
凄まじい爆発の後、静寂が訪れた。辺りに残るのは、焦げた土の匂いと、降り続いた雨の湿気だけだ。先ほどまでミュージシャン風の男がいた場所には、煙を上げる黒い跡が残っている。
「勝った…のか?」
俺が呟くと、肩に乗っていたピカリスが、小さな手を上げてガッツポーズをした。
「やったよ響! 圧勝だ! あの人、能力者としての活動ができなくなっちゃったよ!」
『バトル・フィールド』の終焉が近いことを、俺は肌で感じていた。景色が揺らぎ始め、元の野原の風景に戻っていく。
「ふん。まあ、当然だ」
内心の興奮を抑え込み、俺はクールに言い放つ。だが、勝利の達成感はとてつもない。初めての戦い、初めての能力、初めての勝利。
ピカリスは震える声で言った。「あ、あの人、たぶん『アクア』系の能力者だったんだ。水を操ってバリアを作ったり、雨を降らせたり。でも、響の『魔雷光』に、まさか電気分解で爆発させられるなんて…」
「相手の能力を、そのまま利用させてもらっただけだ」
再び元の野原に戻ると、太陽はすでに西の空に傾き、夕焼けが広がり始めていた。
「とりあえず、このことは誰にも話すな。特に…」
俺がピカリスに口止めしている、ちょうどその時だった。
「響ー! どこにいるのよ!」
聞き慣れた、騒がしい声。それは、まさに俺が「特に」と口にしようとした人物のものだった。
「やっべ、葵だ…」
俺は慌ててピカリスを掴み、リュックの中に押し込んだ。ピカリスは「むぎゅっ」と小さな声を上げた。
「響、遅いよ! 委員会って言ってたけど、もうこんな時間だよ! 早く帰らないと暗くなっちゃうじゃん!」
野原の入り口から、星宮 葵が少し怒ったような、しかし心底心配しているような顔で走ってきた。体操服姿。どうやら、俺を待っている間に部活でもしていたらしい。
「うるせぇな。別に一人で帰れるだろ」
いつものように、つっけんどんに返す。さっきまで水素爆発を起こしていた男とは思えない、普通の中学生の顔に戻る。
「うるさくない! ほら、この野原の向こう、ちょっと暗くて怖いじゃんか! ねぇ、響、なんでこんなところで突っ立ってたの? 変なものとか見てない?」
葵は警戒するように野原を見回し、少し焦げた地面に気が付いた。
「うわ、なにこれ、焚き火でもしたの? 響、まさか野焼きとかしたんじゃないでしょーね!?」
「してねぇよ! 早く帰るぞ!」
俺は、焦げ跡から葵の意識を逸らすように、足早に歩き出した。リュックの中で、ピカリスが小さく震えているのがわかる。
葵は、俺の背中を見て、不満そうに口を尖らせた。
「全くもう! しっかし、響っていつもそうなんだから! 心配してるんだってば!」
そう言いながら、葵はすぐに俺の横に並び、再び、あのうっとうしい距離感で歩き始めた。歩く振動で、葵のリュックが俺の腕に触れる。
(うっ、うぜぇ…!)
俺は心の中で、強めに毒づく。しかし、リュックの中にいるピカリスに気付かれないよう、少しだけ体が硬くなるのを感じた。
「ねぇ、響。今日の給食のカレーパン、ちゃんと野菜残さず食べた? また残したんでしょ!」
「食ったよ!」
「嘘だ! 目が泳いでる! もう! 響は私がいないと、ほんとダメなんだから!」
葵はそう言って、まるで確認するように、俺の背中を、ポンポンと軽く叩いた。
家に帰り、自室のドアを閉めると、俺はすぐにリュックからピカリスを出した。
「ふぅ…危なかったよ、響。あの子、君の彼女?」
「ちげーよ! ただの幼馴染だ。余計なお世話でベタベタしてくる、鬱陶しいやつだ」
俺はソファーに座り込み、ピカリスを机の上に置いた。
「それよりも、さっきの戦いのことだ。ああいうのが、これから次々と来るのか?」
「そうだよ。妖精の王様を決める大会は、世界中で非公式に行われているんだ。能力者が君一人じゃないってことは、あのミュージシャンみたいな人が、他にもたくさんいるってこと」
