世界を手にした男 後編パターンC

5.路地裏の野心

20億円という資産は、健司から「欲望」を奪い去った。 食欲、性欲、物欲。金で解決できると知った瞬間、それらは色のないただの「処理」に変わった。 彼に残されたのは、圧倒的な「暇」だけだった。

夜の歌舞伎町。 ネオンが毒々しく光る通りを、健司は高級スーツを着崩して歩いていた。 客引きの声など耳に入らない。ただ、人間観察をするためだけに、この欲望の吹き溜まりを徘徊するのが日課になっていた。

ふと、路地裏から怒鳴り声が聞こえた。 「ふざけんな! 今月も売り上げ最下位だと? 顔だけの能無しが!」 店の裏口だろうか。黒服の男が、一人の青年を殴り飛ばしていた。 青年は泥水に手をつきながらも、決して謝ろうとせず、ギラギラとした目で黒服を睨み返している。 (……いい目だ) 健司は足を止めた。 諦めや絶望ではない。純粋な「渇望」と「憤怒」。 かつて自分が持っていた、しかし今は失ってしまった「何かを変えたい」という熱量がそこにあった。

黒服が去った後、健司は青年に近づいた。 「立てるか?」 青年は口元の血を拭い、健司を睨む。 「……同情なら金にしてくれよ、おっさん」 「金ならあるぞ。腐るほどな」 健司の言葉に、青年の目が揺れた。健司は懐から分厚い札束――帯付きの100万円を無造作に取り出し、青年の胸ポケットにねじ込んだ。 「名前は?」 「……流星(リュウセイ)。源氏名だけどな」 「そうか、流星。お前、この街の頂点(テッペン)を取りたいか?」

6.最強の攻略本

翌日から、健司の「育成ゲーム」が始まった。 健司は流星が勤める三流ホストクラブに客として現れた。 男の客、しかも飛び込み。最初は店側も不審がったが、健司がブラックカードで高級ブランデー「リシャール」を卸すと、店内の空気は一変した。 「流星を呼べ。俺の担当はあいつだ」

健司の目的は単純だった。 自分自身が表舞台で輝くことには興味がない。だが、この「何も持たざる若者」に、自分の持つ「金」と「未来予知」というチート能力を使わせたら、どこまで登れるのか。それを見てみたかったのだ。

健司のサポートは異常だった。 単に金を落とすだけではない。 「流星、あそこの席の太客(ふときゃく)、3分後に席を立つぞ。今すぐ行って引き止めろ。話題は飼っている犬の話だ」 「え? なんでわかるんすか?」 「いいから行け」

流星が半信半疑で向かうと、まさにその通りになる。 健司は、失敗すれば時間を戻し、成功するルートが見つかるまでやり直しているのだ。 流星にとって、健司は「未来が見えている」としか思えない的確な指示を出す参謀だった。

ある夜、流星が痛恨のミスをした。 店のナンバーワンが狙っていた女性客に手を出し、激怒させたのだ。店での立場が危うくなる。 顔面蒼白になる流星。 しかし、健司は涼しい顔で指を鳴らす。

(時よ、戻れ)

世界は巻き戻る。 健司は事前に流星に忠告する。 「今日はあの女には近づくな。代わりに、新規で来る地味な女性客を狙え。あれは某企業の令嬢だ」 結果、流星はトラブルを回避し、さらに巨大な太客を掴むことに成功する。

「健司さん、あんた何者なんだ……!?」 「ただの暇人さ」 健司はグラスを揺らしながら笑う。 流星の成功は、すべて健司の掌の上で作られたシナリオだった。しかし、その「全能感」こそが、退屈していた健司の脳を焼くほどの快楽を与えていた。

7.作られたカリスマ

半年後。 流星は歌舞伎町で知らぬ者のいない存在になっていた。 健司の資金力で店を移籍し、最大手グループのナンバーワンに君臨していた。 バースデーイベントでは、健司の用意した資金で一億円のシャンパンタワーが建てられ、その写真はSNSで拡散され、伝説となった。

