世界を手にした男 後編パターンD

5.退屈な王の目覚め

20億、50億、100億。 健司にとって、通帳の数字はただのデータになっていた。 豪遊もした、女も抱いた、海外も行った。だが、心の渇きは癒えない。 かつての中堅商社の営業マン時代、理不尽な上司や取引先に頭を下げていた頃の方が、まだ「生きている」実感があった気がする。今の自分は、攻略本を見ながらRPGを消化しているだけの作業者に過ぎない。

ある夜、健司は高級マンションのソファでニュースを見ていた。 『日本を代表する重電メーカー、帝都重工が経営破綻の危機』 『負債総額は2兆円、5万人の雇用が失われる恐れ』

帝都重工。戦前から日本のインフラを支えてきた巨大企業だ。商社マン時代、健司にとっては雲の上の存在であり、取引さえさせてもらえないような巨人だった。 その巨人が、不正会計と海外事業の失敗で死に体となり、海外ファンドに切り売りされようとしている。

「……5万人か」

その数字を見た時、健司の脳裏に電撃が走った。 5万人とその家族、関連企業を含めれば数十万人の人生が路頭に迷う。 金はある。時間なら無限にある。 もし、自分がこの「沈没船」の舵を取ったらどうなる?

「やってみるか。……日本を、買い叩く」

それは、退屈な神ごっこへの決別であり、人生最大の大博打の始まりだった。

6.予知能力という最強の経営資源

健司はまず、手持ちの20億円を元手に、株式市場と為替市場という「戦場」に本腰を入れた。 今までの小遣い稼ぎとはわけが違う。 1日の値動きを全て記憶し、1分単位で売買を繰り返す。1日が終われば時を戻し、また最初から最適なトレードを行う。 体感時間で数年にも及ぶ苦行の末、健司は「兆」を超える資金を作り出した。

そして、帝都重工の株を買い占め、筆頭株主として経営陣の前に現れた。 「私が新しいオーナーの高橋です」 30歳の若造の登場に、老齢の役員たちは鼻で笑った。 「君のような成金に、この伝統ある企業の何がわかる」 「伝統? その伝統にあぐらをかいて、会社を潰しかけたのは誰ですか?」 健司は冷たく言い放ち、社長の椅子に座った。

そこから、帝都重工の「奇跡のV字回復」が始まった。 健司の経営判断は、神がかっていた。

ある会議で、海外の新規プラント建設の是非が問われた時。 役員全員が「GO」を出す中、健司だけが「中止だ」と断言した。 「現地の政情が不安定すぎる。一週間後にクーデターが起きるぞ」 役員たちは呆れたが、健司は強権を発動して中止させた。 一週間後、実際に現地でクーデターが発生し、進出していた他社は大損害を被った。帝都重工だけが無傷だった。

またある時は、開発中の新型エンジンのテスト直前に現場へ駆けつけた。 「テスト中止! 燃料パイプの接合部、3番のボルトに亀裂が入っている!」 現場の叩き上げの工場長が怒鳴り込んできたが、点検させると実際に亀裂が見つかった。もしテストを強行していれば、大爆発を起こして開発は頓挫していただろう。

「社長には、未来が見えているのか……?」

社内では畏怖と尊敬を込めて、健司は「預言者」と呼ばれるようになった。 だが種明かしは単純だ。 健司は「失敗した未来」を一度経験し、時を戻して「失敗の芽」を摘んでいるだけなのだ。 プラント建設で大損害を出し、エンジン爆発で社員が死ぬ未来を見て、吐き気を催しながら時を戻す。その苦痛の対価が、今の「完璧な経営」だった。

7.最大の危機と決断

就任から一年。帝都重工は過去最高益を叩き出し、完全に復活した。 だが、健司には一つだけ、どうしても回避できない「壁」が立ちはだかっていた。

それは、国家プロジェクトである巨大橋梁の建設工事だ。 このプロジェクトは、大型台風の直撃によって建設中の橋が崩落し、多数の作業員が犠牲になるという大事故が運命づけられていた。

健司は何度も時を戻した。 工期をずらそうとしたが、国交省との契約や政治的な圧力で動かせない。 補強工事を行おうとしたが、予算と時間が足りない。 台風の進路が変わるのを祈ったが、自然災害だけはどうにもならない。

(くそっ、また崩落した……!)

10回目のループ。崩れ落ちる鉄骨と、濁流に飲まれる作業員たちの悲鳴が、健司の精神を削っていく。 金も権力もある。だが、自然の猛威と、巨大組織の硬直したシステムだけは、小手先の「やり直し」では変えられなかった。

健司は決断した。 彼は、全社員とマスコミに向けた緊急記者会見を開いた。

「帝都重工は、本プロジェクトの無期限延期を決定します」 会場が騒然となる。国への背信行為だ。違約金だけで会社が傾きかねない。 「理由は?」と詰め寄る記者たちに、健司は力強く答えた。

「私の『勘』です。数日後に来る台風で、この橋は落ちる。社員の命を守るためなら、違約金など安いものだ」

世間からは「乱心した」と叩かれた。株価は暴落し、銀行団も融資引き上げをちらつかせた。 社内からも反発の声が上がった。 だが、あの頑固な工場長だけが、健司の前に立った。 「社長がそこまで言うなら、俺たちは従います。あんたはいつだって、現場の危機を救ってくれたからな」

そして数日後。 観測史上最大級の台風が直撃し、建設予定地は濁流に飲み込まれた。もし工事を進めていれば、確実に大惨事になっていた。 橋は作られなかったが、命は守られた。

翌日、帝都重工の株価はストップ高となった。 「人命を最優先し、勇気ある撤退をした企業」として、世界中から賞賛されたのだ。

8.新たなる景色

数年後。 帝都重工は、再生可能エネルギーと宇宙開発の分野で世界をリードする企業へと変貌を遂げていた。 健司は会長職に退き、現場を優秀な部下たちに任せていた。

完成したばかりの宇宙ステーションを見上げる展望台。 健司の隣には、かつて彼を鼻で笑った老役員の姿があった。 「高橋会長。あなたは一体、何者なんですかな」 「ただの、元商社マンですよ。少しだけ、勘が鋭い」

健司は笑ってごまかした。 もう、時を戻すことはほとんどない。 会社という巨大な生き物は、健司の手を離れ、社員たちの情熱によって自律的に未来へ進み始めていたからだ。

「力が欲しいか」と悪魔に問われたあの日。 健司は自分の人生を変えることしか頭になかった。 だが今、彼が手にしたのは、5万人の雇用と、日本の技術力の未来、そして「明日を信じて働く人々」の笑顔だった。

「さて……次は、政治でも変えてみるか?」

健司は冗談めかして呟く。 空には、帝都重工のロケットが、雲を突き抜けて宇宙(そら)へ向かっていく。 その軌道は、一度もやり直す必要のない、真っ直ぐな光の道だった。 健司は満足げに目を細め、その光景をいつまでも眺めていた。

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