大型受注コンペの「不本意な勝利」から数週間後、東立株式会社本社から、全国の支店に向けて、新たな指令が下された。
「全支店新規開拓キャンペーン:トップセールスにマーケティングチームへのアサイン権」
一四半期(3ヶ月)で最も多くの新規顧客との成約件数を獲得した社員は、東京本社の中でも花形の部署である「マーケティング戦略チーム」に配属されるという。これは、長らく地方に留め置かれていた社員にとって、本社復帰、そして華やかなキャリアへの切符を意味した。
この指令は、東北支店の「チャーリーズ・ブラックエンジェル」たちの心に、久しく忘れていた「野心」という名の火を灯した。
アマツカ・マヤ:「マーケティングチーム…!華やかで、最先端で、私のようなタイプが行くべき場所だわ。東京に戻れば、またチヤホヤされる毎日が待っているわ!」 ハナゾノ・ミヤ:「ついに私の現場の叩き上げの力が、全国の頭でっかちな大卒に勝ることを証明する時が来た!本社でキャリアウーマンとして働けば、私の価値はさらに上がる!」 サイオン・サヤ:「マーケティングこそ、私のグローバルな視点を活かす場所よ!このドメスティックな東北から抜け出し、世界の市場を相手にする仕事が、私には似合っているわ!」
三人は、「マーケティングチーム」という響きが持つ華やかなイメージと、自己の持つ歪んだ価値観を結びつけ、キャンペーンに「やっき」になった。
ハマ・ソウスケ支店長は、この状況を静観した。
(新規開拓か。まあ、どうせ大した結果は出ないだろう。だが、彼女たちが夢中になっている間は、私の定年は平和に近づく)
三人の「ブラックエンジェル」は、このチャンスを逃すまいと、既存のルーティンを放棄し、新規顧客開拓に乗り出した。
一見すると、彼女たちの営業スタイルは、地方の顧客に妙に刺さる部分があった。
アマツカ・マヤ:すでに40歳を超えているマヤだったが、地方の閉鎖的な集落の60歳を超える男性経営者たちから見れば、「東京から来た、愛想の良い若い女性」として受け入れられた。「あら、社長さん、こんなに頑張ってらっしゃって偉いですね」と、どこか見下すような、甘えるような態度が、老獪な経営者たちの承認欲求をくすぐった。成約の中身はともかく、「話を聞く」という機会は増えた。
ハナゾノ・ミヤ:彼女の勢いだけはある営業トークは、会社の詳細な戦略や数字を理解していない中小企業のトップ層に、妙な熱量で伝わった。「私、叩き上げだから、御社の苦労はよく分かります!情熱と根性で、絶対に最高の機械を入れさせていただきます!」詳細まで詰めることのない、直感的な判断で動く経営者には、ミヤの勢いが「信頼」と誤認された。
サイオン・サヤ:地方の閉鎖的な環境にうんざりしていた若手や、自社の遅れた技術に焦りを感じていた経営者層にとって、「グローバル」という甘美な響きは抗しがたかった。「この機械を導入しなければ、御社は世界の流れから取り残されます!」とサヤがヒステリックに語ることで、顧客は「何かすごいもの」を導入できるという錯覚を抱いた。
三人は、それぞれに何件かの「成約」を積み上げた。しかし、この成約には重大な欠陥があった。
彼女たちの営業エリアである東北地方のポテンシャルは、東京、大阪といった主要都市圏の10分の1にも満たない。そして、彼女たちが成約してきた中小企業の大半は、東立の大型機械を受け入れるほどの財務的な余裕も、設備的なインフラも持っていなかった。
彼女たちの成約は、ほぼ全てが、「顧客の無理な背伸び」と「実現不可能な導入計画」の上に成り立っていた。
もちろん、マーケティングチームへのアサイン候補者である彼女たちに、顧客の財務状況や市場ポテンシャルを冷静に分析する能力などなかった。彼女たちにとって重要なのは、「成約件数」という目先の数字だけだった。
一見、好調に見えた「チャーリーズ・ブラックエンジェル」の活躍の裏側では、目に見えない破滅的な状況が進行していた。
表立った成約件数の十倍以上のクレームが、本社に舞い込み始めたのだ。