流星の顔つきも変わった。 路地裏で殴られていた頃のハングリーさは消え、洗練された「帝王」の風格を漂わせている。 自信に満ち溢れ、どんな客も話術で魅了する。 だが、その話術の「正解」を教えているのは、常に影にいる健司だった。

ある日、流星が健司を高級焼肉店に呼び出した。 「健司さん、話があります」 流星は最高級の肉を焼きながら、どこか挑発的な目つきで言った。 「俺、独立しようと思うんです。自分の店を持ちたい」 「いいじゃないか。資金は出してやるよ」 「いえ、資金は自分で集めました。……これ以上、健司さんの世話にはなりません」

流星は言葉を選びながらも、本音を漏らした。 「俺は自分の実力を試したいんです。あんたの言いなりじゃなく、俺自身の力でどこまでやれるか」 それは、傀儡(かいらい)からの脱却宣言だった。 流星は勘違いしていた。自分の成功が、自分の才能によるものだと。健司の指示はあくまで助言であり、実行したのは自分だと信じ込んでいた。

8.神の遊戯

健司は焼けた肉を口に運び、ゆっくりと咀嚼した。 「そうか。お前も立派になったな」 「わかってくれますか!?」 「ああ、もちろんだ」

健司は笑顔で店を出て、流星と握手をして別れた。 流星は背を向けて歩き出す。その背中は、未来への希望に満ちていた。

健司は、その背中を見つめながら呟いた。 「……なんてな」

(時よ、戻れ)

視界が歪む。 気がつくと、目の前には焼肉店の網があり、生肉が置かれている。 数分前だ。 「健司さん、話があります」 流星が同じトーンで話し始める。 「俺、独立しようと思うんです」

健司は遮るように言った。 「その前に、流星。お前が隠れて付き合っている、あの未成年の地下アイドルの件だが」 「へ……?」 流星の顔が凍りついた。 「週刊誌に売られたら終わりだな。あと、お前が今の店の売上を一部横領して、独立資金に回している証拠。あれも警察に行けば一発だ」

健司は持ってもいない情報を、さも握っているかのように話した。 もちろん、これはハッタリではない。 ここに至るまでに「流星が裏切る未来」を何度か経験し、そのたびに時間を戻して身辺調査を行い、弱みをすべて握っていたのだ。

「な、なんでそれを……」 「俺には全てお見通しだと言っただろう?」 健司は肉をひっくり返しながら、冷徹に告げた。 「独立? させるわけないだろう。お前は一生、俺が作った『最高のホスト』という作品(おもちゃ)でいればいいんだ」

流星の顔から「帝王」の仮面が剥がれ落ち、路地裏にいた頃のような、いや、それ以上に怯えた少年の顔が現れた。 彼は悟ったのだ。目の前の男はパトロンではない。 自分を生かすも殺すも自由自在な、理解不能の「怪物」なのだと。

「……はい。すみません、俺、調子に乗ってました」 流星は震えながら頭を下げた。

「わかればいい。さあ、食えよ。明日は大きなイベントがあるんだろう?」

9.終わらないステージ

店を出た健司は、夜風に当たった。 流星は完全に心が折れ、従順な操り人形に戻った。 これでまたしばらくは、この「育成ゲーム」を楽しめるだろう。

虚しくはないのか? ふと自問する。 一人の若者の人生を支配し、自分の思い通りに動かして、何になる? だが、普通の人生に戻るには、健司はあまりにも力を持ちすぎてしまった。

「さて、次は流星をメディアに進出させて、芸能界でも取らせてみるか」

健司はスマホを取り出し、スケジュールを確認する。 すべては予定通り。失敗すれば戻せばいい。 この退屈な世界で、彼だけが攻略本を持っている。 その孤独と全能感を噛み締めながら、健司はネオンの海へと消えていった。

彼の後ろには、見えない糸で吊られた「夜王」が、悲しいほど美しく踊らされていることだろう。

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