バラ色の人生

第一章:無垢なる傲慢(~19歳)

西園寺玲奈の世界は、彼女の言葉一つで書き換わる魔法の国だった。

7歳の時、気に入らないピアノのレッスンで、彼女は鍵盤を叩きつけた。 「こんな音、嫌い! 先生も嫌い! 今すぐ消えて!」 翌日、厳格だった講師は姿を消し、優しく玲奈を褒めちぎるだけの新しい講師が笑顔で座っていた。

15歳の時、テストの点数が悪かった彼女は、答案用紙をビリビリに破いて執事に投げつけた。 「私にこんな恥をかかせるなんて、学校がおかしいのよ。パパに言って!」 数日後、学校側から「採点ミスでした」と謝罪があり、彼女の成績は『優』に書き換えられた。

(そうよ、私は特別なんだから)

鏡の前で、最高級のシルクを纏いながら玲奈は思う。 靴紐が解ければ足を突き出すだけでいい。喉が渇けば手を伸ばすだけでいい。 世界は私のために回転し、人々は私の機嫌を取るために生きている。それが呼吸をするのと同じくらい当たり前の「真理」だった。

「ねえ、私の言うことが聞けないの? パパに言いつけるわよ?」

それが彼女の最強の魔法の呪文。この言葉さえあれば、開かない扉などこの世に一つもなかったのだ。

第二章:永遠の絶頂(20歳)

20歳の誕生日は、彼女が世界の頂点に立った戴冠式だった。 豪華客船のメインホール。五層のケーキ、溢れるシャンパン、そして数えきれないほどの称賛の言葉。

「おめでとう、玲奈。世界一美しいよ」 「玲奈様、一生ついていきます」

彼女はグラスを片手に、うっとりとその光景を眺める。 (ああ、なんて心地いいの。この光、この香り、この優越感。これこそが私の居場所)

彼女は婚約者の腕に手を回し、甘えた声で囁いた。 「ねえ、私ずっと幸せでいられるわよね? だって私、玲奈だもの」 婚約者は愛おしそうに頷く。「もちろんだよ。君の幸せは約束されている」

彼女はビジネスパートナーたちに向かって、無邪気に、そして残酷に言い放つ。 「私のブランドなんだから、世界一じゃなきゃ許さないわ。面倒な数字のことはあなたたちがやってね。私は輝くだけで忙しいんだから」 周囲の大人たちは一斉に頭を下げた。「仰せのままに、お嬢様」

この時、彼女は本気で思っていた。自分は重力にさえ愛されているのだと。 (困ったことなんて起きない。もし起きても、誰かが私の代わりに傷つけばいいだけのことよ)

第三章:崩落する世界での悲鳴(21歳~39歳)

崩壊は、彼女が理解するよりも早く進行した。

23歳。父の急死。 葬儀の場でも、玲奈は涙を流しながら周囲を怒鳴りつけていた。 「何してるのよ! パパを生き返らせてよ! お金ならあるでしょ!? 最高の名医を呼べばいいじゃない!」 冷ややかな視線を送る親族たちに、彼女は叫ぶ。 「私を誰だと思ってるの! 西園寺玲奈よ!」 しかし、誰も動かない。誰も慰めない。初めて、彼女の魔法が不発に終わった瞬間だった。 (なんで? なんで誰も言うことを聞かないの?)

26歳。ブランドの倒産。 「お嬢様、もう終わりです」と告げるパートナーに、彼女は激昂して花瓶を投げつけた。 「終わり? ふざけないで! 資金が足りないならパパの……あ、そうか、パパはいないんだった。じゃあ、あなたがなんとかしなさいよ! 私に恥をかかせる気!?」 男は憐れむような目で彼女を見た。 「玲奈さん。あなたは結局、何もできないお飾りだったんですよ」 その言葉は鋭利な刃物となって、彼女のプライドを切り裂いた。 「待ってよ……置いていかないでよ! 私一人じゃ何もできないのよ!」

30歳。婚約破棄。 かつて愛を誓った男の足元に縋り付き、玲奈はプライドもかなぐり捨てて泣き叫んだ。 「嘘でしょ? 愛してるって言ったじゃない! 私、玲奈よ? あなたの女神様じゃないの!?」 男は汚いものを見る目で彼女の手を振り払った。 「今の君には何の価値もない。金も、若さも、品位さえもない。ただのヒステリックな中年女だ」 「いやあああ! 私を見ないで! そんな目で私を見ないで!」 彼女は路地裏の泥水の中に座り込み、通り過ぎる人々の視線から逃げるように顔を覆った。 (違う、こんなの私の人生じゃない。誰かが間違えたのよ。誰か、脚本を書き直してよ!)

第四章:孤独な女王の末路(40歳)

そして、40歳の夜。 雨音が響く、カビ臭いアパートの一室。

玲奈は万年床の上で膝を抱えていた。かつて宝石を身に着けていた指はささくれ立ち、爪には泥が詰まっている。 コンビニで万引きしようとして勇気が出ず、結局なけなしの小銭で買った安いショートケーキ。

「……ハッピーバースデー、トゥー、ミー」

掠れた声で歌ってみる。その声は酷く耳障りで、部屋の寒々しさを際立たせるだけだった。 (20年前は、あんなにたくさんの人がいたのに) 記憶の中の光景と、目の前の闇が交錯する。

「ねえ、誰か」 彼女は虚空に向かって話しかけた。 「喉が渇いたの。最高級のミネラルウォーターを持ってきて」

返事はない。

「足が冷えるのよ。誰か毛布を掛けて。それから、肩を揉んでちょうだい」

返事はない。ただ、雨漏りの音がポタ、ポタと響くだけ。

「……なんで?」

玲奈の声が震え始める。 「なんで誰も来ないの? 私が困ってるのよ? 玲奈が泣いてるのよ?」

彼女はようやく、認めたくなかった現実を直視する。 魔法は解けたのではない。最初から魔法など存在せず、すべては父の金が作り出した幻影だったのだと。そして今、自分は生きる術一つ持たない、ただの無力な赤子なのだと。

「いや……いやよ……」

彼女は頭を抱え、床に額を擦り付けた。 「パパ、ママ、助けて……誰でもいい、私を見て、私を愛して……」

「ごめんなさい、ごめんなさい……」

何に対しての謝罪なのか、自分でもわからなかった。 傲慢だった過去への懺悔か、何もできない自分への絶望か。

「ひとりは嫌……ひとりは嫌あああああ!!」

40歳の誕生日。 闇に響くのは、かつての女王の、あまりにも人間的で、あまりにも惨めな慟哭だけだった。 彼女の声に応えるものは、もうこの世界には何一つ残っていなかった。

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