新規開拓キャンペーンの終結後も、「チャーリーズ・ブラックエンジェル」たちがまき散らしたクレームの嵐は止まらなかった。田中や伊藤といった本社担当者が激務に苛まれる中、東立本社もこの東北支店の異常な状況を無視できなくなった。

「新規開拓キャンペーンでの成約は下位にもかかわらず、その後のクレーム発生率が群を抜いて高い」「顧客からの窓口変更要求が多発している」というデータは、もはや支店レベルの問題ではなかった。

そして、ついに本社は動いた。

ある日の朝、ハマ・ソウスケ支店長の元に、一人の男が送り込まれてきた。

「今日から、皆と一緒に働く、サワムラ・シンイチ副支店長だ。本社で営業企画部長を務めていた、エリート中のエリートだ」

サワムラ・シンイチ、40代前半。鋭い目つきと、理知的な雰囲気を持つ彼は、見るからに支店の「緩さ」とは対極に位置する人物だった。彼こそが、この腐敗した支店を浄化するために本社から送り込まれた「刺客」である。

ハマは、全社員を集めた支店朝礼で、サワムラ副支店長を紹介する際、あえて彼の「権力」を強調した。

「サワムラ副支店長は、私の片腕であり、時には私に代わってこの支店を仕切ってくれる存在だ。皆は、私への報告と同じように、彼に従うように」

ハマの意図は明白だった。「私の権力は分散された。次は、この男の番だ」というメッセージを、「ブラックエンジェル」たちに送ったのだ。

この紹介を受け、三人の女性の目は即座に輝いた。彼女たちは、自身の安寧と承認を確保するためには、「媚びるべき権力者」が必要不可欠だと知っている。

即座に彼女たちの「媚びる先」は、ハマ支店長からサワムラ副支店長へと切り替わった。

マヤは、サワムラの席に朝一番でコーヒーを運び、「副支店長のような知性的な男性が来てくださって、この支店も明るくなりますわ」と、美貌と甘えで彼の気を引こうとした。

ミヤは、「副支店長!私のような叩き上げの情熱が、御社の改革には必要です!私には現場の魂がありますから、何でも言ってください!」と、根拠のない熱意で自己アピールを始めた。

サヤは、「副支店長、私も海外経験があります。この支店のドメスティックな体質を、私と副支店長のグローバルな知見で変えていきましょう!」と、自分の才能が彼によってようやく認められると確信した。

サワムラ副支店長は、本社で数々の修羅場を潜り抜けてきた、ロジカルでまともな人物であった。彼にとって、「ブラックエンジェル」たちの行動は、「まともな社会人」のそれとは到底思えなかった。

彼は、着任してすぐに、彼女たちの悪癖を改善しようと試みた。

サワムラ: 「アマツカさん。なぜこの見積もり書の提出が遅れたのか。遅延は顧客の信頼を損ないます。今後は、締切の重要性を理解し、優先順位をつけてください」

マヤ: 「あら、副支店長。そうですよね。でも、締切を意識しすぎると、心が疲れてしまうんですよ。私、繊細なタイプだから。それに、誰も急いでくれと言わなかったし、優秀な副支店長なら、このくらいの遅れはカバーしてくれると思っていましたわ」

「心が疲れる」「優秀な人がカバー」という、マヤの謎ロジック。)

サワムラ: 「ハナゾノさん。この新規案件は、顧客の財務状況が非常に厳しい。リスクを精査せずに受注すれば、東立に大きな損害が出ます。客観的なデータに基づいた判断が必要です」

ミヤ: 「副支店長!データばかり見ていると、本当に大切なものを見失いますよ!この社長さんは、熱意がある!私の現場の勘が、この案件は絶対にいけると言っています!副支店長は、私の情熱を信じられないんですか!」

「熱意と勘」という、ミヤの根拠のない熱血ロジック。)

サワムラ: 「サイオンさん。あなたが提出した技術レポートには、具体的な実現可能性とコスト試算が全くありません。技術者は、夢だけでなく、現実も追うべきです」

サヤ: 「私のレポートは、グローバルなビジョンを提示したものです!あなたは、私の才能を、日本の狭いコスト感覚に押し込めようとしている!そんなドメスティックな発想しかできないから、この支店はダメなのよ!あなたは、私の敵ね!」

