手ぶらで始める異世界転生 第五話

ふと気がつくと、私は壁外防衛業務請負ギルドの長椅子に横たえられていた。 周囲はクエストから戻った冒険者たちの熱気と、戦利品の精算をする喧騒に包まれている。 「……ここは」 私がむくりと起き上がり、キョロキョロと辺りを見回していると、頭上から聞き覚えのある声が降ってきた。 「よう。生きていたんだな。お前の荷物を貰い損ねちまったぜ」 見上げると、ニカっと笑うボルドが立っていた。 不謹慎な冗談だが、その笑顔に妙な安心感を覚える。私は死なずに済んだのだ。 大きく息を吐き、やりきった自分に安堵する。ふとポケットを探ると、ゴツゴツとした硬い感触があった。ワイルドウルフの魔石だ。 「ボルドさん、これってどこで換金するんですか?」 「あそこの窓口だ」 ボルドが指差した先には、鉄格子越しのカウンターがあった。 足を引きずりながら向かうと、そこには愛想のかけらもない中年女性が座っていた。 「へい、ウルフの石3つね。銅貨150枚」 つっけんどんな対応だが、ジャラジャラと支払われた硬貨の重みは本物だった。これが、私の命の対価であり、初めての稼ぎだ。

とにかく体がボロボロだ。スライムに焼かれた背中も、狼に噛まれた足も悲鳴を上げている。 一刻も早く休息が必要だ。私はソフィアから紹介された宿屋へ向かおうと出口へ足を向けた。 ガシッ。 太い腕が私の肩を掴む。 「おいおい、命の恩人に『お礼もなし』かい?」 振り返ると、ボルドが逃がさないと言わんばかりの顔で笑っている。 「あ、ありがとうございます……」 礼だけ言って去ろうとすると、肩を掴む力が強まった。 「……」 数秒の見つめ合いの後、私はようやく悟った。言葉だけの感謝など求めていない。 「す、すみません、でも私、余裕がなくて……」 「はあ? 銅貨150枚も持ってて何言ってやがる。ソフィアお嬢ちゃんが紹介するような高級宿に行かなきゃ、飯と宿代合わせても50枚でお釣りがくるんだよ」 ボルドは強引に私を連れ出した。 「ほら、奢れよ。安くて美味い店教えてやるから」

結局、私はボルドに連れ回され、大衆レストランとバーをはしごすることになった。 彼のおすすめという安宿に放り込まれた頃には、泥のように酔っ払っていた。 ベッドに倒れ込む。 「……痛い」 酔いが回っても、全身の傷が痛む。化膿しないだろうか、破傷風は大丈夫だろうか。 明日もこの体で戦えるのだろうか。 そんな不安が頭をよぎったが、強烈な疲労とアルコールが私の意識を強制的にシャットダウンさせた。

翌朝。 目が覚めると、私は違和感を覚えた。 「……痛くない?」 慌てて体を起こし、手足を確認する。 噛み跡が消えている。背中の焼けるような痛みもない。 まるでRPGの宿屋に泊まった後のように、HPが全快しているのだ。 「なんだこれ……」 不思議ではあるが、深く考えても答えは出ない。これも異世界の法則なのだろう。 とにかく、生きていける。体さえ動くなら、戦える。

それからの私は、日々命がけで街の外へ出た。 スライムの影に怯えながら、ワイルドウルフを孤立させて狩る。 ボルドが仲間の冒険者を紹介してくれたおかげで、街での人間関係も少しずつ広がり、安くて安全な食事処などの情報も得られるようになった。 質素な生活を心がけたおかげで、手元には若干の貯蓄もできた。

そこで私は、一つの決意をした。 「武器を買おう」 あの木の枝では、ウルフを倒すのに5回も6回も殴らなければならない。その間に反撃を受けるリスクがある。 ボルドが持っていたような棍棒があれば、一撃で終わらせられるかもしれない。そうすれば、狩りの効率も安全性も劇的に向上する。

ボルドに相談し、紹介された武器屋へ向かった。 カランコロンとドアを開けると、熱気と鉄の匂いが漂ってきた。 「いらっしゃい」 カウンターから顔を出したのは、タンクトップ姿にショートカットの、気の強そうな女性だった。 彼女は私の貧相な体格とスーツ姿をじろじろと見回し、鼻で笑った。 「なんだいあんた。うちの武器は重いよ? あんたみたいなヒョロガリに使えるとは思えないけどね」 強気な接客だ。だが、今の私は以前の私ではない。 「ああ、たぶん大丈夫だと……」 言い切る前だった。

ドガッ!!

視界の端で何かが飛んだ。 目の前の女性店員が、真横に吹っ飛んで壁に激突したのだ。 「ぶべっ!?」 見ると、奥から屈強な髭面の男が出てきていた。丸太のような太い足が、蹴りのフォロースルーを残している。 (デジャヴだ……) ソフィアが蹴り飛ばされた時と同じ光景に、私は乾いた笑いが出そうになった。 男は転がる女性を一瞥もせず、私に向き直ると申し訳無さそうに頭を下げた。 「すまねえな、お客さん。うちの娘が口だけ一丁前で。……何が入用だい?」 「あ、ええと……棍棒を」 私は引きつった笑顔で、ボルドのものに似た鉄の鋲付き棍棒を購入した。

その投資効果は劇的だった。 翌日のワイルドウルフ狩りは、もはや作業に近かった。 「ふんっ!」 一撃。ドガッという音と共に、ウルフが沈む。 反撃の隙すら与えない。 さらに、因縁の相手であるスライムにも挑んでみた。 木の枝では弾かれたが、鉄の鋲がついた重量のある棍棒によるフルスイングは、スライムの核を粉砕した。 「勝てた……!」 私は確かな手応えを感じた。 これで、これからの生活は安泰だ。

その夜。 私は少し奮発して、夕食にこの世界のビールっぽいものを注文した。 喉を通過する炭酸の刺激と苦味が、五臓六腑に染み渡る。 「おう、やってるな!」 店に入ってきたボルドたちが、私のテーブルに合流した。 「聞いたぜ、棍棒買ったんだってな。スライムも倒したか、やるじゃねえか」 ボルドが笑いながら杯を合わせる。 「ええ、なんとか」 「新人がここまで来れたのは久しぶりだぜ。大抵の移民は、最初のウルフでビビって辞めるか、無理して挑んで亡き者になる」 ボルドは泡のついた髭を拭いながら言った。 「鑑定なんてのは目安に過ぎねえ。数値に出ない『根性』や『工夫』がなけりゃ、どんなスキルがあっても死ぬ時は死ぬ。……あんたの最初の鑑定、あてにならなかったな」

「ええ、本当に」 私は苦笑しながらビールをあおった。 スキルなし、能力平均。それでも私は今、ここで生きている。 勝利の美酒に酔いながら、私はこの世界に来て初めて、心の底から笑うことができた。

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