
翌朝。傷は例によって跡形もなく消えていたが、破れたスーツと血の跡は、昨日の失態が現実であったことを残酷に突きつけていた。 私はなけなしの貯金袋を握りしめ、例の武器屋へと向かった。
「いらっしゃい。……なんだ、またあんたか」 店番をしていたのは、先日派手に蹴り飛ばされていた、タンクトップの女性だった。顔には絆創膏が貼られているが、気丈な態度は変わらない。 「親父さんに、防具を頼みたくて」 私が言うと、奥の鍛冶場から、むわっとする熱気と共に親父さんが顔を出した。 「おう、昨日のヒョロガリか。ボルドの野郎に言われて来たんだろ? 何がいい、チェインメイルか? プレートはあんたの体力じゃ無理だぞ」 「いえ、動きやすくて、最低限の防御ができる革鎧を……」 私が要望を伝えると、親父さんは面倒くさそうに鼻を鳴らした。 「革か。革細工は俺の専門じゃねえな。おい、リズ!」 親父さんは、カウンターにいる女性――リズと呼ばれた彼女に怒鳴った。 「こいつの採寸して、適当な革鎧を見繕ってやれ。在庫の端切れで十分だろ」 あまりにぞんざいな言い草だった。まるで彼女を道具のように扱っている。
「……ちょっと、その言い方はないんじゃないですか」 私は思わず口を挟んでいた。現代日本で培われたコンプライアンス精神が、このパワハラ紛いの態度を許せなかったのだ。 親父さんの眉毛がピクリと跳ね上がる。 「あぁん? 余計な口出しすんな。女は黙って言われたことやりゃいいんだよ」 「しかし、彼女も立派な店員でしょう。それに端切れで十分なんて、客に対しても失礼だ」 場の空気が凍りついた。親父さんがハンマーを握る手に力が入るのが見えた。
「まあまあ、親父も、お客さんも落ち着いてよ」 割って入ったのは、当のリズ本人だった。彼女は慣れた様子で親父さんをなだめ、私に向き直った。 「ありがとね、お客さん。でも大丈夫、いつものことだから。……それに、革や布の扱いは、この店じゃ私の領分なんだ」 リズは私の腕を引き、店の奥の作業スペースへと促した。そこには様々な種類の革や布地、そして使い込まれた裁縫道具が並んでいた。
「この世界じゃ、鉄を打つのは男の仕事、糸や革を縫うのは女の仕事って相場が決まってるのさ。親父は口は悪いし手も早いけど、私の腕は認めてくれてるんだよ」 リズはメジャーで私の体を採寸しながら、淡々と語った。 「さて、あんたの要望は『動きやすさ』と『防御力』だったね。……この変な服、素材はすごくいいけど、戦うには向いてないね」 彼女は私のボロボロのスーツを指差した。 「これをベースにして、急所だけ革で補強するのはどうだい? あんたの戦い方なら、全身をガチガチに固めるより、関節の自由を確保した方がいい」 私のゴブリン戦の話を聞いた上での、的確な提案だった。私は彼女の職人としての目に感服し、全てを任せることにした。
数時間後。 「できたよ。試してみて」 リズが差し出したのは、奇妙だが機能的な防具だった。 私のスーツの、破れていない部分を再利用しつつ、胸部、腹部、肩、前腕といった重要な部位に、硬く加工された革のプレートが縫い付けられている。 関節部分には柔らかい革が使われ、動きを阻害しない工夫がされていた。 見た目はツギハギだらけの「武装サラリーマン」だが、袖を通してみると、その完成度の高さに驚いた。 軽い。腕を回しても、屈伸しても、どこも突っ張らない。それなのに、胴体を叩いてみると、コンコンと硬い音が響き、衝撃を吸収してくれる。
「……すごい。完璧です」 私が心から称賛すると、リズは照れくさそうに鼻の下を擦った。 「へへっ、まあね。端切れなんて使ってないよ、一番いい革を使ってやったからね。親父には内緒だよ」 奥の鍛冶場から、親父さんの大きな咳払いが聞こえた。きっと、聞こえているのだろう。
私は代金を支払い(リズの計らいでかなりの勉強価格だった)、店を後にした。 新しい装備が、体に馴染む。 守られているという安心感が、萎縮していた心に再び勇気を灯してくれる。
「よし……行くか」 私は棍棒を握りしめ、街の門へと向かった。 目指すは森。あの緑色の悪意へのリベンジだ。 今の私には、砕くための武器と、耐えるための防具、そして職人の矜持が込められた装いがある。 もう、負ける気はしなかった。
