 ウィキプロジェクト
福井県(ふくいけん)は、日本海や若狭湾に面する、日本の県の一つである。県庁所在地は福井市。
目次 [非表示]
1 概要
2 地理・地域
2.1 気候
2.2 地形
2.3 自然公園
2.4 隣接する府県
2.5 自治体
2.5.1 嶺北
2.5.2 嶺南
2.5.3 市町村合併による動向
2.6 平均寿命
3 歴史
3.1 先史時代
3.2 古代
3.3 中世
3.4 近世
3.5 近代
3.6 現代
4 人口
4.1 都市
5 政治・行政
5.1 国政
5.2 県政
5.3 財政
5.4 姉妹州省・提携州省
6 経済・産業・企業
6.1 主な産業
6.2 主な上場企業
7 生活・交通
7.1 警察
7.2 消防
7.3 ライフライン
7.4 交通
7.4.1 空港
7.4.2 鉄道
7.4.3 道路
7.4.4 港湾
7.5 医療・福祉
7.6 教育
7.7 マスメディア
7.7.1 新聞
7.7.2 テレビ局
7.7.3 ラジオ局
7.7.4 ケーブルテレビ
7.7.5 その他
8 文化・スポーツ
8.1 方言
8.2 食文化
8.3 伝統工芸
8.4 スポーツ
9 観光
9.1 有形文化財建造物
9.2 県立文化施設
9.3 主な観光地
10 福井県を舞台とした作品
10.1 映画
10.2 テレビドラマ
10.3 小説
10.4 アニメ
10.5 漫画
10.6 ゲーム
11 福井県出身の人物
11.1 縁のある歴史上の人物
12 脚注
13 関連項目
14 外部リンク
概要[編集]
山中峠・木ノ芽峠・栃ノ木峠を通る稜線を境にして、北側の嶺北(越前地方)と、南側の嶺南(若狭地方および敦賀市)より構成される。また日本海及び若狭湾の福井県海域には周囲0.1km以上の島が58あるが全て無人島で、常神半島沖の岩礁である千島で約3kmの距離しか離れていない。
越前の緑豊かな山々と、若狭の清らかな水の流れに代表されるように、自然が美しい場所であり、それを代表する語に越山若水(えつざんじゃくすい)がある。
地理上は北陸地方または中部地方と分類されるが、一部の行政管轄区分において近畿地方とされる場合もある。
地理・地域[編集]
気候[編集]
県内全域が日本海側気候で豪雪地帯(一部特別豪雪地帯)である。特別豪雪地帯の大野市・勝山市・池田町・南越前町の旧今庄町は全国屈指の積雪量であり、年間の降水量は多い時に3000mm以上に達する。ただし、近年は暖冬傾向で、降水量は昔に比べ減少しつつある。
一方で、日本海沿岸部では対馬暖流の影響により、冬でも比較的暖かく、雪よりも雨の日が多い。このために、「弁当忘れても傘忘れるな」という天気の格言が存在する。福井市などは内陸に位置するため、沿岸部に面する新潟市や金沢市などよりは豪雪となりやすい。過去には1963年1月31日に213cm、近年でも2011年1月31日に積雪119cmを記録しているなど、1m以上の積雪となることもある。
福井県内各地の平年値(統計期間:1971年 – 2000年、出典:気象庁・気象統計情報)
平年値
(月単位) 嶺北 嶺南
坂井市
三国 坂井市
春江 福井 福井市
越廼 勝山 大野 南越前町
今庄 敦賀 美浜 小浜
平均
気温
(°C) 最暖月 25.6
(8月) 26.8
(8月) 26.6
(8月) 26.0
(8月) 25.1
(8月) 27.1
(8月) 26.4
(8月) 26.5
(8月)
最寒月 3.1
(2月) 3.1
(1,2月) 4.9
(2月) 1.1
(2月) 1.5
(2月) 4.3
(2月) 4.1
(2月) 3.5
(2月)
降水量
(mm) 最多月 224.0
(12月) 279.8
(1月) 223.0
(9月) 278.7
(7月) 336.1
(1月) 282.3
(12月) 250.8
(1月) 221.1
(9月)
最少月 121.4
(4月) 137.4
(4月) 140.6
(4月) 140.4
(4月) 134.8
(4月) 133.1
(4月) 121.3
(4月) 110.0
(4月)
地形[編集]
西側に若狭湾、東側に越前海岸
福井県は地図で見ると、鍵のような形をしている。特に、嶺南に所属する若狭湾の海岸線はリアス式海岸として有名である。
湾
若狭湾 – 敦賀湾、世久見湾、矢代湾、小浜湾、内浦湾
平地
福井平野、鯖武(鯖江・武生)盆地、大野盆地、勝山盆地
半島
敦賀半島、常神半島、内外海半島、大島半島、大浦半島(東部のみ。西部は京都府)
海岸
越前海岸 – 越前岬、東尋坊
砂丘
三里浜
一級河川
九頭竜川水系 – 九頭竜川、日野川、足羽川、滝波川、真名川、竹田川
北川水系 – 北川、遠敷川
主な湖沼・ダム
三方五湖、北潟湖、九頭竜湖(九頭竜ダム)、麻耶姫湖(真名川ダム)、笹生川ダム湖(笹生川ダム)、浄土寺川ダム、大仏湖(永平寺ダム)、桝谷ダム、広野ダム、大津呂ダム
山岳・山地
両白山地 – 三ノ峰(白山連峰)、赤兎山、大長山、取立山、経ヶ岳、平家岳、荒島岳、部子山、能郷白山、冠山
丹生山地 – 国見岳
野坂山地 – 野坂岳、乗鞍岳
若丹山地(丹波高地の一部) – 百里ヶ岳、多田ヶ岳、頭巾山、三十三間山
青葉山
自然公園[編集]
国立公園
白山国立公園
国定公園
越前加賀海岸国定公園、若狭湾国定公園
県立自然公園
奥越高原県立自然公園
ジオパーク
恐竜渓谷ふくい勝山ジオパーク
