この話はフィクションです。

プロローグ:夢の設計図

佐藤啓一がこのプロジェクトに懸けた思いは、単なるビジネス上の取引に留まらなかった。それは、長年の努力と、家族の未来を託すための「城」を築く、積年の夢の結実だった。

彼は夜遅くまで図面を広げ、何度も線の引き直しを命じた。陽光が差し込む大きな窓、子供たちが安心して駆け回れる頑丈な基礎、そして何より、自分たちの理想を形にした空間。そのすべてが、まもなく現実のものとなる。

緻密な計画と厳しい資金調達を経て、ついに建設フェーズに入る。佐藤は、数ある業者の中から、堅実な企業イメージを持つ「黒鋼建設」を選んだ。彼らに託せば、この設計図は揺るぎない確かな形になると信じていた。

全ては順調に進むはずだった。この契約書にサインをすれば、長年の夢が現実の輪郭を持つ。彼はペンを握りしめ、高揚感と、新たな始まりへのわずかな緊張を覚悟した。

まさか、その一歩が、半年にも及ぶ、人間の悪意と不誠実に満ちた戦いの幕開けになろうとは、その時の佐藤は知る由もなかった。

第一章:契約書に潜むノイズ

佐藤啓一は、自社の営業として数多の契約を見てきたプロだった。だからこそ、その時、わずかな違和感が彼の胸に引っかかった。

契約を結んだのは、中堅デベロッパーの「黒鋼建設」。担当として現れたのは、慇懃な笑みを浮かべた田島と、事務的な口調の篠原という二人の担当者だった。

「田島さん、篠原さん。事前の確認資料と、この最終契約書、この第十七条の瑕疵担保期間の文言が異なっていますね」 佐藤は落ち着いた口調で指摘した。

すると、田島は顔色一つ変えず、しかし明確な冷淡さをもって言い放った。 「ああ、それは事前のお打ち合わせで口頭でご説明差し上げております。問題ございません」

事前に説明した。その一言に、佐藤は背中に寒気を感じた。こちらが別途質問をした際の、あの曖昧な回答は何だったのか。明確な不利を生む変更点にもかかわらず、一切触れず、契約段階で指摘すると「説明済み」で押し通す。

「ふむ……」 大した損失ではないと判断した佐藤は、この件で揉めても詮無いと、一旦矛を収めた。ただ、この会社は信用できない。彼のプロとしての直感が叫んでいた。

「承知しました。ただし、今後は全てのお打ち合わせを録画させていただきます。記録の食い違いは避けたいので」

二人は一瞬、顔を見合わせたが、あっさり同意した。その時から、佐藤と黒鋼建設の間に、目には見えない戦場の境界線が引かれた。

第二章:守られなかった「是正の約束」

それから数ヶ月。懸念は現実となった。別の案件で、契約の根幹に関わる重要な仕様が、事前の約束と異なっていることが発覚したのだ。

佐藤は冷静に、しかし鋭く核心を突いた。

「この件について、万が一、貴社の責任で間違っていた場合、どのように対応されますか」 佐藤は記録を残すため、メールで改めて尋ねた。

返ってきたのは、慇懃無礼な田島からの、力強い一文だった。

『こちらの責任で間違いが生じた場合は、速やかに損害賠償、または完全なる是正を履行いたします』

明確な、確約だった。佐藤はこの文面を保険として心に留めた。

しかし、その約束は、ものの見事に破られる。

問題点を指摘してから二週間、黒鋼建設からは一切のフォローがなかった。催促のメールを送ると、彼らは時間を稼ごうと不毛な議論を繰り返す。佐藤が強硬な態度で責任の所在を詰め寄ると、ようやく会社は「責任を取る」という方向性を示した。

そして届いた、信じがたい提案。

『つきましては、以前、弊社側で失念しておりましたご請求額がございます。その未請求分を相殺する形で、今回の件の責任とさせていただきます。つきましては、ご請求書より当該金額を割引いたしますので、ご容赦ください』

