店員との距離感

これは私に限ったことではないと思うのだが
私は店員と話すことが非常に嫌いだ
皆人と話すことが嫌いというわけではないのだろうが
微妙な距離感で探りあうのが面倒だと思う

だが世の中逆の人もいるようで
店員と話すのが大好きな人もいる
というより、状況をみていると
自分の周りにいつでも話しを聞いてもらえてないような人が
客として店に行き、うっとうしい話しをしているようにも見える
そう考えると店員と話すことを嫌いな人のほうが幸せなのかもしれない

ちなみに私はそう思っているので
逆に働く側の時にも極力客と会話をしないようにしていたし
店などでも極力店員に声をかけないようにしていた

そうすると一部の非から店員に対して態度が悪いと受ける人もいるようで
文句を言われることもある
世代間にもよるのかもしれないが
人と人との距離感はむずかしいものだ

 

ブロック

現在あるネットゲームをやっているのだが
そのゲームにはある特徴がある
その特徴というのは気に入らないプレーヤーと一緒にプレイしなくてすむように
ブロック機能がついている

不特定多数の人間で簡単に接触ができるネットゲーム
楽しい人間もいれば、つまらない人間もいる
特定の気に入らないプレーヤーと接触しなくて住むのなら
それはとても便利な機能だ
現実でもないし、ただの遊びなので
いちいちむかつくやつと付き合っていく必要はない

私はこの機能を使うときは基本的に無言で使用する
いちいちむかつくだ気に入らないということを相手に伝えても
お互いにいい気持ちはしないし
すれ違いとして二度と会わないほうが楽だからだ

そんな思いとは真逆に
いちいちブロックすることを宣言する人もいる
「そんなんやるならブロックするわ」
「お前むかつくからブロックする」
「ブロックされたくなかったらそんなプレーするのやめな」
といった具合に
なんでそんなことを口に出すのか
お前にブロックされたところで痛くもかゆくもないわと
ネットゲームなので相手の素性はわからない
ただ私は勝手に相手を子供だと思っている

ある程度の年齢になると相手といちいちケンカしても何もメリットがないことを知っている
私も若い頃は自分の正しさを信じて疑わなかったが
長く生きていく中で正しさは人の数だけあることを学ぶし
ケンカしてその正しさを証明してもいいことなど何もない
変に主張すれば周りのとの溝を深めるだけだと

みんな無言でブロックしているのだ
あなたも気が付けばブロックされていますよ

同性愛

先日自民党議員の杉田水脈氏が
LGBTを認めすぎるといずれ国が崩壊してしまうという旨の発言をした
昨今LGBTを気にしすぎて不自然なまでに優遇し過ぎている
世相を批判した発言なのだが
一部言葉をきりとると
同性愛は生産性がないという発言をした

全体的な主張はまちがってはいないのだが
そこは議員発言、一部を切り取られて
本人が本来意図した発言と違う内容が世間に報道され
そして徹底的に叩かれる

以前に修正率が下がっている問題を
何を改善すれば出生率が上がるか考えていこうという旨の発言をした議員が
言葉の一部をきりとられ女性を産む機械と
子供を産むだけしか役に立たない存在であるかのような
発言をしたように取り扱い徹底的に叩いた

議員のような責任のある立場であるから
言葉をえらばなければいけないのはわかるが
最近尾風潮いささか行き過ぎである

こんなことばかりをマスコミがやっているから
まともな議員は政治家にならず
タレント議員ばかりが世にはびこる
勿論投票した国民の責任ではあるものの
なんかこの風潮を変えていかなければ行けない

話しがそれてしまったが同性愛について
生産性がないということであるが
もともと恋愛は生産性を考えてするものではない
そもそもこの世の人間が全て人の役に立っているかというと
そんなこともなく、ただ現在の資源を食いつぶしているだけということもある

どうしても同性愛者にそういった責任を負わせたいのであれば
同姓婚のかわりに孤児を引き取るようにルールをつくれば丸く収まるのではと
孤児よりはましなのだろうか・・・・・

 

馬鹿

最近知的障害にも色々種類があり
知能が一般より足りない人はいろいろ病名をもらえるようになった
別に病名をもらう=障害者手帳をもらえるわけではないが
自分の無能さを病気の所為にできるので
一定数の人は病気になりたがっているようだ

自分もその一人のわけなのだが
小さい頃は本当に自分は馬鹿だったと思う
知的障害があったのでは今でも疑っている

だが今となって改めて知的障害を捜そうとは思わない
なぜなら探してもなんの意味もないからだ
仮に自分に今から知的障害が見つかったとして
何ができるわけではない
無能な自分に理由ができても
何も安心できない
もちろん障害者手帳がもらえるレベルであればうれしいが
そうでなければここ一番のときに自分に自信が持てず苦労するだけだ

自分になんの才能もないことはわかっているが
何があろうと今後もひたすらがんばるしかない
人性はそういうものだと思う

しかし子供の頃に知的障害があることを伝えられたらどうだろうか
本当にがんばって努力ができるだろうか
自分は無能だとあきらめてしまうのではないだろうか
現在の何でも病名をつける傾向は未来を消してしまうことになったしまう気がしてならない