隣接する府県[編集]
石川県 – 滋賀県 – 岐阜県 – 京都府
自治体[編集]
以下の9市7郡8町、計17市町がある。町は「まち」ではなくすべて「ちょう」と読む。
嶺北[編集]
福井地区
福井市(県本庁舎所在地)
吉田郡
永平寺町
坂井地区
あわら市
坂井市
奥越前(奥越)地区
大野市
勝山市
丹南(南越前または南越)地区
鯖江市
越前市
今立郡
池田町
南条郡
南越前町
丹生郡
越前町
嶺南[編集]
二州地区
敦賀市(福井県嶺南振興局)
三方郡
美浜町
三方上中郡
若狭町(旧三方町地域)
若狭地区
小浜市(福井県嶺南振興局)
大飯郡
高浜町 – おおい町
三方上中郡
若狭町(旧上中町地域)
市町村合併による動向[編集]
平成の大合併による2004年3月から2006年3月の合併状況
いわゆる平成の大合併が始まる前は7市11郡22町6村(計35市町村)であった。それ以前に消滅していたのは敦賀郡だけだったが、合併によって坂井・足羽・大野・遠敷の各郡が消滅し、大飯郡を除いて「一郡一町」となった。
2004年(平成16年)3月1日 坂井郡金津町、芦原町が新設合併し、あわら市が誕生する。
2005年(平成17年)1月1日 南条郡南条町、今庄町、河野村が新設合併し、南越前町が誕生する。
2005年(平成17年)2月1日 丹生郡朝日町、織田町、旧・越前町、宮崎村が新設合併し、新・越前町が誕生する。
2005年(平成17年)3月31日 三方郡三方町、遠敷郡上中町が新設合併し、三方上中郡若狭町が誕生する。
2005年(平成17年)10月1日 武生市、今立郡今立町が新設合併し、越前市が誕生する。
2005年(平成17年)11月7日 大野郡和泉村が大野市に編入される。
2006年(平成18年)2月1日 丹生郡清水町、越廼村、足羽郡美山町が福井市に編入される。
2006年(平成18年)2月13日 吉田郡松岡町、旧・永平寺町、上志比村が新設合併し、新・永平寺町が誕生する。
2006年(平成18年)3月3日 大飯郡大飯町と遠敷郡名田庄村が新設合併し、大飯郡おおい町が誕生。これにより福井県内から村がなくなる。
2006年(平成18年)3月20日 坂井郡三国町、坂井町、春江町、丸岡町が新設合併し、坂井市が誕生する。
勝山市と池田町が現段階での合併を見送る方針であるほか、福井市の合併協議会から離脱した鯖江市も態度を保留している。
平均寿命[編集]
平均寿命(2000年(平成12年)、実際は多少のずれがある)
男 – 78.55歳(全国2位)
女 – 85.39歳(全国2位)
男女平均 – 81.97歳
歴史[編集]
※令制国ごとの歴史は、越前国・若狭国も参照。
先史時代[編集]
旧石器時代
県内には遺跡が各地に点在しており、約1万5000年前から人が住んでいたことが窺える。三国町の西下向・雄島・馬コロバシ遺跡や永平寺町の木橋遺跡、南幅遺跡などからはナイフ型石器(三国型と命名)や掻器などの多数の石器が出土している。
縄文時代
鳥浜貝塚(若狭町)からは草創期の縄文式土器(隆起線文・斜格子文土器)をはじめ竪穴式住居跡や丸木舟、弓矢、土器に模様を付けるための縄などが出土している。その他、県内各地の遺跡からも多くの遺物が出土し、土器の形式から畿内や飛騨国などの地域との交流があったことが窺える。
弥生時代
前期頃には稲作が伝わったとみられ、それを窺わせる土器が出土している。
金属器、玉、布の生産も行われていたようである。嶺北は銅鐸が出土した日本海側の北限である。
中期頃には首長の墓が作られ始め、後期後半になると大型化してくる。
古墳時代
4世紀初め頃には嶺北で前方後円墳が造られ始め、4世紀中頃からは九頭竜川中流域で大規模な古墳が造られ始める。手繰ケ城山古墳(4世紀末)や六呂瀬山古墳群(4世紀後半~5世紀前半)などは北陸地方最大規模であり、この地域が強大な勢力を持っていたことが窺える。
5世紀になると嶺南でも主に若狭町付近で前方後円墳が造られ始める。
5世紀後半から6世紀にかけて若狭(わかさ)、高志(こし)、三国、角鹿(つぬが)の四国造が分立した。三国国造があった地域は、継体天皇がその即位まで過ごしたとされている。現在の嶺北出身である継体天皇がヤマトの大王として迎え入れられたことが契機となって、ヤマトの勢力と越国の勢力とが合一した。
570年~574年、高句麗使が越国近辺に来着する。
継体天皇以来、古墳に船と馬の埴輪が埋葬されるようになり、日本は後期古墳時代となる。
6世紀後半以降は前方後円墳に代わって小規模な円墳や群集墳が造られ始めるが、7世紀になると古墳自体造られなくなる。[1]
古代[編集]
飛鳥時代から奈良時代
7世紀後半頃には律令制の導入に伴い「若狭国」が成立したと見られ、7世紀末には「越前国」が成立したと考えられる。
若狭国は若狭湾で精製した塩を調(地方特産物を納税)として都に納めていた。現在も製塩遺跡が残る。
また調とは別に贄(にえ)と呼ばれる海産物を直接天皇家に貢いだことが平城京の木簡や延喜式から分かっている。これにより若狭国は万葉集に出てくる「御食国」の一つと推定されている。
749年、東大寺が越前国の豪族から土地の寄進を受け、また墾田を買収して、福井平野に多くの荘園を獲得する。この頃には条里制が布かれる。現在でも福井平野には条里遺構が存在する。
8世紀になると渤海との交流が盛んになり、若狭国や越前国は渤海使の来航や遣渤海使の派遣の拠点となる。8世紀後半には交易が中心になる。
