5.冷たい観察者
健司は、その日も飽きもせず歌舞伎町の広場にいた。 20億円という資産は、彼から「生活の不安」を奪うと同時に、「生のリアリティ」も奪い去っていた。彼にとって、目の前で体を売る少女たちも、競馬の出走馬も、さして変わらない「予測可能な対象」になりつつあった。
ターゲットにしたのは、グループのリーダー格の少女だ。 接触し、10万円で買い、一流ホテルへ連れ込む。ここまでの流れは、彼が想定したシナリオ通りだった。 少女が風呂に入り、ルームサービスを食べ、警戒心を解いて身の上話をする。 「金があれば自由になれる」 そう言った彼女の言葉も、健司にはどこか既視感のある台詞のように響いた。
「わかった。実験してみよう」
健司は少女に、財布に入っていた50万円をすべて渡し、ホテルを出た。 「清算は済んでいる。好きにすればいい」 困惑する少女を残し、健司は帰宅した。 彼が知りたかったのは、「金を得た彼女がどうなるか」という結果だけだった。
6.変えられない結末
翌日の昼。健司はニュースサイトを見て、コーヒーを吹き出しそうになった。 『歌舞伎町のホテルで少女死亡。薬物大量摂取の疑い』 記事には、所持品から大量の現金が見つかったこと、突発的に大量の違法薬物を購入し、急性中毒を起こした可能性が高いことが記されていた。
「……は?」
金を与えれば、彼女は自由になり、人生をやり直すのではなかったのか? 健司は震える手で能力を発動させた。
(時よ、戻れ!)
視界が歪み、世界は昨日の夜へと巻き戻る。 健司は再びホテルの部屋にいた。目の前には、まだ生きている少女がいる。 「金があれば自由になれる」 同じ台詞を吐く彼女に、今度は金を渡さず、言葉をかけた。 「金だけじゃダメだ。君には環境が必要だ」
健司は翌日、彼女を説得し、自分のタワーマンションの一室を与えた。 食事を与え、服を与え、元締めが来ないようにセキュリティのしっかりした環境に匿った。 これで完璧なはずだ。
しかし、3日後。 帰宅した健司が見たのは、マンションのベランダから飛び降りた少女の姿だった。 遺書には「綺麗すぎる場所は息が詰まる。あの汚い広場が私の居場所だった」と書かれていた。
7.迷宮のループ
「ふざけるな……!」
健司は再び時を戻した。 競馬なら、結果を知れば100%勝てる。株もそうだ。 だが、この少女だけは、どうあがいても「死」や「破滅」に向かってしまう。
健司の意地が頭をもたげた。 (俺は時間を操れる神だぞ? たかが小娘一人の人生、幸福な結末に導けないはずがない)
そこから、健司の狂気的なループが始まった。
- 3回目の挑戦: 元締めを金で雇い、彼女を保護させた。 →結果:彼女は元締めと共謀して健司を強請ろうとし、トラブルになって刺殺された。
- 12回目の挑戦: 彼女の親を探し出し、和解させようとした。 →結果:親こそが虐待の元凶であり、彼女は絶望して失踪した。
- 50回目の挑戦: 彼女と恋人関係になり、愛で救おうとした。 →結果:彼女は健司の依存し、異常な嫉妬心から健司を刺そうとした。
何度繰り返しても、パズルのピースがハマらない。 金を与えれば堕落し、管理すれば窒息し、愛せば狂う。 健司は気づかされた。 競馬の結果は一つだが、人の心はカオスだ。過去に戻って選択肢を変えても、その先にあるのは無数の「バッドエンド」の分岐でしかなかった。
8.完成された「幸福」
そして、ループは100回を超えた。
健司の表情からは、感情の一切が消えていた。 彼は少女のあらゆる反応、あらゆる思考パターン、好きな食べ物、トラウマの引き金、その全てを暗記していた。 今の彼にとって、彼女は人間ではなく、攻略難易度の高い「ゲーム」そのものだった。
「……ここで彼女は、水を飲みたがる」
ホテルの部屋。健司がグラスを差し出すと、少女は驚いた顔をする。 「え、なんで喉乾いてるってわかったの?」 「なんとなくだよ」 次に彼女が何を言い、どう笑い、どう泣くか。健司はすべて先回りして、完璧な回答を用意する。 彼女が最も安心する言葉、彼女が最も欲している肯定、彼女が夢中になる未来の提示。 膨大な試行錯誤の末に見つけ出した「正解のルート」を、健司は淡々とトレースしていく。
その結果、少女は死ななかった。 健司が用意した更生プログラムを受け入れ、夢だったトリマーの資格を取るために学校へ通い、元締めとも穏便に縁を切れた。 半年後、彼女は笑顔で健司に感謝を告げた。
「健司さんのおかげで、私、生まれ変われたよ。本当にありがとう」
夕日が差し込むリビングで、少女は涙ながらに微笑んでいる。 それは、誰もが認める「ハッピーエンド」だった。
だが、健司の心は氷のように冷たかった。 目の前の少女の笑顔が、何度目かのループで見た「薬を手に入れた時の笑顔」や「男に媚びる時の笑顔」と重なって見える。 彼は、彼女の笑顔を作るための「ボタン」を押したに過ぎないのだ。
「……よかったな」
健司は短く答えた。 感動も達成感もなかった。ただ、「ようやくこのステージをクリアした」という疲労感だけがあった。 彼は知ってしまったのだ。 金と時間さえあれば、人の人生さえもコントロールできてしまうという残酷な事実を。そして、コントロールされた「幸福」には、何の体温も感じられないことを。
9.永遠の孤独
少女が自立してマンションを出て行った夜。 健司は一人、高級ワインを開けた。
「次は、誰を『攻略』しようか」
窓の外を見下ろす。 そこには無数の人々が歩いている。悩めるサラリーマン、夢破れたバンドマン、借金に苦しむ主婦。 彼らにとって、人生は一回きりの真剣勝負だ。 だが、健司にとって、この世界はもはや何度でもやり直せるサンドボックス(砂場)でしかなかった。
彼らを救うことはできるだろう。金と時間をかければ、誰だって理想の人生へ誘導できる。 しかし、その過程で健司は、彼らを「対等な人間」としては見られなくなる。 神は、人間と友達にはなれないのだ。
「……戻すか」
健司は呟き、そして首を振った。 いや、戻っても同じだ。もう、「未知の明日」に一喜一憂していたあの頃の自分には戻れない。
健司はグラスを傾ける。 20億円の資産と、無限の時間。 それらは彼を、この世界の誰とも違う次元へ連れ去ってしまった。 世界中の誰よりも自由で、世界中の誰よりも不自由な男は、空虚な目を夜景に向けたまま、静かに次の「暇つぶし」を探し始めた。
