Wagas na Pag-ibig(真実の愛)友人の視点

1. 灰色の男が、原色に染まる時

俺の大学時代からの友人、木村健太は、ひとことで言えば「無味無臭」な男だった。 真面目で、仕事はできるが、趣味もない。飲みに行っても「まあ、それなりに」としか言わない。そんな彼が、ある日突然、蛍光ペンで塗りたくったみたいに明るくなった。

「田中、俺、人生で初めて『生きてる』って感じるんだ」

居酒屋でそう語る健太の横には、マリアちゃんがいた。 フィリピンから来たという彼女は、とてつもない美人だったが、それ以上に圧がすごかった。俺がいる前でも平気で健太の手を握り、頬を撫で、ジョッキの結露をハンカチで拭いてやる。

「ケンタは私のBabyだから」

彼女は悪びれもせずそう言った。健太はデレデレだ。 俺は正直、引いていた。日本人の感覚で言う「バカップル」のレベルを超えている。だが、あの死んだ魚のような目をしていた健太が、こんなに笑っている。 「まあ、よかったな」 俺は乾杯した。まさかそれが、終わりの始まりだとも知らずに。

2. 首輪のついた男

異変に気づいたのは、同棲を始めて数ヶ月経った頃だ。 久しぶりに健太を飲みに誘ったら、彼はスマホをテーブルの上に置き、数分おきに画面を確認していた。

「悪い、マリアが心配性でさ」

健太は苦笑いしていたが、その目は笑っていなかった。 画面が見えた。『今どこ?』『証拠の写真を送って』『私のこと嫌いになった?』 通知が滝のように流れてくる。

「それ、ちょっと束縛キツすぎないか?」 俺が言うと、健太は妙な擁護をした。 「違うんだ田中。これは愛なんだよ。向こうの文化では、これがスタンダードなんだ」

洗脳されてるな、と思った。 でも、彼は幸せそうにも見えた。「必要とされている」という事実は、孤独な男にとって最強の麻薬だ。俺には何も言えなかった。

3. 世田谷の「リトル・マニラ」

結婚して、彼女の家族が来日したと聞いて、新居祝いに行った時の衝撃は忘れられない。 ドアを開けた瞬間、ムッとするような熱気と、油とココナッツの匂い。 2DKの狭い部屋に、知らないフィリピン人が5人も6人もいた。

「オゥ! ケンタのトモダチ! タベテ! ノンデ!」

マリアのお母さんだという女性に、皿いっぱいの春巻きのようなものを渡された。 皆、陽気でいい人たちだ。それは間違いない。 でも、その中心にいる健太は、げっそりと痩せていた。

笑顔で接待しているが、そのスーツは以前より安物になり、靴はすり減っていた。 トイレに立った隙に、俺は健太に聞いた。 「お前、大丈夫か? 金、どうなってんだ?」

健太は力なく笑った。 「……田中、5万ほど貸してくれないか? 義理の妹の学費が足りなくて」

俺は断った。金の切れ目が縁の切れ目だ。その代わり、こう言った。 「逃げろ。このままじゃ、お前は食い尽くされるぞ」

健太は何も答えず、ただリビングの喧騒に戻っていった。あの背中の哀愁は、見ていられなかった。

4. 蒸発、そして訪問者

それから半年後、健太がいなくなった。 会社も辞め、スマホも解約されていた。風の噂で、借金苦で夜逃げしたと聞いた。 俺は正直、ホッとした。「よくやった、逃げ切ったか」と。

その数日後だ。俺のマンションにマリアちゃんが来たのは。 インターホン越しに見た彼女は、鬼のような形相だった。いや、能面のように感情がなかった。

「タナカサン、ケンタはどこ?」 「知らないよ。俺も連絡取れないんだ」

嘘ではない。でも、彼女は信じなかった。 「彼は私なしじゃ生きられないの。必ず見つけ出す。彼は私の心臓の一部だから」

「心臓の一部」。 なんてロマンチックで、なんてグロテスクな表現だろう。 彼女は怒っているのではなく、自分の臓器を勝手に切り離されたことに戸惑っているようだった。その執念深さに、俺は背筋が凍った。

5. 三年後の通知

それから三年。健太のことは、苦い思い出になりかけていた。 ある雨の夜、俺のスマホにSNSの通知が来た。 『知り合いかも』の欄に、新しいアカウントが表示された。

アイコンは、南国のビーチ。 そして、最新の投稿写真を見て、俺はスマホを取り落としそうになった。

そこには、少しふっくらとした――いや、あきらかに「飼い慣らされた」表情の健太がいた。 虚ろだけど、どこか満ち足りたような、穏やかな目。 そして、彼の後ろからガッチリと首に腕を回し、勝利の女神のように微笑むマリアちゃん。

キャプションには、タガログ語と、短い日本語が添えられていた。

『Wagas na Pag-ibig(真実の愛)。もう二度と離さない。Forever.』

俺は「いいね」を押せなかった。 健太は逃げた先で、再び捕まったのだ。いや、自分から檻に戻ったのかもしれない。 あの灰色の孤独な人生よりも、自由も金も尊厳も奪われるが、強烈な熱量で愛される「極彩色の地獄」を選んだのだ。

窓の外を見る。日本の冷たい雨が降っている。 写真の中の二人は、永遠に終わらない夏の国にいる。 俺には理解できない。でも、それが彼らにとっての「ハッピーエンド」なんだろう。

俺はそっと画面を閉じ、もう二度と、彼のアカウントを開かないことにした。

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