764年、クーデターに失敗した恵美押勝(藤原仲麻呂)が越前国に逃れようとするも愛発関が閉じられたため失敗する(藤原仲麻呂の乱(恵美押勝の乱))。
平安時代
10世紀になると越前国の東大寺領荘園は荒廃し、代わって皇室領、摂関家が中心になる。
この頃は泰澄の開基とされる白山信仰が盛んになり、11世紀末にはその拠点である平泉寺(勝山市)が延暦寺の末寺になり興隆する。
10世紀末に宋人が来航し交易が行われるようになる。特に院政期以降は敦賀津などを中心に貿易が盛んに行われるようになる。[2]
11世紀末より主に院分国となり、保元・平治の乱以降は平氏の知行国となる。
治承・寿永の乱(源平合戦)において、越前国では斎藤氏など多くの武士が木曾義仲に味方する。しかし、その後の東国御家人中心の鎌倉幕府の下では、地頭に任命される越前、若狭の国御家人たちはいなかったようである。
中世[編集]
鎌倉時代
島津氏・後藤氏等が守護職に任ぜられる。
この頃になると廻船業が発達し、敦賀津や小浜津、三国湊などが整備され、海上交易が盛んになる。また、それらの港は年貢を京に輸送するための拠点ともなる。
1243年には、道元が越前国志比庄にある吉峰寺(永平寺町)に入り、翌年に大佛寺(後の永平寺)を創建する。
13世紀末以降には高田系浄土真宗が越前国北部を中心に広まる。
室町時代
1336年、足利尊氏の入京により恒良親王、尊良親王を奉じて北陸落ちした新田義貞が金ケ崎城(敦賀)に入るが、越前国守護斯波高経の軍勢により翌年落城する。義貞は脱出するも、1338年に越前国藤島燈明寺畷(福井市新田塚)にて戦死する。この後も越前国内は戦乱が続き1341年、北朝方が平定する。この後、主に斯波氏が越前国の守護となる。しかし、実質的に越前国を統治していたのは守護代甲斐氏であった。
若狭国では南北朝時代には守護の交代が頻繁に行われるが、1366年、一色氏が守護となり、国人一揆を抑えて若狭を支配する。しかし、1440年、一色氏の勢力拡大を恐れた将軍足利義教は武田氏を守護に任命する。武田氏は一色氏残党や一揆を抑えて若狭を支配する。
15世紀後半になると斯波氏と甲斐氏の対立が深まり、やがて越前国内で内乱が起きる。最終的には幕府の支援を受けた甲斐氏が勝利するものの、応仁の乱時、朝倉孝景が台頭、甲斐氏に代わって越前国を掌握する。後に朝倉氏は戦国大名として勃興する。
戦国時代
1471年、蓮如が越前国吉崎に入り吉崎御坊を建立、北陸地方における本願寺系浄土真宗の布教拠点となる。その後、一向一揆が相次ぐこととなる。
1506年、加賀国から本願寺門徒らが侵入する。しかし、朝倉教景(宗滴)指揮する朝倉方はこれを九頭竜川で迎え撃ち勝利する(九頭竜川の戦い)。
この後、朝倉氏は本願寺系浄土真宗を禁圧する。そのため、多くの本願寺門徒や僧は加賀国に逃れる。そして、たびたび越前国に侵入することになる。
16世紀以降、若狭国では内乱が相次ぎ武田氏は次第に弱体化する。また、朝倉氏が武田氏支援のため若狭国に軍事介入するようになる。
足利義秋(義昭)が上洛を果たすため、1566年に武田氏を頼って若狭国に、1567年には朝倉義景を頼って越前国に入る(この時、義昭に改名)。しかし、上洛を果たせず、1568年、織田信長を頼って美濃国に出国してしまう。
1568年、朝倉氏が若狭国に侵攻する。
1569年、将軍義昭が本願寺と朝倉氏を和睦させる、この時、本願寺系浄土真宗の禁圧も解かれる。また、本願寺と外交関係のあった甲斐武田氏ら遠方勢力らとも連携を取る。
1570年4月、信長が朝倉攻めを開始し、金ヶ崎城などを開城させる。しかし、浅井長政の離反により京に撤退する(金ヶ崎の退き口)。
1570年9月、信長が大坂、野田・福島で三好三人衆や本願寺と交戦している最中、義景が兵を率い、浅井・朝倉連合軍が3万の軍勢で京に攻め上り、京の口、比叡山に築城する。六角氏の挙兵などもあり、信長は孤立するが、将軍義昭の仲介で講和が成立する(志賀の陣)。
安土桃山時代
1573年8月、信長が刀禰坂の戦いを経て朝倉氏の本拠地である越前国一乗谷に侵攻、義景は大野に逃れるも家臣の裏切りにより自刃、朝倉氏は滅亡する。越前国は朝倉氏の旧臣に、若狭国は丹羽長秀に統治させる。
1574年、朝倉方から織田方に寝返った武将同士で抗争が発生、それに乗じて一向一揆が蜂起する。本願寺門徒は武将や国人、平泉寺などを襲撃し、越前国を本願寺領国化する。
1575年8月、信長が越前国に再侵攻し本願寺門徒や僧を弾圧、柴田勝家に越前北ノ庄をはじめ越前八郡を、金森長近らに越前大野郡を、不破光治、佐々成政、前田利家(府中三人衆)に越前府中二郡を与える。
1583年、清洲会議で羽柴秀吉と柴田勝家の対立が深まり、賤ヶ岳の戦いにおいて秀吉が勝利、勝家の居城である北ノ庄城を攻め落とす。その後、丹羽長秀が越前の大半を、蜂屋頼隆が敦賀郡を、金森長近が引き続き大野郡を統治する。その後も領主の交替が相次ぐ。
一方若狭では丹羽長秀が越前に移った後、木村隼人佐らが治めていたが、1585年には長秀の子丹羽長重の領地となり、1587年には浅野長吉(長政)が統治し、その後も領主の交替が相次いだ。[3]
近世[編集]
1586年に若狭で、1598年には越前で太閤検地が実施され、結果、若狭が8万5000石、越前が68万石となった。
江戸時代
越前国
