贔屓

小学生の頃、誰か一人がたまたま大人からおこぼれを預かると
贔屓だ贔屓だと攻め立てられていた
大人は我々が平等であるかのように教えているから
それに対して不平不満をもつ

しかし大人になれば誰でもわかることだが
この世は決して平等ではない
生まれつきの家庭環境、裕福度
本人の能力、才能、
様々なものが平等ではない
戦争地域で産まれる子もいれば
石油王の子供に生まれる子もいる
そういった環境を徐々に受け入れながら
どんどんと大人になっていく

しかしながら現代の教育の害悪で
平等でなければいけないかのように思って大人になる人がいる
そういう人ほど自分の努力を怠っているような気がする

特に最近の若い人に多いと思っているのが
人に好かれる努力を怠っていると思う
例えば仕事の飲み会に行く意味がわからない人が多すぎる
答えに近いもので
「コミュニケーションをとるため」という言い方をしている人がいるが
もっと直球な言い方をすると「贔屓をしてもらうため」に参加するのだ
まず前提としてこの世には贔屓がある
仕事場であれば気に入った人の仕事は特別対応するものである
逆に嫌いな人の仕事は後回しにするし最悪妨害されてしまう
だから贔屓してもらうように色々な人と仲良くなるのだ
そして仲良くなるので一番手っ取り早いのは酒を一緒に飲むことだ
よく飲み会はめんどくさいという人がいるのが
当たり前だ、人付き合いはめんどくさいのだ
その面倒臭い先に贔屓という甘美なご褒美がある

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