地方支店の日常と、チャーリーの安寧
東北支店の朝は、静かだった。ハマ・ソウスケ支店長が出勤するのは、朝九時を少し過ぎた頃。彼に急ぎの仕事などない。彼は支店長室に入ると、まず秘書にコーヒーを入れさせ、スポーツ新聞と地元のニュースに目を通すのが日課だった。
「ふむ。今日の地元の話題は、また温泉旅館の廃業か。寂しいねえ」
彼の人生は、東京での派手な失敗の代償として得た、この地方での「穏やかな安寧」を維持することに尽きる。仕事のメールは本社からの形式的な通知ばかりで、重要な案件は全て「東京の誰か」が責任を持って処理してくれる。彼がやるのは、月末のハンコ押しと、週に一度の朝礼で適当に威厳を示すことだけ。部下たちが自分を「チャーリー」と呼んで嘲笑っていることなど、とっくに知っている。しかし、嘲笑されても責任が伴わない現状の方が、彼にはよほど心地よかった。
「定年まで、あと13年か」
彼は窓の外の、静かに雪解けが進む山々を眺めながら、残りの人生のカウントダウンを心の中で行った。
そんな安寧を破ったのは、一本のメールだった。タイトルは、「【特急】東北地方最大手製造業 A社 次世代設備導入コンペティション参加要請」。
ハマは眼鏡をかけ直し、内容を読んだ。A社は東立にとって長年の顧客だが、保守的な体質で新規導入には消極的だった。そのA社が、次世代の主力設備を他社とのコンペで決めるという。本社はこれを「地方支店の奮起のチャンス」と捉え、東立の威信にかけて受注せよ、と強硬な指示を送ってきた。
ハマはすぐに支店の会議室に社員たちを集めた。
「皆、知っての通りだ。A社のコンペだ。これは、我々東北支店の、いや、東立全体の未来がかかっている!」
口では威勢のいいことを言ったが、ハマの内心は、(面倒くさい。なぜこんな責任を押し付けてくる)という不満で満ちていた。
会議室は静まり返っていた。皆が下を向いている。
まず、ベテランの男性社員が口を開いた。
「支店長、恐縮ですが…私は今、長年のB社案件の納期調整で手が離せず。既存取引の継続が最優先かと」
別の若手社員も続いた。「私もC社のメンテナンス対応で、現場を離れることができません。この大型案件は、東京の精鋭に任せるべきでは?」
皆が皆、「既存のルーティンワーク」を盾に、責任の重い新規案件から逃げようとしていた。彼らは知っているのだ。どうせ負けるコンペで、敗北の責任だけが支店に押し付けられることを。そして、その責任を負いたくないという、地方支店特有の「事なかれ主義」が、この空間を支配していた。
ハマは内心で彼らを罵った。(この臆病者どもめ。責任から逃げるのは私も同じだが、お前たちの逃げ方はあまりにも露骨だ)
会議が膠着する中、ハマは、この空間で唯一自分を裏切らない(と彼が思い込んでいる)三人の女性に目を向けた。アマツカ・マヤ、ハナゾノ・ミヤ、そしてサイオン・サヤ。
ハマは軽く咳払いをした。
「……皆の事情は分かった。だが、この支店で、誰が私を、そして東立を信じて動いてくれるのか。私には、信じられる部下が必要だ」
その言葉に、三人の女性の目が輝いた。
アマツカ・マヤ(41歳、営業): 彼女は、すぐに立ち上がろうとするポーズをとったが、少しだけグズグズと時間を置いた。
「支店長……私のような者で、お役に立てるのかしら。私、すぐに混乱しちゃうタイプだから……」
マヤは「私のような者」という言葉で、自分の美貌と繊細さをアピールし、同時に「混乱する」という言葉で、「私を助けてくれる優秀な男性が必要だ」というメッセージを、ハマに送った。ハマは、彼女の「縋り付くポーズ」に満足した。
ハナゾノ・ミヤ(44歳、営業): マヤの隣で、ミヤは胸を張って発言した。