マヤの成約:商談で約束した「甘い納期」や「過度なサポート」が、現実の東立の規定と食い違い、「話が違う」と顧客から連日の苦情が入る。 ミヤの成約:「情熱で何とかなる」と説明した導入後のトラブルについて、具体的な解決策が皆無で、「勢いだけで騙された」と怒りの電話が殺到。 サヤの成約:「グローバルな最新技術」という言葉に踊らされた中小企業が、自社のインフラが対応できないことを知って激怒。「現実離れした説明でミスリードされた」と本社にまでクレームが及んだ。
そのクレームを受けるのは、営業窓口を本社に一本化された田中(技術)と伊藤(営業企画)だった。
「伊藤さん、また東北からだ!『マヤさんに言われた納期が守れないのは、お前たち本社の責任だ』って!」 「田中!この『グローバルなAIシステム』って、結局、顧客の既存システムじゃ動かないじゃないか!サヤさんの嘘の尻拭いで、こっちの案件が全部止まるぞ!」
二人は、以前のA社案件の尻拭いの上に、さらに三人の女性が作り出した「新規クレームの山」を背負い込むことになった。彼らの激務は常軌を逸していた。
しかし、肝心の東北支店では、一切のクレームは処理されない。クレームの電話は全て本社の窓口に転送されるため、ルーティンワークだけをこなしている支店には大した影響もない。
ハマは、この状況を面白がっていた。
(また東京の奴らが忙殺されているのか。全く、馬鹿なことだ。私は静かに珈琲を飲んでいればいい)
キャンペーン終了の日。結果は、冷酷な現実を突きつけた。
優勝者は、東京本社エリアの若手営業社員だった。
彼は、一件あたりの成約件数は少なかったが、全てが東立の大型機械を受け入れるに足る優良顧客で、確実な利益をもたらすものであった。ポテンシャルが10倍以上違う主要都市エリアでの営業が、地方の「数だけ集めた」成約を圧倒したのは当然の結果だった。
「チャーリーズ・ブラックエンジェル」たちの頑張りは、全社ランキングでも下位に沈んだ。彼女たちの「成約件数」は、その後のクレーム処理の手間を考慮すれば、マイナス評価でしかなかった。
その夜、東北支店の静かな敗者たちは、いつもの居酒屋「大漁」に集まった。
ハマは熱燗を傾け、三人の女性の愚痴を静かに受け止めた。
「やっぱり、運がなかったわ。私の繊細なアプローチは、きっと地方の鈍感な人には理解できなかったのね」マヤは、悲劇のヒロインを演じた。
「出来レースよ!どうせ、東京のエリートを勝たせるためのキャンペーンだったのよ!私たちの現場の魂なんて、本社には最初から評価する気がなかったのよ!」ミヤは、結果を全て他者の陰謀として処理した。
「当然よ!あんな閉鎖的な地方の市場で、私のグローバルな戦略が通用するわけがないわ!環境が整っていないのが悪いの!こんな田舎の人には、このすごさが理解できないのよ!」サヤは、地方の顧客と環境を徹底的に罵倒した。
三人の口から出るのは、「運」「出来レース」「環境」「田舎の人」といった、徹底した他責志向の愚痴ばかり。自分たちの能力や、案件選定の甘さについて反省する言葉は、一言も出なかった。
ハマは、そんな彼女たちに、満面の笑みで熱燗を注いだ。
「まあ、気に病むな。君たちは、最高の努力をした。そして、君たちの個性は、本社には理解できないほど、尖りすぎているのだ」
「マヤさん。君の繊細な心遣いは、本社には早すぎた。彼らは、君の真の美しさが理解できないんだ」 「ミヤさん。君の叩き上げの情熱は、頭でっかちな本社には眩しすぎたのだ。君こそが、東立の本当の力だ」 「サヤさん。君のグローバルな視点は、この国の閉鎖的な体制を変えてしまう力がある。本社が恐れたのだよ、君の才能をね」
ハマの「持ち上げる言葉」は、三人の女性の自己肯定感の歪みをさらに肥大させた。
三人は、敗北を「自分たちの才能が大きすぎたことによる必然」として受け入れ、再び酒を煽った。
(これでいい。彼女たちは、私の言葉で満足し、また明日からも、無責任で、熱意だけはある日常に戻るだろう。そして、面倒な責任は全て、東京の若者が負う。私は定年まで、この平和な支店で、静かに生き延びる)
居酒屋「大漁」の喧騒の中に、偽りの優越感と、無限に肥大した自己肯定感に酔いしれる、四人の笑い声が、いつまでも響き渡っていた。