オンリーワン

今まで生きてきたなかで色々な人と出会ってきた
出会ってきた中では本当にくだらない人間もたくさんいたが
おもしろいものでどんな人間でもひとつぐらいは学ぶべきものがあるものだった
本人が直接的に教えてくれる場合もあれば
反面教師として教えてくれることもある
なので私はどんな人間と会ったときでも
色々と考えるようにしている
果たして自分は周りの人に何を学ばせているのだろうか

 

大人になる

たけのこはぎという風俗のボッタクリ手法がある
風俗店に入ってみると通常サービスがほとんどなく
OOするならもう1万円と
たけのこの皮をはぐように際限なくお金を請求する詐欺の手法である
最近はネットも発達し被害は減っていると思うが
人間の黒い欲望ゆえいつまでも被害ゼロになることがない

だいたいこの手のパターンは
地元の人以外が集まる有名風俗街のキャッチか
通常の風俗店が閉店した後に
風俗にいきたいテンションになっている酔客がターゲットになっている
私も正直過去に二回引っかかっている
どちらも一回目の料金を払ったところでたけのこはぎと気付き
追加の料金を払うことをやめたのて対した被害ではないが
店に入る前でも回避する方法があったのに
店に入ってしまった理由は
やはりあふれる性欲が原因であった

さて時は移り現在で先日、急に思い立って風俗に言ってみた
風俗に行く前にある程度調べていき
自分の趣味にあった店を捜していった
さて実際に店に入ってみると
自分の趣味に合う女の子がいなかった
性欲はかなりあがっていたが
私はそこで帰ることを選択し
スッと帰ることができた

大人になって性欲のコントロールができるようになりびっくりしたものだ

本当の力

世の中色々な人がいる
そんな中今なかなか思い通りに行かない人がたくさんいるだろう
私もそう思ったり思わなかったりする
そんな私の経験でいうと
個人の力は環境に大きく依存すると思う
よく言う言葉で「そんなんじゃ、どこ言ってもうまくいかないぞ」
という台詞を聞くが
実際にはそんなことはわからないと思う
確かにどこに行っても通じないこと力量の人もいるだろう
だが、まちがいなく環境のに影響うけることがある
私自身も環境の変化で力が思うように出せなかったり
逆にすごく能力を発揮できたこともある

環境と個人の力量が関係ないといっている人は
一体どの程度の環境を経験しているのだろうか
おそらくたいして経験したことはないだろう

もし今悩んでいる人がいて
これまで環境を変えたことがない人だったら
思い切って環境を変えてみるものいいかもしれない
仮に移ってうまくいかなければ帰ってくればいい
だから移動するときは帰り道をちゃんと作っておこう

逆の立場

異性に対して色々と持論をもっている人がいる

「女性は楽でいいな」
「ただしイケメンに限る」
「女性ばっかりサービスされてずるい」
「女性は差別されている」
「男は生きていくのが辛い」
「男性に生理はたえられない」

まあよく適当に言うものだ

一回皆逆の立場で考えてほしい
ただしイケメンに限る
これをいう人はおそらく女性が
イケメンを優遇して、イケメンと同じことをしても
同じように扱ってもらえずふてくされているのだろう
だが逆に考えてほしい、あなたは美女を優遇したことがないだろうか
ブスを迫害したことはないだろうか
少なくとも私はそういったことをした経験がある
私が今まで出会ってきた人達も全員同じようにしていた
イケメンに限るといってすねている人は
聖人君子で美女に特別扱いをしたことがない人意外はいってはけない

女性だから、男性だから
こういう前に自分も逆の立場で冷静になってみよう

顔か胸か

TVを見ていると巨乳の美女であふれている
だがふと日常世界の人をみると
周りで美人と評判の人は貧乳の割合が大きい気がする
逆に巨乳の人で美人の人はほとんど見かけることはない

TVばかり見ていると美人の巨乳が当たり前のようになっているが
周りで美人の巨乳と付き合っている人などほとんどいない
これに理解できずに、まわりの女性を悪く言う人達がいる
人によっては冗談でいっている人もいるが
一部真剣にいっている人もいる
そいう人はだいたい彼女がいない人である気がする

最近は風潮が変わっているが
バブルの頃のテレビはとにかく最高潮の世界をテレビで見せつけ
そしてそれが当たり前であるかのように流していた
情報が酸くなった時代ではそれが真実としてあつかわれていた
恋愛も情熱的世界を流していたが
実際にTVほど情熱的な経験をする人などわずかであろう
それをまにうけて物足りないと不満ばかり漏らしている人がたくさんいる
夢の世界から抜けれず白馬の王子様を待ち続けていると
あとから辛い現実が一挙におしよせてくるのである

話しを戻すが顔か胸かどちらかだけでも選べればいいものだが
実際には両方選べないこともある
片方持っている人はそれを大事にしてください。

 

