手ぶらで始める異世界転生 第6話

鉄の鋲付き棍棒――通称「トゲ付き」を手に入れてから、私の冒険者ライフは劇的に改善した。 朝、街を出て、手近なワイルドウルフを待ち伏せる。 「ふんっ!」 以前は枝でペチペチと叩いていたのが嘘のようだ。遠心力を乗せた一撃は、ウルフの頭蓋を容易く砕く。 スライムに至っては、ゴルフのスイングの要領でフルスイングすれば、核ごと弾け飛んで即死だ。 「よし、これで今日の宿代は確保」 午前中でノルマを達成し、午後は少し奥地まで足を伸ばして貯蓄分を稼ぐ。 夕方には街に戻り、ボルドたちと安酒を飲む。 そんなルーティンが確立されつつあった。私は完全に、この異世界生活に慣れ始めていたのだ。

「……そろそろ、次のステップに行ってもいいんじゃないか?」 ある朝、ギルドの掲示板を見ながら私は呟いた。 ウルフとスライム狩りは安全だが、単価が安い。貯金ができているとはいえ、装備を整えたり、より良い生活水準を求めるなら、もう少し実入りが良い獲物が欲しい。 私の目は、一枚の貼り紙に吸い寄せられた。 『ゴブリン討伐:討伐証明(右耳)につき銀貨3枚』 ウルフの3倍の報酬だ。 ゴブリン。ファンタジーRPGにおける最弱のモンスター筆頭。 子供のような体格に、粗末な武器。今の私なら、あのウルフすら一撃で倒せる腕力と、この「トゲ付き」がある。負ける要素が見当たらない。 「いけるな」 私は掲示板の前で小さく頷き、いつもの平原ではなく、その奥に広がる薄暗い森林地帯へと足を踏み入れた。

森に入ると、空気がひんやりと重くなった。 視界が悪い。木の根が足場を悪くしている。 慎重に進むこと数十分。ガサリ、と茂みが揺れた。 「来たな」 私は棍棒を構える。ウルフか、それとも目当てのゴブリンか。 茂みから現れたのは、緑色の肌をした、身長100センチほどの小鬼だった。 腰にボロボロの布を巻き、手には錆びたナイフのようなものを握っている。 「ギヒッ……」 ゴブリンだ。 想像していたよりも汚らしく、そして目つきがいやらしい。 だが、所詮は子供サイズ。私は恐怖心よりも「ボーナス確定」という安堵感を抱いた。 「悪いな、銀貨3枚になってもらうぞ!」 私は雄叫びと共に、上段から棍棒を振り下ろした。 勝負は一撃で決まるはずだった。

「ギッ!」 ゴブリンが動いた。 ウルフのように後ろに下がるのではない。私の懐に向かって、横に飛び込んだのだ。 「なっ!?」 振り下ろした棍棒が空を切り、地面を叩く。 その隙だらけの私の脇腹に、ゴブリンの錆びたナイフが走った。 ズパッ。 「ぐっ……!?」 スーツの生地が裂け、熱い痛みが走る。 浅い。だが、切られた。 「ギヒヒッ!」 ゴブリンが距離を取り、私を嘲笑うように舌を出した。 背筋が凍った。 こいつは、獣じゃない。 知恵がある。「かわして、刺す」という戦術を理解している。 そして何より、明確な「悪意」を持って私を殺そうとしている。

「くそっ、この野郎……!」 私は焦った。棍棒は重い。一度振ってしまうと、次への動作が遅れる。 相手は小さい上に素早い。闇雲に振っても当たらない。 (どうする? 逃げるか? いや、背中を見せたら刺される!) ゴブリンが再び跳躍した。今度は私の足を狙ってきている。 私は反射的に棍棒を盾にするように突き出した。 カキンッ! 金属音が響く。ナイフを弾いた。 相手の体勢が崩れる。 (今だ!) 私は形振り構わず、棍棒を横薙ぎに振った。 「らああっ!!」 「ギャッ!?」 ドガッ!! 重い打撃音が響き、ゴブリンの体がくの字に折れて吹き飛んだ。 木に激突し、ぐたりと動かなくなる。 数秒の後、光の粒子となって消え去り、地面には黒ずんだ右耳と、小さな魔石が残された。

「はあ……はあ……」 私はその場にへたり込んだ。 脇腹の傷を押さえる。血が滲んでいるが、深手ではない。 だが、手の震えが止まらなかった。 たった一匹の、最弱のはずのゴブリンに、死を意識させられた。 武器を持っているということ。知能があるということ。それがこれほどまでに脅威だとは。 私は震える手で戦利品を回収し、逃げるように森を後にした。

その夜、酒場にて。 「……で、ゴブリンに手を出して、そのザマか」 ボルドが私の破れたスーツと、脇腹の包帯を見て呆れたように言った。 「はい……一撃で倒せると思ってました。でも、当たりませんでした」 「当たり前だ。ゴブリンは馬鹿だが、武器の使い方は知ってる。大振りな攻撃しかできない素人が、防御もなしに挑めばそうなる」 ボルドはジョッキを置き、私の目を真っ直ぐに見た。 「いいか、攻撃力だけで生き残れるのは初歩の中だけだ。現実じゃあ、一発もらえばそこで終わることもある」 彼は私の胸元を指差した。 「稼いだ金、全部使ってでも『防具』を買え。そのペラペラの布切れ(スーツ)じゃ、次は内臓までいかれるぞ」

「防具……」 私は自分の姿を見下ろした。 泥と血にまみれた、ヨレヨレのスーツ。 日本にいた頃は「戦闘服」だったかもしれないが、ここではただの布切れだ。 「わかりました。……また、あの店ですか?」 「おうよ。親父さんにいい革鎧を見繕ってもらえ」

翌朝、傷はまた綺麗に治っていた。 だが、昨日の恐怖は心に刻まれている。 私はギルドへ向かう足を止め、武器屋へと方向転換した。 攻撃の次は、防御。 サラリーマンのリスク管理能力が、今こそ試されている。

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