「支店長!私にやらせてください!東京の頭でっかちなエリートには分からない、現場の泥臭い力が、私にはあります!私は中卒の叩き上げです!熱意なら誰にも負けません!」
彼女の言葉は、コンペの内容とは一切関係なかったが、彼女の「自分は優秀なキャリアウーマンである」という妄想を支える、根拠のないポジティブなエネルギーに満ちていた。ハマは、彼女の熱意が、面倒な仕事を全て引き受けてくれるだろうと確信した。
サイオン・サヤ(43歳、技術): サヤは、口を開く前に、隣に座っていた男性社員に静かに睨みをきかせた。その社員はサヤの癇窶を恐れて、思わず椅子を引いた。
「私はグローバルな視点を持っています。この国内だけのガラパゴスな議論は聞き飽きました。A社の次世代設備は、私の海外経験と最先端の知識なくしては、成功しません。やります。ただし、私のやり方で。そして、失敗の責任は、私の邪魔をする人間に負わせます」
彼女は「華やかな仕事」には飛びつくが、「責任」は徹底的に回避する、という二律背然とした態度を露わにした。ハマは、サヤが「華やかな仕事」に熱中する限り、雑務は他人に押し付け、自分は責任を負わないだろうと計算した。
ハマは、コーヒーを飲み干した時のように、満足げに手を叩いた。
「よし、分かった!この大役は、この三人に任せる!アマツカ、ハナゾノ、サイオン!君たち三人に、東立の未来を託す!」
三人は顔を見合わせ、それぞれの思惑で微笑んだ。
マヤは、(これで支店長に完全に気に入られた。面倒な仕事は、東京の若者にやらせて、私は安泰) ミヤは、(ついに私の真の能力が認められた!私の熱意で、このコンペは勝てる!) サヤは、(これで、この支店のドメスティックな雑務から逃れられる。華やかな大舞台で、私のグローバルな才能を見せてやる!)
ハマは、彼らに、本社から送られてきたばかりの分厚いコンペ資料を、まるで王冠を与えるかのように渡した。
(さて、これで私に責任は来ない。どうせ負けるコンペだ。どうでもいい女たちに、どうでもいい仕事をやらせて、定年まで平和に過ごせればそれでいい)
ハマの心の中には、三人の女性に対する感謝の念など微塵もなかった。あるのは、面倒事を押し付けたことによる「安堵」と、彼らを裏で嘲笑する社員たちを出し抜いたことに対する「優越感」だけだった。
こうして、「チャーリーズ・ブラックエンジェル」は、自らの人生の歪んだ動機に基づき、東立の命運を賭けた出来レースへと送り出されることとなった。彼女たちの滑稽な奮闘は、既に始まっていた。
コンペのプレゼンテーションまで一週間を切った。本社から派遣された若手サポートの田中(技術)と伊藤(営業企画)は、連日の残業で顔に隈を作りながら、三人の「エンジェル」たちの支離滅裂な要求と、それに伴う膨大な修正作業に追い詰められていた。
天塚マヤは、提案書の最終レビューという重要な段階にもかかわらず、オフィスで頻繁に「体調不良」を訴え、席を外すことが増えた。
「あら、ごめんなさいね。私、こういう締め切り前のピリピリした空気って、肌に合わなくて。ちょっと頭を冷やしてくるわ」
彼女はそう言って、優雅に化粧ポーチを持って喫煙所(あるいは近くのカフェ)へと向かう。もちろん、提案書の重要なチェック項目は放置されたままだ。彼女の意図は明白だった。「優秀な田中くんか伊藤くんが、私が席を外した間に、私の分までミスなく仕上げてくれるだろう」という、他者依存の極致である。
伊藤は、マヤが空欄のまま放置した価格調整のページを見て、頭を抱えた。「またかよ…!なんで自分で確認しないんだ!」
