手ぶらで始める異世界転生 第四話

悲壮な決意を胸に、私は翌朝「壁外防衛業務請負ギルド」へと足を運んだ。 漫画やゲームで見るような、受付嬢が笑顔で対応してくれる冒険者ギルドを想像していたが、現実は甘くなかった。 そこは、ドヤ街の労働者寄せ場のような、殺伐とした空気に満ちていた。 薄汚れた装備の男たちがたむろしており、強面の現場監督のような男たちが、「東の森、人足3名!」「荷運び、銀貨2枚!」と怒鳴り声を上げている。 私は誰を信じていいのかもわからず、その熱気に圧倒され、しばらく棒立ちになっていた。

ふと壁の掲示板を見ると、モンスターの名前と手配書のような絵、そして報酬額が張り出されている。 適当に目を通すと、『スライム:討伐証明部位提出につき銀貨1枚(銅貨100枚相当)』、『ワイルドウルフ:魔石提出につき銅貨50枚』とある。 昨日の洗濯仕事の報酬を考えれば、破格の金額だ。 それなりの宿に泊まり、まともな夕食をとるなら、ミニマムで銀貨1枚は必要だ。つまり、スライム1匹か、ワイルドウルフ2匹が今日の最低ノルマということになる。 先日の戦闘――木の枝一本でワイルドウルフを撃退した経験――を思い出し、私は皮算用をはじめた。 「……いける。ノルマ達成どころか、貯金もできるかもしれない」 完全に自分を信じ込み、私は先日入ってきた街の出入り口へと向かった。

門番にギルド証を見せて外に出ようとすると、槍を持った衛兵が呆れたように声をかけてきた。 「おい……そんな装備で大丈夫か?」 武器も持たず、防具も着ていないスーツ姿の私を見ての言葉だろう。 だが、今の私は「選ばれし異世界人」気取りだ。 「問題ない。一番いいのを頼む……なんてね。木の枝があれば十分ですよ」 私は余裕の笑みを浮かべて答えた。 門番は「死にたい奴は勝手にしろ」と言わんばかりに肩をすくめ、手の甲でシッシッと「行け」の合図をした。 (異世界人の私を舐めてるな) 満身の自信とともに、私は通用口の小さな扉をくぐり、外の世界へと踏み出した。

この時、自分の愚かさを理解していれば、あんな悲劇には遭わなかっただろうに。

門を出てすぐ、手頃な武器を探すが、先日ほど良い枝が見つからない。仕方なく、少し細いが手近な木の枝をへし折って獲物とした。 しばらく草原を歩く。風が変わり、獣の臭いがした。 ワイルドウルフだ。 「来たな、金ヅルめ」 私は枝を構える。だが、茂みから現れたのは1匹ではなかった。 2匹、3匹……。 群れだ。 「……え?」 私が怯む隙など与えず、狼たちは散開して襲いかかってきた。 こないだの感覚を頼りに、端の1匹へ枝を振り下ろす。「ギャンッ!」という悲鳴とともに1匹が怯む。 だが、残りの2匹は止まらない。 1匹が正面から飛びかかってくるのを、腕で必死に払いのける。 しかし、その死角から最後の一匹が私の脛(すね)に食らいついた。 「ぐあああああっ!!」 激痛が脳天を突き抜ける。前回は運良く直撃をもらわなかったため知らなかったが、野生動物の顎の力は、骨を砕くほどに強烈だった。 「離せっ! クソッ!」 脛に牙が食い込んだまま、狼が首を振る。肉が裂ける感覚。 私は半狂乱になりながら、手にした枝をがむしゃらに叩きつけた。2発、3発。 自分も噛まれ、爪で裂かれ、すでに満身創痍だ。 それでも必死の抵抗が功を奏したのか、なんとか2匹を戦意喪失させ、最後の1匹の頭蓋を砕いて動きを止めた。