1600年の関ヶ原の戦いの後、戦功第一の恩賞として結城秀康に越前一国および下野国結城郡75万石が与えられる(北ノ庄藩)。越前松平家は、将軍家徳川秀忠の兄の家ということから、制外の家(各種特権が許された家)または、御三家に次ぐ家という意味で四家などともよばれる。
1623年、秀康の長男松平忠直は狼藉を理由に豊後国荻原に配流された。かわりに秀康次男の越後高田藩主松平忠昌が幕命により相続し、忠直の長男松平光長には越後国高田(上越市)に新たに領地が与えられた。このとき北ノ庄藩は規模を縮小し、余地をもって越前勝山藩、大野藩、丸岡藩などの複数の小藩が成立。また、敦賀郡はいったん幕府領(天領)となった後、小浜藩領となり、後に小浜藩支藩の敦賀藩などが成立した。このように、越前は複数の藩に分割統治されることとなった。江戸幕府八代将軍徳川吉宗が若かりし頃、領地を持っていたこともあった。交代寄合旗本の陣屋としては白崎陣屋の金森氏がある。忠昌の越前入部の際、北ノ庄は福居(後に福井)に改称された。これが福井市および県名の由来とされている。
その後、鯖江藩などが成立する。その他越前には福井藩の支藩や幕府領、旗本領、国外の大名の領地もあり、多数の領主によって分割統治される状態が明治まで続いた。忠昌の子孫である越前松平家は紆余曲折を経ながらも福井藩主として幕末まで残った。出雲松江藩主家や播磨明石藩主家、上野前橋藩主家などの大藩の藩主家は忠昌の弟達から始まる越前松平家傍流にあたり、津山松平家は忠直の息子光長に関係する傍流である。
若狭国
1600年の関ヶ原の戦いの軍功により、京極高次に若狭一国が与えられる(小浜藩)。
1634年、小浜藩は京極忠高に代わって幕府老中の酒井忠勝が領主となり、その後、廃藩置県まで酒井氏が若狭を統治する。[4]
江戸時代前期は上方と北国を結ぶ年貢米などの中継地として、小浜や敦賀の湊が多用された。
江戸時代中頃以降は北前船が三国や敦賀に寄港し、蝦夷地や大坂を結んでいた。小浜の古河、越前河野浦の右近などの北前船主が活躍した。
1774年、小浜藩医である杉田玄白と中川淳庵が前野良沢らとともに「ターヘル・アナトミア」を翻訳し、「解体新書」を刊行する。
幕末期には福井藩主である松平春嶽や福井藩士橋本左内、元小浜藩士の梅田雲浜らが活躍する。また、丸岡藩や小浜藩などが台場を建設する。
近代[編集]
明治維新から昭和(第二次世界大戦の終戦)まで
廃藩置県に先立って1871年1月22日(旧暦明治3年12月26日)に本保県(越前市)が設置された。1871年8月29日(旧暦明治4年7月14日)の廃藩置県によって、丸岡藩・福井藩・勝山藩・大野藩・鯖江藩・小浜藩の各藩が廃止され、現在の福井県域に7つの県が設置された。
1871年12月31日(旧暦明治4年11月20日):福井県(第1次)と敦賀県の2県になった。
1872年1月29日(旧暦明治4年12月20日):福井県が足羽県に改称された。
1873年(明治6年)1月14日:足羽県が敦賀県に編入された(ほぼ現在の福井県の県域となる)。
1876年(明治9年)8月21日:木ノ芽峠を境に敦賀県が分割され、現在の南越前町以北が石川県に、現在の敦賀市以西が滋賀県に編入された。
1881年(明治14年)2月7日:太政官布告により、嶺北が石川県から分離され、嶺南が滋賀県から分離されて、双方が合併して、福井を県庁所在地として現在の福井県(第2次)が設置された。
明治期には羽二重製織が発達、大量に生産され欧米に輸出された。
1889年(明治22年)7月:東海道支線として米原~金ヶ崎(現敦賀港駅:つるがみなと)間が開通する。
1896年(明治29年):敦賀港が対外貿易港に指定される。
1896年(明治29年)7月15日 北陸線・敦賀駅~福井駅(当時、森田)間が開業する。
1897年(明治30年)9月20日 北陸線・福井駅~小松駅間が開業する。
1899年(明治32年)7月、敦賀港は外国貿易港に指定され、1902年(明治35年)には敦賀~ウラジオストク直通航路が開設。日露戦争後はシベリア鉄道と接続(連絡運輸)した。
第一次世界大戦以降は人絹(レーヨン)の生産が活発になり、主にアジアやオセアニア、アフリカなどに輸出された。
第二次世界大戦中は、アメリカ軍により、敦賀市と福井市が空襲を受け、敦賀市は約70%、福井市は約95%の市街が焼失した。
現代[編集]
昭和(第二次世界大戦後)
1948年(昭和23年)6月28日には福井地震が発生、福井平野の全壊率が60%超など甚大な被害をもたらす。
1956年(昭和31年)、新潟農事試験場で人工交配された系統を基に福井県農業試験場で品種固定された越南17号が、新潟県と千葉県で奨励品種となり、農林番号品種に水稲農林100号として登録されコシヒカリと名付けられる。
1958年(昭和33年)10月、大野郡石徹白村の大半の地区が岐阜県郡上郡白鳥町(現在の郡上市)に編入し、現在の県域となる(編入しなかった石徹白村の三面地区、小谷堂地区は和泉村(現在の大野市)に編入)。
1962年(昭和37年)6月、北陸トンネルが開通する。
1963年(昭和38年)、三八豪雪が県内襲う。奥越を中心に孤立集落続出、県内交通機関完全麻痺。
1960年代半ばからは人絹に代わって合成繊維の生産が活発になる。
1965年(昭和40年)9月、集中豪雨で西谷村に壊滅的被害(1970年(昭和45年)7月、ダム建設による集団離村が決まり、大野市へ編入)。
