加藤健吾、30代の日本人考古学者である彼は、いつものようにジャングルの湿った空気を吸い込んでいた。ここは地球の肺、アマゾン川のさらに奥地。彼のキャリアのほとんどは、この地で失われた文明の痕跡を追うことに費やされてきた。

「健吾、無理しないでね」

出発前、東京の自宅で、妻のアンバーが心配そうに言った言葉が、湿った空気の中にふと蘇る。アンバーは、彼の研究を理解し、いつも支えてくれる太陽のような女性だった。

調査は順調に進み、新たな遺跡の断片を発見できた喜びも束の間、異変は静かに、そして素早く起こった。現地ガイドが発熱で倒れ、健吾自身も激しい悪寒に襲われた。熱帯特有の熱病かと思ったが、幸いにも彼の体力と免疫が勝った。数日で症状は治まり、調査は続けられた。現地医師は「一時的な風土病でしょう」と診断した。

健吾は知らない。彼の体内で、アマゾン奥地の古代の菌株が変異した、恐ろしい「何か」が静かに定着したことを。彼は、それをただの「治った風邪」として、自身のキャリアの成果と共に日本へと持ち帰ってしまったのだ。

帰国後、健吾は精力的に研究と論文執筆に取り掛かった。体調は万全。何事もなかったはずだった。

異変は、彼が帰国して一ヶ月後の夜に起こった。

「健吾、私、体がだるいの…それに、寒気がする」

アンバーの声に、健吾はハッとして彼女を見た。彼女の肌が、照明の加減か、わずかに青みを帯びているように見えた。翌日、病院で精密検査を受けたが、原因は特定できない。ただ、アンバーは徐々に様子がおかしくなっていった。

最初は些細なことだった。些細な音に過剰に反応し、夜中にうなされる。だが、数日のうちにそれは悪化し、彼女の瞳からは理性的な光が消え、代わりにある種の獰猛さが宿るようになった。そして、彼女の肌は、深く、鮮やかな青色へと変色していった。

ある晩、健吾が書斎で作業をしていると、背後から物音がした。振り返ると、青い肌と充血した眼を持つアンバーが、信じられないほどの力で本棚を押し倒し、獣のような唸り声を上げながら彼に襲いかかろうとしていた。

「アンバー!やめてくれ!」

健吾は恐怖と混乱で叫んだ。これが、彼がアマゾンから持ち帰った「キャリア」の真の姿だった。このウイルスは、感染者を凶暴化させ、皮膚を青く染め、そして、接触や体液を通じて恐ろしい速度で増殖する化け物へと変貌させるのだ。

健吾はなんとかアンバーを拘束し、感染のメカニズムを理解しようと必死になった。彼自身の体内で抗体ができたのは、ウイルスの変異初期に感染したためかもしれない。彼は一縷の望みをかけ、隔離した自宅で治療法を探したが、時間は彼を待ってはくれなかった。

アンバーは拘束を破り、外の世界へと飛び出した。そして、その恐ろしいウイルスの拡散源となってしまった。

街は地獄と化した。青い肌の化け物たちが人々を襲い、次々と感染者を増やしていく。警察も軍隊も、その狂暴な集団の爆発的な増殖には対処できなかった。健吾は、自分が引き起こした惨状に打ちひしがれながらも、唯一、アンバーを止めることだけを考えた。

彼は、狂気の中心へと向かった。そこには、数え切れないほどの青い化け物たちを率いる、一際大きく、凶暴な一体がいた。それは、かつての彼の愛する妻、アンバーの姿を留めた、化け物のボスだった。

「アンバー…俺が、全部終わらせる」

健吾は最後の力を振り絞ってボスに立ち向かった。だが、力は圧倒的だった。激しい格闘の末、彼はボスとなったアンバーによって組み伏せられる。

牙が彼の首筋に食い込み、熱い痛みが走った。彼は知った。これで終わりだと。

ウイルスは、彼という抗体を持つ最後の理性的な人間をも飲み込んだ。痛みと狂気が全身を駆け巡り、彼の肌も徐々に青く染まり始める。意識が遠のく直前、健吾はポケットから調査用のメモ帳とペンを取り出し、震える手で最後の言葉を書き付けた。

「ボスはアンバー」

日本は青い肌の化け物の国と化した。その頂点には、かつての愛と優しさを完全に失った、アンバーという名のボスが君臨している。

健吾は、アンバーの忠実な、新たな青い化け物の一員として、かつて愛した女性の支配下で、永久の狂気の中で咆哮を上げ続けた。彼の人生を賭けた考古学の発見は、皮肉にも、文明を終わらせる災厄となったのだ