花園ミヤは、提案書の中身よりも、いかに自分が主役となるプレゼンを盛り上げるかに注力していた。
「伊藤さん、この表紙、もっと私を出した方がいいわ!『高学歴の常識を…』ってスローガン、もっと大きく!私が前に出ないと、魂が伝わらないでしょう!」
ミヤは、コンペ資料の背表紙に、自分の名前を他の社員よりも一回り大きなフォントで印刷させようとしたり、プレゼンの構成を勝手に「中卒叩き上げの私の半生と、そこから学んだ仕事の真髄」といった自己啓発セミナーのような内容にすり替えようとしていた。
「花園さん、プレゼンは弊社の技術と実績を説明する場です。個人の経歴は…」伊藤が静かに反論する。
「うるさい!あなたは頭でっかちだから分かんないのよ!私の情熱こそが東立の武器なの!これが、私に託された仕事なんだから!」
ミヤは、提案書の内容をほとんど理解していないため、その中身について議論する代わりに、自身の熱意と妄想を武器に、論点をずらし続けた。
西園サヤに至っては、提案書作成の現場から完全に姿を消していた。
「サヤさんは?技術的な最終確認が必要なんですが!」田中が尋ねる。
「ああ、西園さんなら……『こんなドメスティックな資料の確認は私のグローバルな時間の無駄だ』と仰って、今日は直帰されました」
サヤは、自分の才能が正当に評価されない「日本の閉鎖的な職場環境」に耐えられないという理由で、重要な局面から逃亡したのだ。その際、田中には「最終的な技術的な不備があったら、それは全てあなたの責任よ。私に恥をかかせたら許さない」と、脅迫めいた言葉を残していった。
田中と伊藤は、互いに顔を見合わせた。彼らは、この三人が「チャーリーズ・ブラックエンジェル」と呼ばれる理由を、骨身に染みて理解し始めていた。
ハマ・ソウスケ支店長は、この混乱の渦中にあるオフィスで、静かに珈琲を飲んでいた。彼は、田中と伊藤が疲弊しきっていること、三人の女性がまともに仕事をしていないことを全て知っていた。
ある日、田中が意を決して支店長室をノックした。
「支店長。失礼します。実は、このままでは提案書が破綻します。天塚さんは重要な部分を放置し、花園さんは非現実的な内容に固執し、西園さんは逃亡しました。どうか、支店長から指示を……」
田中は、ハマ支店長が「チャーリー」と揶揄される無責任な人間ではなく、最後に責任を果たしてくれることを、心のどこかで期待していた。
ハマは、コーヒーカップを静かに置き、田中をまっすぐに見つめた。彼の表情は、優しさと、微かな威厳に満ちていた。
「田中くん。君の苦労は、私にはよく分かっている。だがね、この案件は、私が全幅の信頼を置いている彼女たち三人に託したものだ」
ハマは、わざと「信頼」という言葉を強調した。
「彼女たちは、君たち本社エリートには理解できない、女性特有の繊細な視点や、現場叩き上げの情熱、そしてグローバルな思考を持っている。君たち若者は、彼女たちの個性を潰そうとしていないか?」
「ですが、これはビジネスの提案書であり、個人の個性でどうにかなるものでは……」
「ストップだ、田中くん。君は、『頭でっかち』になっていないか?彼女たちが君を信じ、君も彼女たちを信じなければ、チームは成り立たない。私は、彼女たちを最後まで信じ抜く。君も、私を信じて、彼女たちをサポートしてあげてくれ。君ならできる」
ハマは、田中を褒め上げることで、「彼女たちを信じられない君が悪い」という責任を暗に負わせた。そして、「サポート」という名の「全ての尻拭い」を要求した。
田中は、絶望的な気分で支店長室を後にした。彼は理解した。ハマは、自分の保身のためだけに、三人の女性を「責任の盾」として利用し、自分は「部下を信頼する立派な上司」という無責任な役割を演じ続けているのだと。