1970年(昭和45年)3月14日、日本原子力発電敦賀発電所1号機が営業運転を開始する。
1970年(昭和45年)11月28日、関西電力美浜発電所1号機が営業運転を開始。電力会社が運営する初めての原子力発電所が開設される。
1973年(昭和48年)10月17日、北陸自動車道小松IC – 丸岡IC間が開通する。
1975年(昭和50年)9月9日、北陸道・丸岡IC – 福井IC間が開通する。
1976年(昭和51年)11月2日、北陸道・福井IC – 武生IC間が開通する。
1977年(昭和52年)12月8日、北陸道・武生IC – 敦賀IC間が開通する。
1980年(昭和55年)4月7日、北陸道・敦賀IC – 米原JCT間が開通する。
1981年(昭和56年)、五六豪雪が県内襲う。
1981年(昭和56年)11月1日、現在の県庁舎竣工。置県百年記念式典。
1982年(昭和57年)4月2日、置県百年記念映画『風雪を越えて』完成。翌4月3日一般公開。
平成
1989年(平成元年)7月16日、越前海岸崩落事故。福井県丹生郡越前町玉川の国道305号線で岩盤が崩落する事故で15人死亡。
1997年(平成9年)1月、ナホトカ号重油流出事故。1月7日には三国町安島の海岸に船体の船首部分と重油が漂着。
1998年(平成10年)8月、嶺南に集中豪雨。若狭梅街道・JR小浜線などで大規模な土砂崩れ。美浜町では一時間の降水量が最高で93mmに。
2002年(平成14年)10月15日、北朝鮮による拉致被害者5人が帰国、うち2人(夫妻)が24年ぶりに小浜市に帰宅する
2003年(平成15年)3月9日、舞鶴若狭自動車道・舞鶴東IC – 小浜西IC間開通
2004年(平成16年)7月18日、嶺北に集中豪雨(平成16年7月福井豪雨)。福井市・鯖江市・今立町・池田町・美山町で堤防決壊などによる河川氾濫、土石流、土砂崩落、橋梁流出などの甚大な被害。死者3人。
2005年(平成17年)10月12日 – 11月3日、「第20回国民文化祭・ふくい2005」が開催される。
2005年(平成17年)12月 – 2006年(平成18年)2月、平成18年豪雪に見舞われる。
2006年(平成18年)10月21日、JR西日本北陸本線長浜 – 敦賀間・湖西線永原 – 近江塩津間の直流化により敦賀駅への新快速をはじめとする直流電車の乗り入れが始まる。
2008年(平成20年)2月、アメリカ大統領選挙の民主党候補指名争いで連日大きく報道されていたバラック・オバマに対し、小浜市観光協会員らが「オバマ氏を勝手に応援する会」(オバマを勝手に応援する会に改称)を発足させ、国内外で報道される。
2009年(平成21年)6月7日、第60回全国植樹祭が一乗谷朝倉氏遺跡で開催される。福井県での開催は第13回以来、47年ぶり。テーマは「未来へつなごう 元気な森 元気なふるさと」。
2011年(平成23年)7月16日、舞鶴若狭道・小浜西IC – 小浜IC間が開通する。
2014年(平成26年)7月20日、舞鶴若狭道・小浜IC – 敦賀JCT間が開通し同道が全線開通するとともに、北陸道と接続。これにより県内全域が福井県庁まで車で2時間圏内となる。
人口[編集]
福井県市町村人口増減率分布図(2005年度と2010年度国勢調査から算出)
増加
0.0 – 2.49 %
減少
0.0 – 2.5 %
2.5 – 5.0 %
5.0 – 7.5 %
7.5 – 10.0 %
10.0 % 以上
Demography18000.svg
福井県と全国の年齢別人口分布(2005年) 福井県の年齢・男女別人口分布(2005年)
■紫色 ― 福井県
■緑色 ― 日本全国
■青色 ― 男性
■赤色 ― 女性
福井県(に相当する地域)の人口の推移
1970年 744,230人
1975年 773,599人
1980年 794,354人
1985年 817,633人
1990年 823,585人
1995年 826,996人
2000年 828,944人
2005年 821,592人
2010年 806,470人
総務省統計局 国勢調査より
都市[編集]
福井県内市別人口ランキング(2016年(平成28年)現在)
福井市(27万人)
坂井市(9万人)
越前市(8万人)
鯖江市(7万人)
敦賀市(7万人)
福井市(県都・特例市)
坂井市
越前市
鯖江市
敦賀市
福井県内市別人口密度ランキング(2016年(平成28年)現在)
鯖江市(809人/km²)
福井市(495人/km²)
坂井市(429人/km²)
越前市(351人/km²)
敦賀市(262人/km²)
鯖江市
福井市(県都・特例市)
坂井市
越前市
敦賀市
政治・行政[編集]
国政[編集]
詳細は「衆議院小選挙区一覧#福井県」および「福井県選挙区」を参照
衆議院の小選挙区が2。参議院では、全県で1区を構成。
県政[編集]
福井城址にある福井県庁舎
詳細は「福井県知事一覧」、「福井県庁」、および「福井県議会」を参照
知事:西川一誠(にしかわ いっせい、3期目)
財政[編集]
2007年(平成19年)度
財政力指数 0.40
IIグループ(財政力指数0.4以上、0.5未満)11自治体中10位
2006年(平成18年)度
財政力指数 0.37
IIIグループ(財政力指数0.3以上、0.4未満)11自治体中4位
2005年(平成17年)度
財政力指数 0.34