「グローバルなビジョン」という、サヤの逃避ロジック。)

サワムラは愕然とした。彼女たちは、まるで日本語が通じないかのように、ロジカルな指摘を全て自分たちに都合の良い感情論や責任転嫁の理屈で打ち返してくる。まさに「暖簾に腕押し」だった。

サワムラは、この支店の「がん」が彼女たちであるとすぐに理解し、徹底的な教育と指導に全力を注ぎ込んだ。しかし、東立という大企業では、創始者の意向で社員を簡単に解雇することはできない。彼に許されたのは、彼女たちを「まともな社会人」に更生させることだけだった。

だが、彼女たちの狂気は、サワムラの想像を遥かに超えていた。ロジックを無視し、感情的に逆ギレし、最終的に自分のせいではないと結論づける彼女たちとのやり取りは、サワムラの精神を容赦なく削っていった。

サワムラは、ハマ・ソウスケのように彼女たちを「コントロール」することも、「無視」することもできなかった。彼は真面目すぎたのだ。

結果、わずか三ヶ月で、サワムラ副支店長は心身ともに限界を迎え、うつ病と診断された。彼は、療養のための休職を余儀なくされた。

ハマ支店長は、この結果を予想していたかのように、内心でほくそ笑んだ。(馬鹿め。あの女たちの狂気は、生半可なエリートがコントロールできるものではない)

サワムラの休職前夜、送別会がいつもの居酒屋「大漁」で開かれた。心を病み、顔色の悪いサワムラを、三人の「ブラックエンジェル」が囲むという、異様な光景だった。

マヤ: 「サワムラ副支店長、お気の毒に。無理をなさるから、こうなるんですよ。もう少し、私たちみたいに肩の力を抜けばよかったのに」

「悪いのは副支店長の無理」という、他人事の優しさ。)

ミヤ: 「副支店長は、データやロジックにこだわりすぎました!もっと私たちの情熱を信じて、大胆にやればよかったんです!頭でっかちじゃ、現場はついてこれませんよ!」

「悪いのは副支店長のロジック」という、自己の正当化。)

サヤ: 「ええ。この支店のドメスティックな環境が、副支店長の才能を潰したんです。あなたは、環境の犠牲者よ!私のように、グローバルな視点を持っていれば、こんなことにはならなかったのに!」

「悪いのは環境」という、責任の外部化。)

誰もが、休職の原因が、彼らに「まとも」を強要しようとしたサワムラの正論にあったことを知っていた。にもかかわらず、「ブラックエンジェル」たちは、まるで悪いのは全てサワムラにあったかのように語った。

サワムラは、ぐい呑みを握りしめ、この状況を静かに見ていた。そして、最後にハマ支店長を見た。

ハマ・ソウスケは、サワムラの横に座り、優しく肩を叩いた。

「サワムラ副支店長。君は、頑張りすぎた。だがね、この支店の人間は、君のような鋭い刀だけでは扱えないんだ。彼らには、私のぬるま湯のような大風呂敷と、時にすべてを許容する腹の深さが必要なんだ」

ハマは、まるで全てを理解し、コントロールしていた「真の管理者」であるかのように振る舞った。サワムラは、その言葉を聞き、(私は、この男の「懐の深さ」が理解できていなかった。私が間違っていたのか)と、病んだ精神で錯覚した。

サワムラは、ハマ支店長の「懐の深さ」を知り、自己責任として療養休職を受け入れた。

チャーリーの再評価
この結果、本社は「サワムラのような優秀な人材でさえ、東北支店の異質な環境に対応できなかった」と判断した。そして、「長年、あの支店を平和に、何事もなく維持してきたハマ・ソウスケ支店長こそ、あの難解な地方支店を管理するのに最も適した人材である」と再評価した。

ハマ支店長の評価は、再び本社で「管理能力が高い」として上昇した。

彼は、熱燗を呷りながら、勝利の味を噛みしめた。これで、彼の定年までの安寧は、完全に保証されたのだ。