結局、提案書は、田中と伊藤の徹夜の努力によって、なんとか形になった。
価格設定の空欄は、田中が独断で攻めた数字を入れた。 ミヤの書いたスローガンは、伊藤がフォントを小さくして、目立たない隅に追いやった。 サヤの要求した非現実的な技術は、田中が「将来的な可能性」として抽象的な記述に留めた。
翌朝、完成した提案書を見た三人の反応は、予想通りだった。
マヤ:「あら、田中くん、やっぱりあなたって優秀ね。私が少しグズグズしただけで、こんなに完璧にしてくれるんだから」 ミヤ:「魂が足りないけど、まあいいわ。あとは私のプレゼンでカバーする!」 サヤ:「ふん。私のグローバルな知見を少しも活かせていない。この提案が失敗したら、全てあなたたち本社組の責任よ」
ハマは、その状況を見て、心底安堵した。これで、コンペに負けても、全ての責任は「提案書作成を主導した三人と、それをサポートした若手」に向かう。自分は、「彼らを信頼し続けた善良な上司」として定年まで逃げ切れる。
そして、運命のコンペの日を迎える。三人の「チャーリーズ・ブラックエンジェル」は、自らの人生最大の舞台だと信じ、クライアントの会議室へと向かっていった。
彼女たちの滑稽な舞踏は、今、まさにクライマックスを迎えようとしていた。
コンペ当日。クライアントであるA社への訪問を前に、東立東北支店のミーティングルームは、異様な緊張感(と、三人の女性の自己主張)に包まれていた。
ハマ支店長は、自分は「見守る立場」として、余裕の表情で隅の席に座っていた。彼はネクタイを締め直し、三人に声をかけた。
「君たちならやれる。自信を持って、胸を張って行ってこい。何かあったら、私がバックアップする」
その「バックアップ」が具体的に何もないことを、ハマは知っていた。
アマツカ・マヤは、いつになく入念に化粧を施していた。「こういう大事な場は、見た目も重要だもの。私のような者が、東立の顔になれるなんて、光栄だわ」彼女は、自分の美貌が、内容の薄さを補ってくれると信じていた。
花園ミヤは、プレゼン資料を抱きしめ、何度も深呼吸を繰り返していた。「よし、私の魂をぶつける!高学歴の奴らに、現場の力を見せつけてやる!」彼女の目は血走っていたが、それは仕事への熱意ではなく、自己承認欲求の炎だった。
サイオン・サヤは、自分の出番である技術説明の部分を、最後の最後まで確認しようとしない田中をギロリと睨みつけた。「田中、いいわね。私のグローバルな提案に、少しでもケチをつけたら、あなたを全世界共通の愚か者として本社に報告するから」彼女は、自分の失敗が許される余地を、言葉で徹底的に排除しようとした。
ハマは心の中で呟いた。(まるで、安っぽい芝居の主役たちだ。私は、ただの観客でいい)
A社の会議室。クライアント側の役員が並ぶ厳粛な雰囲気の中、東立のプレゼンが始まった。
最初にプレゼンに立ったのは、花園ミヤだった。彼女は、妄信的な自信に満ちた表情で、開口一番、伊藤が小さくしたはずの「魂のスローガン」を絶叫した。
「皆様!本日は、高学歴の常識を打ち破る、中卒叩き上げの私たちの魂の提案を聞いていただきます!」
A社の役員たちの顔に、微かな困惑と、隠しきれない嘲笑が浮かんだ。ミヤはそれに気づかず、さらにヒートアップし、提案内容よりも自分の半生と、現場の苦労話に終始した。
「私たちの力は、学歴なんかじゃない!現場で流した汗と情熱なんです!この東立東北支店の、叩き上げの熱意こそ、御社に必要な設備です!」
次の価格・納期調整の部分は、アマツカ・マヤが担当した。彼女は、提案書の数字をろくに理解していないため、曖昧な言葉を並べ、質問をかわそうとした。
