
巨大な門をくぐり、城塞都市の中に足を踏み入れる。 石畳の地面、行き交う馬車、そして独特な服装の人々。まるでテーマパークの中にいるようだが、漂う生活臭と空気の重さが現実であることを突きつけてくる。
隣を歩く中年男が、ふと足を止めて私に向き直った。 「俺の名はボルドだ。悪いが、ここから先は付き合いきれねえ」 ボルドと名乗った男は、大通りの一角にある堅牢な石造りの建物を指差した。 「あんた、まだ混乱してるようだし、あそこの『騎士待合所』へ行くといい。あそこなら、あんたの状況も整理できるだろう」 「騎士、待合所……ですか」 「ああ。身元のないやつの相談にも乗ってくれるはずだ。俺もこれからギルドで換金やら報告やらがあるんでな。これ以上は構えねえけど、あそこなら安心だ」 そう言うと、ボルドは「じゃあな」と片手を軽く挙げ、爽やかに、そして颯爽と人混みの中へと消えていった。 見ず知らずの不審な私をここまで案内してくれた恩人。非常にありがたい出会いであった。 いつか恩返しができるだろうか。そんな感傷に浸るよりも、まずはボルドの言う通り、今の自分の状況を整理しなければならない。
私は教えられた建物の扉を恐る恐る開けた。 中は役所のロビーと警察署を足して二で割ったような雰囲気だ。 カウンターの向こうで、鉄の胸当てをつけた若い女性が書類仕事をしていたが、私に気づくとすぐに駆け寄ってきた。 「どうされましたか? ……その服装、仲間とはぐれて困っているんですね」 彼女は私のスーツ姿を見て、何か事情があるのだと察してくれたようだ。 「難民保護も行っているので安心してください。まずは座って、お話を聞かせていただけますか」 彼女の態度は丁寧だったが、身につけた甲冑と腰の剣が、ここが武力を背景とした場所であることを無言で語っていた。
カウンター越しの尋問、もとい身分確認が始まった。 「お名前は?」「出身地は?」「所持している技能(スキル)は?」 言葉は丁寧だが、威圧感を感じるやり取りだ。 私は意を決して、自分が置かれている状況を説明することにした。 日本という国から来たこと。交通事故に遭った直後に森にいたこと。ここがどこなのか、常識すらわからないこと。 私の説明を聞くにつれ、女性騎士の眉間の皺が深くなっていく。 「……話がよくわかりません。別の世界、ですか? 記憶の混乱が見られますね……さて、どうしましょうか」 彼女は困り果てたように頭を抱えてしまった。 やはり、まともに取り合ってもらえないか。私が次の言葉を探そうとした、その時だった。
ドガッ!!
鈍く、重い音が響いた。 目の前の女性騎士が、ボールのように真横に吹き飛んだのだ。 「がはっ……!?」 彼女は壁に激突し、床に無様に転がった。 何が起きたのか理解できず、私が視線を戻すと、そこには一人の男が立っていた。 冷徹さを絵に描いたような表情の、騎士風の男だ。彼が横から蹴りを入れたのだと理解するのに数秒かかった。
男は床で咳き込む女性を一瞥もしないまま、冷たく言い放つ。 「これだから女は使えねえ。状況をすぐ報告しろ」 女性騎士は、むせ返り、痛みに顔を歪めながらも、慌てて体勢を直して直立する。 「は、はいっ! 遭難した男性のようですが、どうにも質問の回答が要領を得ず……」 「要領を得ないのは貴様の尋問能力だ」 男は吐き捨てるように言った。 「残りは俺がやる。貴様は奥の掃除でもしてろ」 「はっ! 失礼いたしました!」 女性は怯えたように敬礼すると、逃げるように奥の部屋へと下がっていった。
暴力と暴言。現代日本では即刻パワハラで訴えられる光景だが、この場ではそれが当たり前の規律であるかのように空気が張り詰めている。 私は恐怖で身を固くした。次は自分が蹴られる番かもしれない。 しかし、男はこちらに向き直ると、打って変わって丁寧な口調で語りかけてきた。 「お見苦しいところをお見せしました。部下の教育が行き届いておらず申し訳ない」 表情こそ冷たいままだが、声色には理知的な響きがある。 「続きは私が伺います。……さて、あなたのその衣服、そして持ち物を見せていただけますか?」
男は私のスーツの縫製、そして私が差し出したスマートフォンや社員証、財布の中の硬貨などを、まるで鑑定士のような鋭い目つきで観察した。 一通りの確認を終えると、男は一つ頷き、私に視線を戻した。 「……理解しました。詳細はわかりませんが、あなたはおそらく『非日常的な状況』に至っているようですね」 「信じて、くれるんですか?」 「ええ。この精巧な衣服の加工技術、見たこともない材質の道具。これらはこの近隣諸国の技術体系とは根本的に異なる。あなたが嘘をついているようには見えません」 男は手際よく書類に何かを書き込むと、私に告げた。 「今日はお疲れのようですし、本日はこちらの宿直室でお休みください。明日改めて、この世界について説明させていただきます」
男に案内されたのは、簡素なベッドがあるだけの狭い部屋だった。 ドアが閉まると、急激な静寂が訪れる。 どっと疲れが押し寄せてきた。 交通事故、野犬との死闘、魔法のような現象、そして理不尽な暴力がまかり通る騎士団。 長い、本当に長い一日が終わった。 ベッドに横たわり、天井の染みを見つめる。 私はこれからどうやって生きていくのだろうか。 元の世界に帰れるのか、それともこの弱肉強食のような世界で野垂れ死ぬのか。 不安だけが黒い霧のように胸に広がり、私はいつまでも眠りにつくことができなかった。
