壱:静寂と喪失
私の名前は山野(やまの)さつき。四十歳。あの「若返り現象」が起きるまで、十年間、中堅のデイサービスセンターで介護福祉士として働いてきた。

佐伯様のお宅にも担当として伺っていた。和人さんの憔悴しきった顔と、綾子様のご機嫌を伺う日々。それが、私たちの日常だった。

そして、あの日。世界は一変した。

私が佐伯様のお宅に伺った時、目の前にいたのは、二十歳の美女だった。一瞬、詐欺かと思った。しかし、そのぶっきらぼうな口調は、まごうことなく綾子様のものだった。

「どういうことでしょうか」

私は茫然と立ち尽くすしかできなかった。和人さんに促され、その日は帰ったけれど、その後数日のニュースで、状況を把握した。要介護だった人々が、人生の最盛期の姿に戻り、そして寿命は極端に短縮されたのだと。

私のデイサービスセンターは、一週間で空(から)になった。

最初は、歓喜だった。多くの利用者が、自分で立ち、歩き、食事をする姿を見て、涙を流した。長年の苦労が報われたと、心から思った。

しかし、喜びはすぐに喪失感に変わった。

若返った人々は、その多くが十日以内に息を引き取った。若さを謳歌した後、元の姿に戻り、あるいはそのまま静かに逝った。私たちは、彼らの束の間の自由と、その後の静かな死を、ただ見守るしかできなかった。

数ヶ月後、私の仕事はなくなった。日本中の介護施設や病院が、同じ運命を辿った。介護保険の財源は莫大に余り、過重労働で疲弊していた私たちの肩の荷は降りた。だが、長年の習慣で朝早く目が覚めても、行くべき場所がない。

「解放された」はずなのに、心には大きな空席が残った。

弐:新しい支援の形
半年が過ぎた今、街は落ち着きを取り戻しつつあるが、人口は激減した。特に高齢者の割合が減ったため、介護という職業は、ほぼ消滅した。

しかし、私たち介護福祉士のスキル自体が、無価値になったわけではない。

国は、私たち介護人材を、今や「生活支援士」として再編した。ターゲットは、「新しく生まれた要支援者」と「残された障害者」だ。

新しい老人、障害者にどのように思うのか。

今、私たちが支援するのは、若返り現象で肉体的には回復しなかった、あるいは精神的な障害を負った人々だ。

「新しい老人」という概念は、もうない。皆、人生の終盤で一時的に若さを取り戻しただけで、その後の人生は、私たち健常者と同じ時間軸に戻った。

だが、あの現象は、私たちに「老いや障害とは何か」を問い直させた。

以前の介護は、「失った機能の代替」だった。立つこと、食べること、排泄すること。私たちは「代行者」だった。

しかし、今は違う。

私たちが接するのは、「生」の終わりを見てしまった人々、あるいは現象の影響を受けなかった「取り残された」障害者だ。彼らには、心のケアと、社会との繋がりが必要になった。私の仕事は、彼らが新しい社会で尊厳を持って生きるための「共存のデザイン」に変わった。

特に、認知症だったが若返り、再び発症してしまった高齢者へのケアは複雑だ。彼らは一瞬の輝きを経験した分、再び自己が失われていく恐怖を深く知っている。

私は思う。私たちは今、「機能回復」ではなく、「魂の解放」の担い手になったのではないだろうか。

参:シェアと共同体
仕事がなくなった後、多くの元デイワーカーは、失業手当で生活しながら、「新しいシェア」の概念に飛び込んだ。

新しいシェアについてどう思うのか。

これは、政府が提唱する「生活共同体シェアリング」だ。人口半減で空き家が増え、仕事の需要も減った今、私たちは生き方そのものを変えなければならない。

私は現在、元同僚数名と、大きな一軒家をシェアしている。

生活費のシェア: 私たちは一つの大きなキッチンで食事を作り、生活費を折半する。

スキルのシェア: 元看護師の友人は健康管理を、元栄養士の友人は食事指導を、そして私は生活支援のスキルを、地域住民や共同体のメンバーに無償でシェアする。

労働のシェア: 労働需要が激減したため、私たちは週に二日だけ、政府や地域のNPOの委託を受け、生き残った障害者の「伴走者」として働く。

これは、「お金を稼ぐ」ための労働ではなく、「社会を維持する」ための奉仕的なシェア労働だ。

最初は戸惑った。私たちはずっと、お金のため、評価のために働いてきたから。しかし、お金の価値が下がり、物質的な豊かさへの執着が薄れた今、この共同体的な生活は、かつてないほどの安心感を与えてくれる。

私たちは、あの時、多くの命が消えていくのを見た。そして、佐伯様の息子さんのような疲弊した介護者が解放される姿も見た。

この世界は、「老い」という絶対的な問題を、一時的な奇跡で解決した。しかし、その代償として、私たちに残されたのは、「生き方」そのものを問い直すという、さらに大きな課題だ。

私は今、介護士ではなく、「共同体の調整役」として、再び生きがいを見出し始めている。かつては孤独だった介護の現場が、今、地域全体へとシェアされて、新しい希望の光が灯り始めているのを感じる。