東立東北支店に激震が走った。支店のメイン顧客である地元の大手企業で、全社的なDX化のビッグプロジェクトが立ち上がったのだ。

既存の担当者は、残念ながらアマツカ・マヤだった。流石にその規模から、支店単独での対応は不可能と判断され、本社から「全社一丸となってクロージングせよ」という厳命が下った。

普通の判断であれば、マヤの担当自体を変更するのが当然だった。しかし、問題は先方顧客のキーマンが、マヤの魅力にメロメロの老役員であったことだ。マヤを外せば、これまで彼女が「色仕掛け(と本人は思っている)」で集めてきた必要な情報が入ってこなくなる。彼女を切ることは、できなかった。

会議には常に彼女がいなければならず、肝心な説明は他の優秀な社員が行えばよかったのだが、老役員はマヤ以外の言葉を信用せず、上に上げてくれない。そのため、マヤの口から全てを説明させるという、本社から見れば狂気の沙汰なプロセスを辿るしかなかった。

本社は、この状況を「単なるスケベジジイの戯言」と推測し、美人で優秀な若手女性社員を当てがってみたが、老役員は全く反応しなかった。むしろ、奇妙なことにハナゾノ・ミヤの「叩き上げの情熱」と、サイオン・サヤの「グローバルな知性」というエンジェルス特有の狂気にだけ、なぜか反応があった。

仕方なく、プロジェクトのフロント役はエンジェルス三人に任され、裏で本社と他の支店が必死に資料を作成し、プロジェクトは進められた。

プロジェクトは、なんやかんやで最終提案の段階までたどり着けた。役員への提案のチャンスをいただいた東立側は、これまでのやり取りから、フロント役をエンジェルスに任せるのは危険すぎると判断。最終提案は、本社のベテラン社員が説明役として準備されていた。

役員会議室。本社の人間が話を初めた、その時だった。

先方役員(キーマンの老役員を含む)から、厳しい突っ込みが入った。

老役員: 「おい。今回のメインプロジェクト担当者は、東立のアマツカさんと聞いているが。なぜアマツカさんから説明されないのかね?」

本社社員は顔面蒼白になったが、断るわけにはいかない。マヤに説明を促した。当然ながら、マヤがうまく説明できることはない。彼女が発するのは、資料にない抽象的な「華やかさ」と「繊細さ」という言葉ばかりだった。

そこで横から本社社員がロジカルなフォローを入れた途端、老役員からのきつい突っ込みが入った。

「君の理屈は聞きたくない。アマツカさんの魂で語ってもらおうか!」

しかし、ここでミヤとサヤが横から口を挟むと、老役員はなぜか否定しなかった。

ハナゾノ・ミヤ: 「御社のDX化に必要なのは、理屈じゃない!魂よ!私の叩き上げの情熱で、御社の閉塞感を破壊します!」

サイオン・サヤ: 「御社の進むべき道は、ドメスティックな安定ではない!私のグローバルな知性で、御社をユニバーサルな領域へと導きます!」

老役員は、ミヤの狂気的な情熱と、サヤの非現実的な知性に、満足げに頷いた。

その瞬間、エンジェルスは自分たちの狂気が、この場で通用したと勘違いし、どんどん調子に乗った。エンジェルスによる制御不能な暴走が始まった。マヤは身振り手振りで「華やかさ」をアピールし、ミヤはテーブルを叩きながら「情熱」を説き、サヤは無関係な国際情勢の知識をまくし立てた。

結果、プレゼンはボロボロ。論理は破綻し、資料は無視され、プロジェクトの実現性は完全に失われた。

結果は当然の失注だった。

さらに悪いことに、先方役員から東立の役員に対し、「この会社は、一体どうなっているのか。あの三人を放置するとは、東立の経営陣は、我々を侮辱しているのか?」という、屈辱的で侮辱的なメッセージが届いた。

本部役員からの怒りのメッセージが、ハマの携帯に立て続けに届いた。流石のハマも、この件についてはなあなあでは済まされないことを悟った。東立の威信が、エンジェルスによって地に落ちたのだ。

ハマは、支店長室で一人、静かに重大な決断を下した。

実は東立の末端と思われていた東北支店だが、その奥地には「東北奥地支店」という、ほぼ仕事が存在しない、放置された支店が一つあった。支店という名ばかりの、限界集落のような場所だ。

ハマは、本社からの怒りの鉄槌が自分に下る前に、エンジェルス三人を、その東北奥地支店へと「転属」させることを決意した。

「すまない、アマツカ、ハナゾノ、サイオン。君たちは、東北奥地支店への転属が決まった。明日からだ」

遂に、エンジェルスも最後の時を迎えた。

その夜。支店全員が参加し、居酒屋「大漁」でエンジェルスたちの送別会が行われた。

ベテラン社員たちは、「ああ、これでハマ支店長も重荷がなくなって、さぞ楽になるだろう」と、ハマを温かい目で見ていた。全員が、落胆しているだろうエンジェルスを慰めようと、優しく言葉をかけていた。