IIIグループ(財政力指数0.3以上、0.4未満)14自治体中11位
2004年(平成16年)度
財政力指数 0.33
IIIグループ(財政力指数0.3以上、0.4未満)13自治体中9位
姉妹州省・提携州省[編集]
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国ニュージャージー州
1990年(平成2年)10月12日、姉妹関係樹立
中華人民共和国の旗 中国 浙江省
1993年(平成5年)10月6日、友好提携協定書締結
ドイツの旗 ドイツニーダーザクセン州ヴィンゼン市と同市が属するハールブルク郡
1999年(平成11年)10月29日、友好協定締結
ロシアの旗 ロシア沿海地方とも友好交流を構築している。
経済・産業・企業[編集]
工業地域としては北陸工業地域の南端を担っている。第二次産業と第三次産業を主としており、工業が大変盛んである。また、社長の数も数年連続で全国で1位となっている。
主な産業[編集]
繊維産業
羽二重、化学繊維など
楽器
ハープ(日本で唯一生産[5])
マリンバ
眼鏡産業
鯖江市を中心にメガネフレームなど、全国生産の90%以上を生産
漆器産業
越前漆器
業務用漆器(国内シェア約8割)
若狭塗り箸
刃物産業
越前打ち刃物
紙産業
鳥の子紙、越前和紙
原子力発電
県内に、原子炉は15基設置されている(敦賀市:4基(内1基廃止措置中)、美浜町:3基、おおい町:4基、高浜町:4基)。
主な上場企業[編集]
(五十音順、カッコがないものは東証1部上場)
エイチアンドエフ(東証JQ)
KYCOMホールディングス(東証JQ)
ゲンキー
サカイオーベックス
セーレン
熊谷組(登記上の本店)
田中化学研究所(東証JQ)
日華化学(東証2部、名証2部)
PLANT
前田工繊
三谷商事(東証2部)
三谷セキサン
福井銀行:福井県指定金融機関
福井コンピュータホールディングス
フクビ化学工業(大証2部、名証2部)
福井県を創業地とし、県外に本社を置いている企業として、アトム、飛島建設、前田建設工業、山善などがある。 また、村田製作所やアイシン精機、森永乳業といった大企業のグループ会社も多数位置している。
「実は福井」の技も参照。
生活・交通[編集]
警察[編集]
福井県警察
原子力関連施設が多いため、福井県警察には全国的に数少ない原子力関連施設警戒隊が設置されている。
消防[編集]
自治体が設置するもの
福井市消防局(福井市)
大野市消防本部(大野市)
勝山市消防本部(勝山市)
永平寺町消防本部(永平寺町)
一部事務組合が設置するもの
嶺北消防組合(坂井市、あわら市)
鯖江・丹生消防組合(鯖江市、越前町)
南越消防組合(越前市、南越前町、池田町)
敦賀美方消防組合(敦賀市・美浜町全域、若狭町の一部)
若狭消防組合(小浜市・高浜町・おおい町全域、若狭町の一部)
ライフライン[編集]
電力
北陸電力 (60Hz):嶺北と敦賀市
関西電力 (60Hz):嶺南(敦賀市を除く)
都市ガス
福井市企業局ガス部 (13A):福井市の一部
敦賀ガス (13A):敦賀市の一部
越前エネライン (13A):越前市の一部
交通[編集]
空港[編集]
福井空港(定期便無し)
鉄道[編集]
旅客線は越美北線を除いて、電化されている。
西日本旅客鉄道(JR西日本)
北陸本線
小浜線
越美北線(九頭竜線)
えちぜん鉄道
勝山永平寺線
三国芦原線
福井鉄道
福武線
日本貨物鉄道
北陸本線貨物支線 ・敦賀港線 – 敦賀駅と敦賀港駅を結ぶ貨物線だが、臨時に旅客輸送を行うことがあった。※詳しくは、北陸本線・敦賀港駅を参照。
整備新幹線
北陸新幹線
未成線
琵琶湖若狭湾快速鉄道 – 小浜線と湖西線を結ぶ短絡線の建設計画。
道路[編集]
高速自動車国道
北陸自動車道
舞鶴若狭自動車道(近畿自動車道敦賀線)
一般国道自動車専用道路
中部縦貫自動車道
永平寺大野道路
大野油坂道路
油坂峠道路
一般国道
国道8号
国道27号
国道157号
国道158号
国道161号
国道162号
国道303号
国道305号
国道364号
国道365号
国道367号
国道416号
国道417号
国道418号
国道476号
県道
福井県の県道一覧
一般有料道路
法恩寺山有料道路
三方五湖レインボーライン
港湾[編集]
敦賀港(敦賀市:重要港湾、特定港、国際港)
新日本海フェリー
福井港(坂井市・福井市:特定地域振興重要港湾、特定港、国際港)
内浦港(高浜町:地方港湾、国際港)
鷹巣港(福井市:地方港湾、避難港)
和田港(高浜町・おおい町:地方港湾)
医療・福祉[編集]
詳細は「Category:福井県の医療機関」を参照
災害拠点病院
福井県災害拠点病院
保育所
福井県保育所一覧
教育[編集]
国立大学
福井大学
公立大学
福井県立大学
敦賀市立看護大学
私立大学
福井工業大学
仁愛大学
私立短期大学
仁愛女子短期大学
福井医療短期大学
高等専門学校
福井工業高等専門学校
専修学校
福井県専修学校一覧
特別支援学校
福井県特別支援学校一覧
高等学校
福井県高等学校一覧
中学校
福井県中学校一覧
小学校
福井県小学校一覧
幼稚園
福井県幼稚園一覧
マスメディア[編集]
新聞[編集]
日刊新聞
福井新聞(県内でのシェア80%強の地方紙(県紙))
日刊県民福井(発行元は中日新聞社福井支社。一部の地域では名古屋で発行されている中日新聞も販売されており、地域版も嶺北・嶺南の地域別で発行)
