第一章 62歳の焦燥
田中 剛毅(たなか ごうき)、62歳。自宅の豪華な書斎で、彼は渋い顔で手元の法律の条文を睨んでいた。成立から二年が経過した「政治家年齢上限法」— 65歳を超えた者の被選挙権を剥奪する、という法律だ。
「あと三年……」
剛毅は吐き捨てた。現在62歳。三年後の選挙時、彼は65歳になっている。誕生日を過ぎていれば、被選挙権は失われる。ギリギリのタイミングだ。
彼は、地方から国政まで四代続く「田中王国」の当主であり、その半世紀近いキャリアの全てを親から受け継いだ強固な「地盤」「看板」「カバン」の上で築き上げてきた。先代、先々代から続く「うまくやる」ための「慣例」と「裏技」を熟知し、結果的に「うまい汁」を散々吸ってきた人間だ。
これまでの人生、年齢など関係なかった。70代、80代の先輩議員たちが平然と君臨し、90歳を超えても「ご意見番」として影響力を保持していた。それが当然の永田町の風景だった。
しかし、この二年で風景は一変した。「高齢政治への嫌気」と「政治家への不信」が若年層だけでなく、中堅・ベテラン層にも広がり、あっという間に新法が成立してしまった。
第二章 公開された過去
剛毅の最大の敵は、若者ではない。自分自身の「過去」だった。
次の選挙戦が始まると同時に、新設された「公約記録・公開法」に基づき、全ての候補者の過去の公約と結果を記録した「達成度スコアボード」が公開された。剛毅の選挙区では、巨大なデジタルサイネージに彼の過去2回の公約が表示された。
《公約:地元中核病院の誘致》— 結果:進捗率15% (用地買収で頓挫。その責任は「行政の怠慢」と議会で報告済み) 《公約:若者の起業支援のための減税措置》— 結果:進捗率10% (「検討会」を立ち上げたのみで、法案提出なし) 《公約:議員報酬の適正化》— 結果:進捗率0% (議会で反対派に回り、議論すらさせず)
スコアボードに並ぶ進捗率の低さに、地元有権者はざわめいた。特に「進捗率0%」の項目は、剛毅が選挙の票集めのために「国民受け」する言葉を並べ、当選後は平然と裏切ってきた事実を白日の下に晒した。
「田中先生、10%、15%、そして0%。これは、国民への詐欺ではありませんか!」
対立候補として名乗りを上げた40代の元地方公務員、藤野 廉(ふじの れん)は、データと証拠に基づいた演説で剛毅を追及した。藤野は、剛毅と違い「地盤」も「カバン」も持たないが、公約ボードという「第三の武器」を得て、猛追してきた。
剛毅は反論した。「政治は数字だけでは測れない! 複雑な調整があったのだ! 私は地元のためにどれだけ尽力してきたか!」 だが、その言葉は空虚に響いた。公約記録・公開法は、発言ではなく「結果」を求めたからだ。
第三章 賭けと罰則
焦燥に駆られた剛毅は、「地盤」を固めるため、長年培ってきた裏のネットワークを駆使し始めた。
「これまでの慣例だ。票をまとめてくれる者には、きちんと『感謝の意』を示すのが筋だろう」
彼は、現行の選挙法が厳罰化されたことを知っていた。知っていたが、「慣例」の力は、新しい法律の力よりも強いと信じていた。まして、次の選挙に負ければ、3年後に引退を待つまでもなく、政治家としての全てを失う。
「これは、最後の勝負だ」
剛毅は、公職選挙法違反すれすれの、いや、完全に違反するレベルの「裏の支援」を選挙対策本部に指示した。
しかし、この新しい時代の選挙監視の目は、過去とは比べ物にならないほど厳しかった。藤野陣営の徹底的な情報公開と、市民による監視運動の高まりが、剛毅の「慣例」を根こそぎ暴いた。
選挙戦終盤、剛毅陣営の幹部が逮捕された。容疑は、組織的な金銭の授受による票の買収。その背後に、剛毅本人が深く関与していた証拠が次々と明るみに出た。
「国民を欺こうとした行為に対する罰則」— 新しい公職選挙法に基づき、剛毅に課せられた罰金と追徴金は、彼の一族が四代かけて蓄積してきた政治資金と個人資産の大半を失わせる額だった。
開票結果は、藤野 廉の逆転勝利。
エピローグ
選挙後、剛毅は公職選挙法違反の罪で起訴され、執行猶予付きの有罪判決を受けた。
裁判所を出た剛毅は、報道陣に囲まれながら、ふと虚ろな目で地元の駅前に設置された「達成度スコアボード」を見上げた。画面は、既に新しい藤野議員の公約リストに切り替わっている。
彼の政治家人生は、62歳で強制的に終わった。
もし、彼が「うまくやる」ことではなく、「公約通りに実行する」ことを目的としていたなら。 もし、彼が「慣例」の力を過信せず、新しい法律を尊重していたなら。
剛毅は、力なくつぶやいた。 「年齢上限法に救われることになったな」
あと三年、無様に議席にしがみつく必要はなくなった。彼に残されたのは、何もかも失った「元政治家」としての静かな余生と、若者たちに席を譲るという、皮肉な形での「責任」の取り方だった。