佐藤はPC画面を何度も見返した。未請求だった過去の金額を、今回の過失に対する「賠償」として差し引くというのか。これは、トラブル解決ではない。ただの経理上の調整を、免罪符として差し出しているのだ。営業のプロとして、これほど顧客を愚弄し、プライドを傷つける対応を、彼はかつて見たことがなかった。

第三章:クズ取締役の誕生

佐藤は怒りに震えながら、田島と篠原の上司、役員レベルの人間との面談を要求し、即座の担当者交代を求めた。

しかし、上層部からは沈黙が返ってきた。それどころか、佐藤の怒りのメールに対し、担当者交代どころか、その担当者たちを擁護する返信が来る始末。佐藤は、最初に得た「損害賠償か是正を行う」という確約を再度突きつけたが、黒鋼建設側はそれを無視し、ひたすら論点をずらして「ゴネる」姿勢を崩さなかった。

膠着状態が続く中、黒鋼建設は一人の人物を責任者として紹介してきた。

「葛西竜馬と申します。弊社の取締役です」

取締役。だが、実態は株主でもない「名ばかり」の役職。佐藤はその肩書きよりも、この男との最初のメールのやり取りで、彼が単なる「ゴネ担当」ではない、本物の「クズ」であると直感した。

葛西取締役のメール対応は凄まじかった。質問にはまともな回答がなく、回答手順は滅茶苦茶、そもそも文章構成すら破綻している。彼は議論のプロではなく、ただ相手を疲弊させるための攪乱要因だった。

佐藤はついに堪忍袋の緒が切れ、調停への移行を決意する。調停準備のため、一時的に連絡を中断する旨を伝えたにもかかわらず、一ヶ月も経たぬうちに、葛西取締役から催促のメールが届く。

その内容がまた、佐藤の血圧を上げた。

『貴方が悪いから、お金は一切支払いません』

調停を準備している期間に、自己の責任を全面的に否定する内容の催促を送ってくる。これが、まともな企業の取締役の行動だろうか。

第四章:城塞の崩壊

佐藤が調停の書類を一通り揃え終えた頃、次の手が来た。先手必勝とばかりに、黒鋼建設側の弁護士から連絡が入ったのだ。

その弁護士も、ブラックな投資会社の顧問を務めるという曰く付きの人物。ブラックにはブラックが集まるという、あまりに絵に描いたような構図だった。弁護士からの連絡は「もし契約を解約すれば、手付金は一切返金しない」という、恫喝にも似た内容だった。

イライラが頂点に達した状態で、調停の場が開かれた。

そこで対峙したのは、葛西取締役、その人だった。調停委員が双方の主張を確認しようと問いかける中、葛西取締役はただひたすら、

「払いません。払う義務はありません」

を繰り返す。論理も説明も存在しない。人の話をまったく聞かず、まるで壊れた人形のように同じ言葉を反芻する姿に、佐藤は戦慄を覚えた。彼の脳に、議論を成立させるための機能は備わっているのだろうか。

無駄な時間が過ぎていく。葛西の抵抗は、やがて無意味なものと理解されたのだろう。

調停の最中、何の予兆もなく、黒鋼建設側の弁護士から、唐突に「全額返金する」という連絡だけが来た。状況の説明も、謝罪の言葉も一切ない。まるで何事もなかったかのように、話は唐突に終わりを告げた。

半年以上。人生の貴重な時間をこの泥沼の戦いに費やした。勝利はした。だが、残ったのは疲労と、人間の醜い部分を見たことによる深い不快感だけだった。

佐藤は改めて、契約を検討する全ての者へ警告する。

黒鋼建設は、証拠があっても無視し、日本の法律が禁止していない「ゴネ得」を狙って、永遠にごねてくる会社だ。 とりわけ、地盤調査の結果を無視し、国の10年保証期間を過ぎれば知らないと言い放つような、利益最優先の倫理観のない経営方針は、企業として破綻している。

彼らの「ゴネ得の城塞」に、足を踏み入れてはいけない。

この話はフィクションですが、こんな会社は世間にゴロゴロしてます。