A社の調達担当役員が鋭く質問した。「貴社の提案価格は、競合他社と比較して15%高い。この価格の根拠と、リスクヘッジについて具体的な説明を願いたい」
マヤはパニックになった。彼女は笑顔で乗り切ろうとした。「あら、そうなんですね。でも、この設備は長持ちしますし、それに、私どもが精一杯サポートさせていただきますから……」
彼女は、具体的な数字ではなく、自分の無力な笑顔と曖昧な言葉で、この危機を乗り越えられると錯覚していた。もちろん、答えになっていない。
そして、技術的な説明に入ると、サイオン・サヤが、待ちかねたように口を開いた。
「私たちは、世界標準を見据えた技術を提案します。従来の設備ではなく、私が海外で学んだAI統合システムを導入することで、御社の生産性は飛躍的に向上します!」
調達担当役員が再び口を挟んだ。「しかし、そのAIシステムは、当社の既存の制御システムとの互換性がなく、トータルコストで四倍になると試算しています。これは、技術的な独りよがりではないか?」
サヤの顔が紅潮した。彼女はすぐに、自分の提案の不備を指摘されたことへの癇窶を爆発させた。
「それは、御社の視野が狭すぎるからです!グローバルな視点で見れば、この程度の投資は当たり前!こんなドメスティックな思考では、御社は世界から取り残されます!私たちの才能と最先端の知見を、なぜ理解できないんですか!」
会議室の空気は、一気に凍り付いた。クライアントの役員たちは顔を見合わせ、静かに首を振った。
プレゼン終了後、A社の会議室の空気は、一気に凍り付いた。クライアントの役員たちは顔を見合わせ、静かに首を振った。東立の一同は部屋を退出させられた。
支店に戻った後、ハマ支店長が本社からの正式な連絡を待っていたところ、その日の昼過ぎ、支店の電話が鳴り響いた。電話に出たのはハマ自身だった。相手は、A社の調達部長。
「東立のハマ支店長さんか。単刀直入に言う。今日のプレゼンは史上最悪だ。特に、あの中卒だのグローバルだの叫び散らした担当者たちを、二度と我々の会議室に入れるな」
声は怒りに満ちていた。
「まことに申し訳ございません!私の監督不行き届きで……」
「監督不行き届きどころではない!我々としては、長年の付き合いもあるし、東立の技術力は一定評価している。本来なら、競合他社に切り替えるのが筋だが、設備メーカーの切り替えには多大なコストとリスクが伴う。これが、我々がそう簡単に他社に乗り換えられない悲しい現実だ」
調達部長は、東立の競合優位性ではなく、顧客側の「切り替えコスト」という現実的な鎖で東立が繋がれていることを露呈させた。
「結論だ。今回の案件は、継続する。ただし、条件がある」
ハマは耳を澄ませた。
「今後、貴社の東北支店の担当者とは一切やり取りをしない。連絡窓口は、貴社の東京本社の信頼できる担当者に一本化する。そちらで、今回の提案書にあった全ての矛盾と不備を、ゼロベースで修正し、責任をもって進めてもらいたい。支店は、単なる事務連絡のみとせよ。いいな?」
東立の勝利は、支店の手柄でも、提案内容の優位性でもなく、「過去の付き合いと、メーカーを切り替えるのが面倒だという顧客の都合」によって、かろうじて維持されたのだ。
「承知いたしました!本社にすぐに引き継ぎます!」
ハマは安堵した。これで案件は継続する。そして、面倒で責任の重い「尻拭い」は、東京の本社と、本社から来た若者たちが担うことになる。
ハマはすぐに本社に電話を入れ、A社からのクレームと、今後の窓口一本化の指示を報告した。
そして、支店に留まっていた田中と伊藤を会議室に呼び出した。二人は、疲労困憊の顔で座っていた。