荒い息を吐きながら、血まみれの地面に立ち尽くす。 全員瀕死だが、まだ息はある。 私は先日のボルドの言葉を思い出す。「とどめを刺したのは俺だから、ジュエルはもらうぜ」。 つまり、殺し切らなければ報酬(魔石)は出ない。 私は枝を握り直し、足元で痙攣している狼を見下ろした。 ボルドが持っていたような鉄の棍棒ではない。この細い枝で、命を絶たなければならない。 「……やるしか、ない」 私は枝を振り下ろした。 ドガッ。 犬のような悲鳴が上がる。まだ死なない。 ドガッ。ドガッ。 手に伝わる生々しい感触。骨が砕け、肉が潰れる音。 「はあっ、はあっ……死ね、死んでくれ……!」 4回、5回。 ようやく狼の体が光の粒子となって崩れ去り、コロンと小さな石が落ちた。 断末魔を聞くのは辛い。生き物の命をこの手ですり潰す作業は、想像を絶する精神的苦痛を伴う。 だが、やらなければ私が死ぬ。生活できない。 私は感情を殺し、残りの2匹も「処理」した。自分も傷だらけで血を流しているせいか、罪悪感は麻痺していた。

ともあれ、手元には三つの小さな魔石。 銅貨150枚分。これで、少なくとも今晩の平穏と食事は確保できた。

「帰ろう……」 足を引きずりながら、門の方角へ歩き出す。 致命傷ではないが、脛の傷がズキズキと痛み、出血で視界が揺れる。 もう少しで門だ。あと少しで安全圏だ。 そう思った矢先、そいつは現れた。 「あ……?」

――スライムが1匹現れた。

この言葉を聞いて、危機感を感じる日本人がどれだけいるだろうか。 だが、今の私にはわかる。こいつはヤバい。 目の前にいるのは、愛らしい水色のマスコットではない。 人の背丈ほどもある、濁った泥水のような色の、不定形の岩のような塊。それが不気味に脈動している。 「くそっ、あと少しなのに!」 痛みと恐怖でハイテンションになった私は、やけくそ気味に木の枝を振りかぶり、スライムに向けて思い切り殴りつけた。 ボヨンッ! 「……は?」 枝はスライムの表面で弾かれた。いや、衝撃が吸収されたのか? ダメージがあったのかすら判断がつかない。相手は無傷に見える。 物理攻撃が効かない? 打撃無効か? 「逃げるしか、ない」 私はスライムに背を向け、門へ向かって走り出した。スピードは遅いはずだ。 あと50メートル。 そう思った瞬間、背中に焼きごてを当てられたような激痛が走った。 「ぎゃあああああっ!?」 スライムが体を伸ばし、背後から体当たりをしてきたのだ。 衝撃で地面に転がる。 背中の服が溶け、皮膚が焼け爛れるような感覚。酸だ。こいつの体液は酸なのか! 「う、うう……」 あと50メートル。這ってでも門へ行く。 スライムは張り付いたまま離れない。背中がじりじりと焼かれていく。 必死の思いで門までたどり着き、扉をドンドンと叩いた。 「開けてくれ! 頼む、開けてくれ!!」 中から門番の声が聞こえる。 「馬鹿野郎! モンスターがへばりついてるのに扉を開けられるか! 街に入れるわけにはいかん!」 「そんな……」 絶望で目の前が真っ暗になる。 安全地帯は目の前にあるのに、見捨てられた。 背中の激痛、失血による寒気。 (ああ、終わった……) 意識が遠のき、泥のような地面に顔が沈みそうになった、その時だった。

ドゴォッ!!

背中に凄まじい衝撃が走った。 スライムの焼けるような痛みとは違う、重い打撃の衝撃。 その直後、背中の重みが消え失せた。 「……え?」 霞む視界の中で、誰かが私の前に立っているのが見えた。 見覚えのある軽甲冑。手には無骨な棍棒。 男は私を見下ろし、ニカッと笑った。

「よう。久しぶりだな」

薄れゆく意識の中で、その中年男――ボルドの笑顔が焼き付いた。

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