しかし、エンジェルスたちは全く落胆していなかった。

アマツカ・マヤは、そもそも仕事に興味がなく、「地方奥地への転属=煩わしい業務からの解放」と解釈し、満面の笑みで酒を呷っていた。 ハナゾノ・ミヤは、雑草根性と大手嫌いが混同しており、「地方の零細こそ日本を牛耳っている」と勘違い。「私の情熱を試せる、より本質的な舞台だ!」と興奮していた。 サイオン・サヤは、最近自然派に目覚めており、「リモート勤務がグローバル水準」と自己解釈していたため、「都会の喧騒から離れ、グローバルな思考を深める最高の環境よ!」と、逆に優越感に浸っていた。

皆は、ハマが肩の荷が下りたことで恵比寿顔になっているだろうと思っていたが、ハマの心中は深い悲しみに満ちていた。

ハマも、彼女たちのことを無能だと断じていたはずだった。しかし、エンジェルスたちと過ごした日々、彼女たちの狂気に満ちた情熱と、不撓不屈の自己肯定感が、彼の心に重くのしかかっていた。

(なぜだ?なぜ、こんなに悲しい?)

彼は、エンジェルスたちの歪んだ情熱と、自分がこの支店に飛ばされた時の、若き日の野心とを無意識に重ねていた。支店長といっても、役員ではない自分には、彼女たちを守ることも、この事態を覆すこともできない。

(あの時、私がこの支店に来た時、胸に燃えた一夜の過ちのような情熱は、嘘ではなかった。私は、この安寧のために、それを押し殺した)

自分は、あと10年以上、この支店に居座り続けられるだろう。しかし、この狂気が消えた後の残り時間を、ハマは何を考えて過ごせばいいのだろうか?彼の心には、エンジェルたちとの思い出だけが、虚しい熱量となって残るだけだった。

ハマは、熱燗を呷った。その味は、ひどく冷たかった。

翌朝、支店長室。

エンジェルスたちが去った後の東北支店は、嘘のように静かだった。

ハマ・ソウスケは、いつもの席に座っていた。彼の机の上には、もはや田中や伊藤からの怒りのメッセージは届かない。コバヤシやヤマダといった常識的な社員たちが、粛々と業務をこなす音だけが、静かに響いていた。それは、ハマが長年求め続けてきた、完璧な「安寧」の姿だった。

だが、彼の心は、その達成された静けさとは裏腹に、荒涼とした砂漠のようだった。

ハマは、窓の外の雪解けを待つ山々を見つめた。エンジェルスがいた頃、この景色を見るたび、彼は「ああ、また何かやらかすだろう」という、一種の緊張感と支配欲に満たされていた。彼女たちの存在は、ハマにとって、自分の無責任な支配を試す、常に稼働し続ける実験装置であり、同時に、自身の「有能な管理者」という虚像を支える「狂気の燃料」だった。

彼女たちを東北奥地の限界集落へと追いやった決断は、論理的には正しかった。自身の定年までの地位を守るための、冷徹な最善手だった。

しかし、その決断は、ハマ自身の過去をも切り離してしまった。

彼は、エンジェルスたちの歪んだ情熱の中に、自分自身が、かつて本社からこの地に飛ばされた時に抱いていた、無謀で、しかし純粋だったはずの「野心」の残滓を見ていたのだ。マヤのチヤホヤされたいという承認欲、ミヤの叩き上げへの執着、サヤのグローバルという名の逃避。それらは全て、都会のエリート街道から外れた人間が、地方という名の辺境で、必死に自分の存在価値を叫ぶ、悲しい叫びだった。

ハマは、コーヒーを一口啜った。その苦味は、彼の裏切りの味だった。

彼は、彼女たちを利用し、彼女たちの狂気を「才能」と持ち上げて支配することで、自分の「安寧」を築いた。そして、その狂気が自分の領域を脅かした瞬間、彼は容赦なく彼女たちを切り捨てた。

(私は、彼女たちが持っていた、あの「一夜の過ち」のような熱量を、自分のために消費し尽くしたのだ。そして、その熱量が尽きた今、私の部屋には、何も残されていない)

ハマは、あと10年以上、この平和な支店で、定年まで安穏と過ごせるだろう。しかし、その日々は、退屈で、無意味で、空虚なものになるだろう。彼の人生を彩っていたのは、エンジェルスという「予測不能な狂気」だったからだ。

彼に残されたのは、彼女たちを支配することで得た冷たい静寂と、彼女たちの熱狂と愚かさを思い出すという、個人的な追憶だけだった。

ハマは、引き出しから、エンジェルスたちと「大漁」で写した、馬鹿騒ぎの記念写真を取り出した。三人の女性は、それぞれの狂気を幸福な笑顔に変えてそこに写っていた。

この写真こそが、私の「安寧」の代償だ。私は、この思い出を反芻することでしか、残りの人生を埋められないのだろう

彼は、その写真を静かに机の上に置いた。ハマ・ソウスケの残りの支店長人生は、誰にも邪魔されない静かな時間と、孤独な回想という、彼自身が作り出した心の奥地の「辺境」で、緩やかに続いていくのだった。