読売新聞、朝日新聞、毎日新聞、日本経済新聞、産経新聞も当県に総支局を置いている。なお、全国紙はすべて大阪本社発行の紙面となる。
なお日本全国の小学生を対象とした文部科学省のアンケートで、福井県は新聞購読率が全国第1位であった。
テレビ局[編集]
NHK福井放送局
福井放送(NNN/NNS(主体)・ANN系列(クロスネット局))
福井テレビジョン放送(FNN/FNS系列)
1990年代に3局目の民放テレビ局として福井文化テレビジョンが開局予定であったが、断念した。
福井県にJNN系列局及びNNN/NNS・ANNのフルネット局は存在しない。
ケーブルテレビにより北陸朝日放送(HAB)や北陸放送(MRO)、朝日放送(ABC)や毎日放送(MBS)などが再放送されている地域もある。
福井県のJNN系列局による報道取材は南越前町を除く嶺北はMRO、嶺南と南越前町はMBSが担当している。
福井県はビデオリサーチによる視聴率調査が行われていない地域(他は山梨県、徳島県、佐賀県、宮崎県)の1つとなっている。
福井県内の民放は2つしかないため、チャンネルを変える際は「裏」だけで通じる世帯も多くある。
ラジオ局[編集]
福井放送(JRN・NRN系列)
NHK福井放送局
福井エフエム放送(JFN系列)
Radioあいらんど(コミュニティ放送)
たんなん夢レディオ(コミュニティ放送)
HARBOR STATION(コミュニティ放送)
ケーブルテレビ[編集]
詳細は「ケーブルテレビ局の一覧#福井県」を参照
ケーブルテレビでの民放のデジタル放送の区域外再放送は原則として禁止されているが、2008年(平成20年)7月、嶺北地方のほぼ全域のケーブルテレビ局で石川県の北陸放送(JNN系列)、北陸朝日放送(ANN系列)の再送信が認められた。
嶺南地方では2008年(平成20年)12月、嶺南ケーブルネットワークで、大阪府の毎日放送(JNN系列)、朝日放送(ANN系列)の再放送が認められた。
その他[編集]
月刊URALA(ウララコミュニケーションズ、タウン情報誌)
モットふくい(イー・ツー、地域ポータル)
fukuist(首都圏から発信する福井のフリーペーパー 隔月刊)
自然人(橋本確文堂)
フリーペーパーare(学生団体ボランチ)
文化・スポーツ[編集]
方言[編集]
同じ県内でも嶺北地方と嶺南地方では方言が異なり、嶺北地方の方言は北陸方言に、嶺南地方の方言は近畿方言に分類されることが多い。嶺北と嶺南の方言の際立った違いとしてはアクセントが挙げられるが、嶺北・嶺南それぞれの内部においても細かな差異がある。
嶺北地方
福井弁
嶺南地方
嶺南方言(若狭弁など)
食文化[編集]
「:Category:福井県の食文化」も参照
郷土料理
詳細は「日本の郷土料理一覧#福井県」を参照
伝統工芸[編集]
経済産業大臣指定伝統的工芸品
越前焼(陶磁器、1986年)
越前漆器(漆器、1975年)
若狭塗(漆器、1978年)
大阪唐木指物(木工品、1977年)
越前打刃物(金工品、1979年)
越前和紙(和紙、1976年)
若狭めのう細工(石工品・貴石細工、1976年)
福井県指定郷土工芸品
越前竹人形
武生桐箪笥
三国箪笥
若狭パール
越前傘
伝統工芸品
詳細は「日本の伝統工芸品の一覧#福井県」を参照
スポーツ[編集]
「:Category:福井県のスポーツチーム」も参照
福井ミラクルエレファンツ(ベースボール・チャレンジ・リーグ)
観光[編集]
詳細は「福井県の観光地」を参照
鯖街道 熊川宿
鯖街道 熊川宿
福井県立音楽堂
福井県立音楽堂
丸岡城
丸岡城
永平寺
永平寺
蘇洞門
蘇洞門
有形文化財建造物[編集]
国宝
明通寺 – 本堂、三重塔
重要伝統的建造物群保存地区
熊川宿(若狭町)
小浜西組(小浜市)
県立文化施設[編集]
福井県立歴史博物館
福井県立恐竜博物館
福井県立美術館
福井県立一乗谷朝倉氏遺跡資料館
福井県立若狭歴史博物館
福井県立図書館
福井県立音楽堂(ハーモニーホールふくい)
福井県立武道館
主な観光地[編集]
名所旧跡
一乗谷朝倉氏遺跡(国の特別名勝・国の特別史跡)
金ヶ崎城(国の史跡)
丸岡城(国の史跡・重要文化財)
越前大野城
福井城・養浩館庭園(国の名勝庭園)
熊川宿(重要伝統的建造物群保存地区)
小浜西組(重要伝統的建造物群保存地区)
永平寺(曹洞宗大本山)
氣比神宮(越前国一宮、官幣大社)
劔神社(越前国二宮、国幣小社)
平泉寺白山神社(国の史跡)
明通寺(国宝)
瀧谷寺(国の名勝庭園)
吉崎御坊(国の史跡)
若狭彦神社(若狭国一宮、神社本庁による別表神社で、近代社格制度による旧社格は国幣中社)
王山古墳群(国の史跡)
千古の家(国の史跡)
自然景勝地
気比松原(国の名勝)
蘇洞門(国の名勝)
東尋坊(国の名勝、国の天然記念物)
三方五湖(国の名勝、ラムサール条約指定湿地)
水島
九頭竜峡谷
温泉
芦原温泉
三国温泉
スキー場
IZUMIクロスカントリー
今庄365
九頭竜
新保ファミリー
スキージャム勝山
福井和泉
都市公園
西山公園 (鯖江市)(日本海側最大のつつじの名所)
福井県を舞台とした作品[編集]
映画[編集]
『越前竹人形』(1963年)
『御用金』(1969年)
『男はつらいよ 柴又慕情』(1972年)
『北陸代理戦争』(1977年)