「田中くん、伊藤くん。朗報だ。A社の案件、継続が決まった!これは君たちの頑張りと、東立の長年の実績が認められた結果だ!」
ハマは、勝利をまるで自分の采配のおかげであるかのように語った。
「ただし、A社から、今後の窓口を本社に一本化したいという要望があった。よって、君たちには、A社の要望に基づき、あの不備だらけの提案書の全てを、すぐに修正し、A社との具体的な調整に入ってもらう」
田中と伊藤の顔から血の気が引いた。
「えっ?我々がですか?あの提案書の修正は、技術、価格、納期と、すべてゼロから組み直す必要が……」田中が呻くように言った。
「そうだ。そして、君たちが東京へ戻った後も、この案件の最終責任は君たち本社担当者が負うことになる。A社はもう、この支店の人間を信用していない。頑張ってくれ、君たちの責任感と能力を見ているぞ」
ハマは、「責任」と「激務」という名の重荷を、本社から来た二人の若手に全て押し付けた。田中と伊藤は、三人の女性の尻拭いを、さらに東京に戻ってから激務という形で背負うことになった。
その日の夜。ハマ・ソウスケ支店長は、マヤ、ミヤ、サヤの三人を連れて、いつもの居酒屋「大漁」を訪れた。
四人が座敷に座ると、ハマは熱燗を注ぎながら高らかに宣言した。
「みんな!聞いてくれ!A社の案件、我々の勝利だ!」
三人の女性の顔が、一瞬で喜びに満ちた。
「勝利だ!さすが、支店長!」マヤは、泣きそうだった顔を一転させて、ぐい呑みを差し出した。
「そうよ、やっぱりね!私たちの熱意が通じたのよ!高学歴の常識なんかじゃ、ダメなのよ!私の魂のプレゼンが、A社の心を打ったんだわ!」花園ミヤは、勝利の原因を即座に自分のプレゼンに帰属させた。
「ふん。当然の結果よ。A社も、私のグローバルな提案の価値を、今さらになって理解したのよ。やはり、日本のドメスティックな発想は時代遅れなのよ。全ては、私の才能のおかげよ」サイオン・サヤは、敗北のリスクから逃げ回っていたことなど忘れ、全て自分の手柄にした。
誰も、この勝利が「顧客の切り替えコスト」と「本社担当者への責任転嫁」による、不本意で、薄氷を踏むものであることを理解しようとはしなかった。
「みんなよくやった!この勝利は、君たちの力だ!」
「今後は、君たち優秀な3人をエンジェルスと呼ぼう」
ハマの言葉は、三人の女性にとって、最高の賛辞となった。彼らの無責任な行動と、その結果としての「勝利」(実際は不戦勝に近いもの)が、彼らの自己認識の歪みをさらに強化した。
マヤは、「自分はグズグズしていても、周りの優秀な男性が助けてくれるから成功する」という信念を強めた。 ミヤは、「学歴のない自分こそが、情熱と勘でビジネスを動かす真のキャリアウーマンだ」という妄想を確固たるものにした。 サヤは、「自分はグローバルな視点を持つ天才であり、失敗は全て、自分の才能を理解できない周囲の無能さのせいだ」という癇窶を正当化した。
ハマは、熱燗を呷りながら、この勝利を心底楽しんでいた。
裏で彼女たちが「チャーリーズブラックエンジェル」と揶揄されていることを知っていた、そして彼女達が、そう呼ばれていることを知らないことも知っていた。
この滑稽さが、最高のつまみだった、心でほくそ笑む「いいぞ。このサンバカに勝利の興奮があれば、彼女たちは今後も私のいうことを聞くだろう。そして、責任は東京の若者が全て負う。私の安寧は、盤石だ」
居酒屋「大漁」の喧騒の中に、偽りの勝利と、強固になった自己妄想に酔いしれる、滑稽で幸福な四人の笑い声が響き渡った。
東立東北支店は、今日もまた、惰性という名の勝利に守られ、何事もなかったかのように平和な日常へと戻っていくのだった。