ピカリスは、先ほどの興奮とは打って変わって、真剣な顔になった。
「そして、この大会のルールは一つだけ。『レッツダンス』の合意が成立すれば、そこで戦う。勝てば相手の妖精を奪うか、相手を大会から強制的にリタイアさせられる。負ければ、君の能力は消え、僕も他の能力者のものになるか、消滅する」
俺は腕を組み、冷静に考えるふりをした。
「つまり、俺たちは、常に周囲の人間を警戒しなきゃいけないってことか。誰が能力者かわからないからな」
「その通り! でもね、響。さっきの女の子…星宮 葵だっけ?」
ピカリスの言葉に、俺はビクッとした。
「なんだよ」
「彼女、君が戦いを終えて、異空間から戻った直後に現れたよね。もしかしたら、能力者は、戦いが終わった場所の近くに引き寄せられる性質があるのかもしれない…。あるいは、彼女も…」
「馬鹿なことを言うな。葵はただのドジで、余計なお世話な幼馴染だ。能力者なんて、ありえない」
俺はすぐにピカリスの言葉を否定したが、葵に背中を叩かれた時の、あの胸の微かな動揺が、まだ残っているのを感じていた。
翌日。
「響ー! 遅刻するよ、早く早く!」
今日も隣には、葵がいる。俺は、リュックの中のピカリスの存在を意識しながら、いつもより少しクールな装いを強める。
「うるせぇ。離れろ」
「もう! ほんと響は冷たいんだから!」
葵はそう言いながらも、楽しそうに笑っている。その時、俺たちの前を、一人の生徒が通り過ぎた。学年一の不良として知られる、図体の大きな三年生だ。
その不良が、俺と葵の前を通り過ぎる時、立ち止まり、葵に向かって声をかけた。
「よぉ、星宮。今日も可愛いな。俺とレッツダンスしねぇか?」
葵は怯えて、俺の背中に隠れた。俺は反射的に、不良に向かって睨みを効かせた。
(レッツダンス? こいつ、能力者…!?)
次の瞬間、俺は不良の腕を払い、ピカリスがいるリュックを庇うように、不良の前に立ちはだかった。
「何のつもりだ、てめぇ」
不良はニヤリと笑った。その笑みは、昨日戦ったミュージシャンと同じ、獲物を見つけた者の笑みだった。
目の前で不良がニヤリと笑うのを見て、神鳴 響は悟った。
(逃げても、無意味だ。こいつは戦う気だ。それに、この「レッツダンス」は、俺の能力を試すには絶好の機会だ…)
昨日逃げたのは、情報不足だったからだ。今は能力も技も、ある。
「ちっ。上等だ」
響は、不良の突き出された腕を払いのけず、むしろ自ら掌を叩きつけた。
パシッ!
響の手のひらが、不良の大きな手のひらに触れた瞬間、周囲の景色がブツリと途切れた。隣に立っていた葵が、驚いた表情のまま、一瞬で掻き消える。
そして、いつもの通学路が、瞬時にバトル・フィールドへと転送された。風景は同じだが、空気は張り詰めている。
「へっ、やるじゃねぇか、子猫ちゃん!」
不良は、響の同意を得たことに満足げに笑い、間髪入れずに突っ込んできた。
「死ね!」
響は、その巨体を受け流すように、反射的に横へ跳んだ。
不良の拳が叩きつけられたアスファルトが、深々と抉られる。響が身をかわした場所には、直径一メートルほどのクレーターができていた。
「なっ…!」
響が不良の腕を見ると、その腕は肩から先が巨大な、鈍く光る鋼鉄の斧へと変形していた。
不良は、響の驚きを察して、得意げに語りだした。
「へへ、驚いたか? 俺の能力は鉄(アイアン)だ。身体を好きなように鋼鉄化し、好きな形状に変形させることができる。『アイアンメイデン』の能力者だ、坊主!」
ほぼ同い年であろう相手の、能力名と二つ名を聞いて、響の心に中学生的な感性が沸き上がった。
(徹夜で考えた名前だろうな…! 名乗りに対して名乗らないのは、選ばれた者としての礼儀に反する!)