『夜叉ケ池』(1979年)
『戦国自衛隊』(1980年)
『風雪を越えて』(1982年)
『白蛇抄』(1983年)
『北の螢』(1984年)
『夜叉』(1985年)
『俺たちの行進曲』(1985年)
『ゴジラvsビオランテ』(1989年)
『釣りバカ日誌7』(1994年)
『大怪獣東京に現わる』(1998年)
『宣戦布告』(2001年)
『福井青春物語』(2005年)
『福井青春革命』(2005年)
『雪の花』(2009年)
『HESOMORI -ヘソモリ-』(2011年制作、2012年全国公開)
『旅の贈りもの 〜明日へ〜』(2012年)
『HAPPY!メディアな人々。』(2012年)
『恐竜を掘ろう』(2013年)
『サクラサク』(2014年)
テレビドラマ[編集]
『どてらい男』(1973年)
『天皇の料理番』(1980年)
『アフリカの夜』(1999年)
『蔵の宿』(2000年)
『武蔵 MUSASHI 』(2003年)
『ちりとてちん』(2007年度下期、NHK朝の連続テレビ小説)
『あんどーなつ』(2008年)
『天皇の料理番』(2015年)
小説[編集]
『越前竹人形』(1963年)
『天皇の料理番』(1979年)
『雷鳥九号殺人事件』(1983年)
『寝台特急「北陸」殺人事件』(1984年)
『神の火』(1991年)
『天空の蜂』(1995年)
『宣戦布告』(1998年)
『煙か土か食い物』(2001年)
『浜風受くる日々に』(2008年)
『中二病でも恋がしたい!』(2011年)
アニメ[編集]
『AIR』(2006年)(小浜市)
『プリンセス・プリンセス』
『GA 芸術科アートデザインクラス』(2009年)
『それでも町は廻っている』(2010年)(福井市)
『中二病でも恋がしたい!』(2012年)(美浜町)
『ちはやふる』(2011年) (あわら市)
『メガネブ!』(2013年) (鯖江市)
『グラスリップ』(2014年) (坂井市三国町、あわら市、福井市)
漫画[編集]
『鉄人ガンマ』(1993年)
『蔵の宿』(1999年)
『GA 芸術科アートデザインクラス』(2004年)
『あんどーなつ』(2005年)
『それでも町は廻っている』(2005年)
『ミカるんX』(2007年)
『ちはやふる』(2008年)
ゲーム [編集]
『鈴がうたう日』(1999年)
『AIR』(2000年)
『GA-芸術科アートデザインクラス- Slapstick WONDER LAND』(2010年)
福井県出身の人物[編集]
詳細は「福井県出身の人物一覧」を参照
縁のある歴史上の人物[編集]
吉田茂
継体天皇
朝倉氏景
朝倉孝景
佐々木小次郎
織田信長
山本龍二(海援隊)
渡辺剛八(海援隊)
三上太郎(海援隊)
小谷耕蔵(海援隊)
腰越次郎(海援隊)
佐々木栄(海援隊)
梅田雲浜
岡田啓介
大谷吉継
哥川
佐久間勉
酒井忠勝
酒井忠次
柴田勝家
柴田勝豊
杉田玄白
前野良沢
武田耕雲斎
近松門左衛門
豊臣秀吉
橋本左内
平泉澄
松平春嶽
山内一豊
橘曙覧
松尾芭蕉
水上勉
結城秀康(初代福井藩主)
由利公正
新田義貞(戦死)
土井利忠(大野藩主)
道元(曹洞宗開祖)
蓮如(吉崎道場)
島津忠綱(越前国守護代)
斯波氏(越前守護大名)
武田氏(若狭守護大名)
越前島津氏
セルゲイ・プロコフィエフ(ロシアの作曲家)
集団
天狗党
一向一揆
海援隊
パナウェーブ研究所
法人
玄冶店 濱田家
脚注[編集]
^ 『日本の特別地域特別編集65 これでいいのか福井県』40頁~41頁 (地域批評シリーズ)
^ 『日本の特別地域特別編集65 これでいいのか福井県』42頁 (地域批評シリーズ)
^ 『日本の特別地域特別編集65 これでいいのか福井県』44頁~45頁 (地域批評シリーズ)
^ 『日本の特別地域特別編集65 これでいいのか福井県』47頁~48頁 (地域批評シリーズ)
^ 福井県総務部情報政策課. “福井県が日本に誇る指標”. 2009年7月30日閲覧。
関連項目[編集]
ポータル 日本の都道府県/福井県 ポータル 日本の都道府県/福井県
Large format camera lens.jpg 福井県に関連するメディアがあります。
ウィクショナリーに福井県の項目があります。
ウィキメディア・コモンズには、福井県に関連するメディアおよびカテゴリがあります。
ウィキボヤージュには、福井県(英語)に関する旅行情報があります。
オープンストリートマップのロゴ オープンストリートマップに福井県の地図があります。
Category:福井県の建築物
Category:福井県の自然景勝地
Category:福井県の企業
福井県出身の人物一覧
日本の郷土料理一覧#福井県
中部圏知事会議
近畿ブロック知事会
日本まんなか共和国
福井弁
嶺南方言
敦賀県
福井ミラクルエレファンツ
サウルコス福井
日本の地理、日本の地域
外部リンク[編集]
行政
福井県
福井県文書館 デジタル歴史情報 – 福井県文書館
ふくいアグリネット – 福井県農業試験場
雪みち情報ネットふくい – 福井県道路保全課 ※冬期限定で開設。
観光
福井県観光情報_ふくいドットコム – 福井県観光連盟
企業
「実は福井」の技 – 福井県
文献
福井県史 – 福井県文書館
先代:
石川県の一部(越中国)
滋賀県の一部(若狭国) 行政区の変遷
1881年 –
(第2次福井県) 次代: