あのXデーの惨劇を経て、日本国は事実上、ヤマトタケルという一個人に屈服した。 政府、警察、軍事力。あらゆる抵抗が無意味であることを悟った国家に残された道は、彼の要求を全面的に受け入れることのみであった。

しかし、そこには現実的な壁があった。「議員定年制の導入」と「議員数の十分の一への削減」。これらを合法的に実現するには、現行法の改正と、何よりも国会の解散総選挙が不可欠であった。 命が惜しい議員たちは即時の賛成を望んだが、選挙の準備、周知期間、そして投開票の物理的な時間を考慮すれば、当初の期限である「一か月後」には到底間に合わない。最低でもあと二か月は必要だった。

約束の期限であった翌月三十日。 恐怖に包まれた国会議事堂には、前回の欠席者への粛清を恐れ、這ってでも出席した全議員が揃っていた。 総理大臣は、震える足で演壇に立ち、虚空に向かって語り掛けた。

「我々は……貴殿の要求をすべて受け入れる。しかし、それを実現するための選挙には、物理的な時間が必要だ。あと二か月……猶予をいただきたい」

総理の言葉が終わると同時に、演壇の横にヤマトタケルが音もなく現れた。 議員たちが一斉に息を呑む。断罪か、猶予か。 ヤマトタケルは、総理を冷ややかに見下ろし、短く答えた。

「よかろう。物理的な不可能を強いるつもりはない。期限を延長する。二か月後の今日、新生した議会で諸君らに会おう」

そう言い残し、彼は再び姿を消した。議場に、安堵の溜息が波のように広がった。


そして、日本史上類を見ない「選挙戦」が始まった。 それは民主主義の祭典ではなく、生存をかけた椅子取りゲームであった。

まず、これまで国会に巣食っていた既存の議員たちは、誰一人として立候補しなかった。出馬することはすなわち、ヤマトタケルによって過去の不正を暴かれ、処刑されるリスクを自ら負うことを意味していたからだ。彼らの不出馬は、自らの過去が真っ黒であることの証明そのものであった。

代わって立候補したのは、三種類の人間だった。 死を恐れぬ真の愛国者か、状況を理解できていないただの愚者か、あるいは、ヤマトタケルの目を盗んで新たな利権を築こうとする新種の怪物か。

国民もまた、この選挙の異様さを肌で感じていた。「投票しなければ殺されるかもしれない」という漠然とした恐怖が社会を覆っていた。 結果、投票率は戦後最高となる80%を記録した。しかし、それでも20%の国民は、神の如き粛清者が監視する中でも、投票所へ足を運ばなかった。


そして迎えた、新たなXデー。 定数が十分の一に削減され、各都道府県からわずか一名程度しか選出されなかった新生国会。 かつて七百人以上の議員で埋め尽くされていた広大な議場は、今は寒々しいほどに閑散としていた。

選ばれし約七十名の新議員たちが、緊張した面持ちで議場に足を踏み入れる。 すると、そこには信じがたい光景があった。

パチ、パチ、パチ……。 乾いた拍手の音が響く。 いつもは議員たちが揃った後に現れるヤマトタケルが、既に演壇の中央に立ち、ゆっくりと拍手で彼らを出迎えていたのだ。

全員が席に着いたのを見計らい、ヤマトタケルが口を開いた。

「おめでとう。無事、私の第一、第二の条件をクリアし、ここに精鋭が揃ったようだ。これからの日本を期待している」

その声は、初めて聞く穏やかなトーンだった。新議員たちの間に、安堵の空気が流れかけた。 だが、次の瞬間、その空気は凍りついた。

「……しかし。残念ながら、三つ目の条件を満たしていない者が、数名紛れ込んでいるようだ」

「え?」 誰かが声を上げた直後だった。

ドサッ、ドサッ、バタッ。

議場のあちこちで、十名の議員が糸が切れた人形のように崩れ落ちた。 悲鳴すら上がらない。何の前触れもなく、外傷もなく、彼らはただ「絶命」していた。

「不正の内容をいちいち説明はしない。ただ、彼らは新生日本を担うには『ふさわしくなかった』。それだけだ」

ヤマトタケルは、動かなくなった十の骸に一瞥もくれず、生き残った六十名に向けて告げた。

「政治家の修正は、これで一段落ついた。私はこれから、この国を蝕む他の領域――経済、メディア、司法の粛清をメインに動くとしよう」

そして、最後に釘を刺す。

「いつでも私は、皆を見ている。それをゆめゆめ忘れるなかれ」

瞬きした時には、ヤマトタケルの姿は掻き消えていた。

広すぎる議場に残された、わずか六十人の政治家たち。 彼らは、足元の死体を見つめ、そして互いの顔を見合わせた。 恐怖は去っていない。しかし、それ以上に彼らの胸に去来したのは、強烈な自負と安堵だった。

「我々は、選ばれたのだ」 「あのヤマトタケルに、ふさわしいと認められたのだ」

血と恐怖によって濾過された彼らは、震える拳を握りしめ、心に誓った。 もはや後戻りはできない。ヤマトタケルが望む、より良い――そして、より清廉潔白な日本を作るしかないのだと。

恐怖による統治の下、新たな日本が動き始めた。