機械仕掛けの未来

先日AIについて書いた
今ある技術の多くがとってAIで再現できてしまう

運転、画像比較、翻訳、データ入力、決まった受け答え

これだ書くと一部の職業しか取って代わられないように感じるかもしれない
だが世の中の技術は常に複合して世に出くるのだ
自動車であればひとつのボディに数千の特許が埋め込まれているように
ひとつひとつはまだまだかもしれませんだが複合することによって
恐ろしく強大な力となってきます。

例えば簡単なロボットアームと画像比較と運転組み合わせることで
配送会社の作業員は全く要らなくなります。

自動運転、翻訳、決まった受け答えを組み合わせると
バイリンガルどころか何ヶ国語も話すことができる
ハイヤー運転手の誕生です。

コールセンターのような受身だけでなく
御用聞きのような営業もおそらくいらなくなってしまうでしょう

このように広げていくとAIに取って代わられない職業というのは
本当にごく一部の職業だけになって行きます。
ちなみに現在でもペッパー君のおかげで
接客業の人員削減が成功しています。

おそらく更なる技術の発展でとってかわられる仕事はどんどん増えていくでしょう
人間性まではコピーできない・・・・といったたわごとはいつまで通用するのでしょう

ボランティアスピリッツ

大災害が起きるごとにボランティアの話がでてくる
まだまだ世の中捨てたもんじゃないと思えるぐらい
色々な人が立ち上がってくれる

そんな中でボランティアの基本をわかっていない人が多く
善意だけでは世の中回らないものだ
ボランティアには2点の重大な点があり
もしこれを見てくれた人がボランティアをやるときには
是非これを心にとめておいてほしい

一つ目はボランティアは自己完結できることが必須で
どんな作業でも対象地域に行った際に
対象地域に一切負担をかけないことが原則となる
例えば、ボランティアにいったら、現地の食料には手をつけない
食事は全て事前に手配する
寝泊りに関しても自分で用意して訪問する
ボランティアが来たことによって
現地の人に余計な手続きをさせない
一部で存在している2次災害などもってのほかだ
とにかく、現地の人にボランティアが行ったことによって
わずかでも負担をかけるようにはしてはいけない

二つ目は相手に感謝、お礼を一切求めない
相手が勝手に感謝する分には全くかまいませんが
ボランティアをしたことを相手に恩着せがましくしたり
お礼を要求してはいけません
親切の押し売りというやつは非常に迷惑です

このことを理解していれば
仮に千羽鶴を送ろうと思ったら
輸送手段は全て自前で準備し
現地に一切迷惑にならないルートを使い
さらに現地にそっと届けた後に
処分させる手間をかけせずに
ちゃんと送り主で処分し
更にその行為に関して一切相手から感謝を求めない
そこまでするのであれば千羽鶴もありかと
その状況で千羽鶴を送る人がいたら見てみたい

 

1000回記念

今回の記事は丁度1000回目の記事となります。

思えばサイト名も複数回変えたり
BLISSの弁護士に記事削除依頼をもらったり
色々ありました

飽きっぽい自分がよく7年以上続けられたものだと感動です。

次に目指すは2,000回かそれとも10,000回か
できる限りがんばります。

徒歩30分

みなさんはどの程度まで歩くことができるだろうか
私は30分ぐらいまでは歩いても苦にならないのだが
多くの人は30分歩くと苦になるようだ
30分歩くことは駅でいうと二駅程度の距離なのだが
酔い覚ましや軽いウォーキングをかねて歩くと
周りの人からは不思議らしい
わざわざ歩かなくてもタクシーを使えばいいと思う人もいるし
安全を考えてやはりタクシーでの移動を進める人
たった30分の移動はいかなるものか

専業主婦

先日ある人と話しているときに
いまどき珍しく、専業主婦は働いていないのだから
子育て、家事は全て女性がやって当然
男性は仕事をやって好きなだけ外で遊べる
というようなことをいっていた
昔であればスタンダードな考え方だろうが
今のご時勢であれば
なかなか耳に挟まない貴重な意見だった

この話しを聞いたときにはたして専業主婦というものは本当に楽なのだろうかと考えた
子供が小さいうちであれば夜鳴きに起こされ寝る間もなく
子供が手がかからなくなったら
のんびりできるかもしれないが
仕事に復帰しようにもブランクが開きすぎて簡単に戻れない
戻れたとしても、家事があるのでダブルでこなすのは非常に困難

それよりも思ったのだが、専業主婦は目標と結果確認をしにくいことが一番きついのでは思った
どんな人間でどんな仕事をしていても
明確に目標がありその結果が目にみえていると
人間はがんばれものだという
様々なところでも目標の立て方確認のしかたというのは成功の秘訣
人間のやりがいに結びつくものとしてある
だが専業主婦の仕事内容を考えると
目標を立てることと結果を確認することが難しいのではないだろうか
特に結果ということに関していえば
掃除、洗濯、食事というものは具体的な数字がでるものではないので
結果確認が難しい
評価をする旦那側も食事であれば味の評価はできるが
掃除、洗濯のレベルを評価するのは非常に難しいだろう
人とも比べる機会も少ないので
その尺度がはかりにくい
また、育児に関しても子供の育ち具合を確認できるのは
10年、20年後のこと、さらにやり直しはできない
なかなか辛い仕事のように思うのは自分だけだろうか