響は、昨日まで適当に決めたふりをしていた、とっておきの二つ名を引っ提げ、不良に向き直った。
「…神鳴 響(かみなり ひびき)だ。俺の能力は、雷を自在に操る力。『ライトニングボルケーノ』を持つ」
リュックの中で、ピカリスが小さく「ボルケーノって火山…響、ちょっと厨二病すぎない?」と呟いた気がしたが、響はそれを無視した。クールな装いは、こういった派手な名乗りで完成するのだ。
不良――アイアンメイデンは、響の能力名を聞いても、鼻で笑った。
「雷か。昨日も一人、雷使いを倒してやったぜ。鉄は電気を通すが、俺の鋼鉄化した肉体は、雷撃ごときじゃびくともしねぇ! むしろ、ただのショック療法だ!」
そう叫ぶと、アイアンメイデンは再び鋼鉄の斧腕を振りかざし、響に向かって突進してきた。
響は、その攻撃を紙一重でかわし続ける。アスファルトが砕け、街路樹が倒される。
(硬い…硬すぎる。昨日の水のバリアとはレベルが違う。真正面からの魔雷光では、バリアを吹き飛ばすのが精一杯だった。これを完全に貫通させるには、一瞬で核融合でも起こすレベルの熱量が必要だ…)
響は、逃げているふりをして、アイアンメイデンをある場所へと誘導していた。
「逃げてばかりじゃねぇか! やる気あんのか、ライトニングボルケーノ!」
アイアンメイデンが苛立ちを募らせた頃、響はちょうど、学校の裏手にある集積ゴミ捨て場へとたどり着いた。周りには、回収前の大量の金属ゴミや、錆びた自転車、空き缶などが山積みになっている。
響は、ここで足を止め、アイアンメイデンを振り返った。
「逃げていたんじゃない。準備を整えていたんだ」
「なんだと?」
アイアンメイデンが怪訝な顔をした瞬間、響は両手を前に突き出し、ゴミの山に向けた。
「残念ながら、俺のライトニングボルケーノは、単に雷を放つだけじゃねぇ」
響の体から、昨日よりも強力な紫色の電気が放たれる。しかし、それはアイアンメイデンには向かわない。電撃は、ゴミ捨て場一帯を包み込み、一瞬で磁界へと変えた。
「お前の能力は鉄だと言ったな。鉄は、電気をよく通し、そして、強力な磁力に引き寄せられる」
ギュルルルル…
響が、磁界の極を反転させた瞬間、ゴミ捨て場に山積みになっていた鉄くずや空き缶、自転車の残骸などが、一斉にアイアンメイデンに向かって襲いかかった。
「な、なんだこれ!? やめろ!?」
アイアンメイデンは、鋼鉄化した肉体を持っていたがゆえに、この超強力な電磁石の力から逃れられない。大量の金属ゴミが、轟音と共にアイアンメイデンの巨大な体を覆い尽くし、締め付け、動きを封じた。
「チェックメイトだ、アイアンメイデン」
響は、追い詰めた相手に、最後の雷撃を叩き込む。
「魔雷光(まらいこう)!」
ゴミの山に覆われたアイアンメイデンに、紫色の雷撃が直撃し、金属の山の中で、凄まじい放電と爆音が響き渡った。
激しい放電の数秒後、電磁場の効果が切れ、金属ゴミが地面に散らばる。その中心には、元の制服姿に戻った不良が、意識を失って倒れていた。彼に宿っていた妖精は、小さな灰色の塊となって、ピカリスの手に吸収された。
「勝ったよ! 響! すごいよ、雷の力で磁場まで操れるなんて!」
ピカリスが興奮してリュックの中で騒いでいると、バトル・フィールドが解除された。
景色が元に戻り、見慣れた通学路へ戻る。そして、目の前には、目を丸くして立ち尽くす、星宮 葵の姿があった。
葵は、不良が消えた方向と、響の顔を交互に見る。
「ひ、響…! 今、あのタカハシ先輩が、いきなり『うにゃー!』って叫びながら、ゴミ捨て場の方に突っ込んでいったけど…なにしたの!? 響、まさか、先輩に何か呪いでもかけた!?」
葵の頭の中では、響が不良をゴミ捨て場に誘導し、爆発的な力で倒したという現実は一切認識できていない。ただ、不良が奇声を上げて突っ込み、そして意識を失って倒れた、という絵面だけを見ているらしい。
(そうか、バトル・フィールドの外から見ると、能力者の行動は不自然な動きに見えるのか…)
俺は、一気に疲労を感じながらも、いつものクールな装いを崩さない。
「うるせぇ。勝手に転んだんだろ」
俺は倒れている不良には目もくれず、そっけなく答える。
「さっさと帰るぞ。べたべたするなよ」
「もう! 響ったら、またそんな! でも…なんか今日、響、ちょっと汗かいてるね? もしかして、先輩から逃げたんでしょ! ほら、ハンカチ!」
葵はそう言って、俺の額の汗を拭おうと、勢いよく手を伸ばしてきた。その余計なお世話と、手のひらから伝わる体温に、俺の心臓は再び、さっきの戦闘よりも激しく跳ねた。
(ああ、うぜぇ! でも、この緊張と弛緩の繰り返しが、もう日常になりつつあるのか…)