一章 閉塞の時代

それからさらに10年が経った。

「公約記録・公開法」と「公職選挙法厳罰化」は、政治の世界に完全な定着を見ていた。田中剛毅の逮捕、そして藤野廉の敗北が、このルールの「本気度」を国民に深く刻み込んだ結果だった。

結果、政治家は「結果」を出さなければ、文字通り財産を失い、政治生命を絶たれることになった。同時に、「年齢上限法」によって、現場の平均年齢は大幅に下がり、若手や新人が中心となっていた。

しかし、その「新しい政治」の空気は、希望ではなく、奇妙な閉塞感に満ちていた。

衆議院選挙の公示日。国営放送の特設スタジオで、コメンテーターたちが候補者の掲げるマニフェストを紹介している。

「…さて、こちらの新人候補、32歳。掲げる公約は…『全ての公園の砂場を毎日清掃します!』、そして**『小学校の給食の残飯をゼロにします!』**」

「素晴らしい! 具体的で、達成度が測りやすい! しかも確実に結果が出せますね!」と女性コメンテーターが手を叩く。

別の候補者の公約が映し出された。 「こちらは現職議員、39歳。公約は**『全ての信号機に、残り時間のデジタル表示を導入します!』『地元のゴミ収集車のルートを最適化し、ガソリン代を10%節約します!』**」

スタジオ内は称賛の嵐だった。「完璧だ! 達成度が数値で一目瞭然! これぞ新しい政治だ!」

第二章 「できないこと」の排除

藤野廉の敗北以降、立候補者は皆、徹底的に「公約達成度スコアボード」を意識するようになった。

過去の偉大な政治家たちが掲げたような「国の抜本的な構造改革」「外交による国際貢献」「持続可能な社会保障制度の確立」といった、**「一期4年で達成度が測りにくい」「抵抗勢力との調整で頓挫する可能性が高い」**公約は、全て排除された。

誰もが、公職選挙法の罰則による「全財産没収のリスク」を恐れた。

「砂場清掃」や「信号機のデジタル化」であれば、予算さえつけば行政手続きだけで達成できる。結果は「清掃済み」「導入済み」と明確に100%で表示される。

その結果、永田町に集まる政治家たちは、**「失敗するリスクのある大きなビジョン」を語る能力と意欲を失い、「確実に達成できる小さな事業」**を粛々と実行する、優秀な「自治体の事業部長」のような集団になっていた。

国民は、小さな公約が着実に達成されることで、一時的に政治への信頼を取り戻した。信号機はデジタル化され、公園は清潔になり、ゴミ収集車は効率的に動いた。

しかし、肝心の国の大きな問題は、何一つ手つかずのまま放置された。

第三章 危機の本質

4年が過ぎ、次の選挙の時期が迫ってきた。藤野が負けた選挙から14年。彼の息子である藤野 勇(ふじの ゆう)30歳が、立候補を決意した。

勇は父の轍を踏まないよう、公約を厳選した。 彼は勇気を出して、**「深刻化する国の財政赤字の縮減に向けた歳出削減法の制定」**を公約の柱に据えた。

駅前の巨大なスコアボードの前で、勇は演説した。 「私は、砂場を掃除するために政治家になったのではありません! 残されたこの国の借金と、高齢化の波に、真正面から立ち向かうためです!」

聴衆はポカンとしていた。

「あの人、何言ってるの? 財政赤字? それ、4年でどうするの?」 「無理でしょ。絶対100%にならない公約じゃん。あんなの掲げたら、次の選挙で地獄を見るって分かんないのかな?」 「どうせ、田中剛毅と同じ『口だけ政治家』だよ。私は、確実に残飯をゼロにしてくれる候補に投票するわ」

勇の公約は、選挙のプロたちから「自殺行為」と嘲笑された。彼の対立候補は、現職議員が掲げる**「全ての交差点の舗装を、水たまりができないように完璧にします!」**という公約だった。

結果は、勇の惨敗だった。公約の達成度が0%になるリスクを、国民も政治家も恐れたのだ。

第四章 幼稚園児の国会

新しい国会が始まった。

議場では、議員たちが真剣な顔で、しかし極めて小さな問題について議論している。

「本日の議題は、『国会議事堂周辺の自販機の設置場所最適化』についてであります。これにより、移動距離の短縮による議員の健康増進を公約として掲げておりますが…」

「賛成!」と一人の議員が手を挙げた。「確実に達成できる公約であり、国民への裏切りには繋がりません!」

一方で、外交、安全保障、少子化対策といった「大きな問題」に関する議論は、ことごとく後回しにされた。誰もが「達成できない」公約を掲げて、次のスコアボードで「裏切り者」の烙印を押されることを恐れた。

国会は、**「100%達成できる小さな約束」**だけを議論する、まるで幼稚園の「今日の目標」を決める集まりのようになっていた。

その結果、国民の生活は清潔で、効率的で、小さな問題には満点だった。しかし、社会の基盤となるべき「未来へのビジョン」と「大きな挑戦」は完全に失われ、国全体が緩やかに衰退し始めていた。

ある夜、藤野 勇は、父・廉がかつて敗北した選挙の夜に書いた手記を読み返した。

《…このルールは「嘘つき」を排除する前に、「有言実行を試みた者」から順に、絶望させていくだろう。》

勇は、父の言葉の意味を今、痛いほど理解した。

厳罰化は、政治家から「嘘」を奪った代わりに、「勇気」と「挑戦」を奪い去った。

今、この国に必要なのは、小さな約束を確実に守る「事業部長」ではなく、「失敗を恐れずに大きなビジョンを語る」覚悟を持った、バカ正直な「政治家」だった。しかし、そのバカ正直な人間は、この「結果責任の檻」の中で、選挙に勝つことができないのだ。

勇は、外を歩く人々の無関心な顔を見つめた。彼らの小さな日常は守られたが、大きな未来は、すでに誰にも見向きもされず、朽ち始めていた。