蒼い地図の余白に、君が書き加えた明日 第4話

十二月二十三日。世間はクリスマス・イブを目前に控え、街路樹は青や金のイルミネーションで彩られていた。 しかし、**真壁 航(まかべ わたる)小鳥遊 陽葵(たかなし ひまり)**の現在地は、そんな華やかな大通りから一本入った、薄暗い市立図書館の郷土資料室だった。

「部長! 見つけました! 明治三十八年の新聞記事! この街で初めて『クリスマス・ツリー』が飾られた記録です!」 暖房の効きすぎた部屋で、陽葵が古いマイクロフィルムの画面を指差して声を上げた。彼女の頬は、熱気と興奮でほんのり赤い。

「……陽葵さん、声が大きいよ。それにしても、まさかクリスマスの直前に、こんな調査をすることになるとは」 航は呆れつつも、手元のノートに記録を取る。周囲の高校生がプレゼント選びやデートの計画に勤しむ中、彼らは「この地方都市における西洋文化の受容史」を調べていたのだ。

「だって、気になるじゃないですか! 当時の人たちが、どんな風に異国の文化を受け入れたのか。……あ、この記事によると、当時は『降誕祭の飾り木』って呼んでたみたいですね。風情があります!」 陽葵はキラキラした目で画面に見入っている。 航は、そんな彼女の横顔を盗み見て、小さく溜息をついた。 (……普通、この時期に男女二人きりなら、期待してしまうシチュエーションのはずなんだけどな) しかし、彼女の頭の中は「明治のロマン」で満たされている。航は、自分が抱きかけた淡い期待を、古い新聞記事の文字の海に沈めた。

「よし、記録確認完了! 次は現地調査です!」 図書館を出た二人が向かったのは、市内にある最も古い煉瓦造りの教会だった。当時の「飾り木」が飾られた場所だ。

教会の中は、明日のミサの準備で賑わっていた。信者たちが慌ただしく飾り付けをする中、二人は許可を得て、歴史あるステンドグラスや柱の装飾を撮影させてもらうことになった。

「うわぁ、すごい……。このステンドグラス、光が当たると本当に綺麗……」 礼拝堂の隅に置かれた巨大なもみの木の前で、陽葵が足を止めた。色とりどりのオーナメントが輝き、その光が彼女の瞳に反射している。

「……そうだね。綺麗だ」 航の言葉は、ツリーに向けられたものか、それとも。 その時、飾りの一つが落ちそうになっているのに気づいた陽葵が、背伸びをした。 「あっ、届かない……」 「僕がやるよ」 航が後ろから手を伸ばす。自然と、彼の体が陽葵の小さな背中を覆うような形になった。ほんの一瞬、彼女の髪からシャンプーの香りがした。

「……ありがとうございます、部長。やっぱり、背が高いって才能ですね!」 陽葵は無邪気に振り返り、ニカッと笑った。 航は心臓が跳ねるのを必死に抑えながら、努めて冷静に「ただの物理的な距離の問題だよ」と返すのが精一杯だった。周囲から見れば、完全に「クリスマスの教会に来た微笑ましいカップル」に見えていたとしても、当の本人たちには、その自覚が決定的に欠けていた。

帰り道。駅前の商店街は、恋人たちや家族連れでごった返していた。 「部長、ちょっと寄っていいですか? 商店街の福引、今日までなんです!」 陽葵が立ち止まったのは、歳末大売出しの抽選会場だった。

「私、こういうの当たる気がするんですよね!」 ガラガラガラ、と彼女が回した抽選器から、コロンと赤い玉が出た。 カランカランカラン! 大当たりでーす!

「えっ!?」 係のおじさんが満面の笑みで差し出したのは、地元の有名洋菓子店の『特製クリスマス・ペアケーキ』の引換券だった。 「おめでとう! 彼女さんと仲良く食べてね!」

「あ、えっと、違います! 私たち、ただの部員と部長で……」 航が慌てて否定しようとするが、陽葵は引換券を受け取って大喜びだ。 「やったー! 部長、これ、部室で食べましょう! 調査のご褒美です!」

(……ペアケーキを、部室で、二人で?) それはもう、事実上のクリスマスデートではないのか。航の脳内は混乱を極めた。 しかし、陽葵はあくまで「糖分補給」のつもりなのだろう。彼女はスキップしながら、イルミネーションで輝く街を歩き出した。

「早くしないと溶けちゃいますよ、部長!」 振り返った彼女の笑顔が、街のどんな灯りよりも眩しく見えた。 航は、コートのポケットに両手を突っ込み、冷たい夜風に火照った頬を晒しながら、彼女の後を追う。

「……ああ、今行くよ」

手に入れたのは甘いケーキ。けれど、二人の間にある距離は、まだ少しだけ甘さが足りない。 そんな、クリスマスの少し手前の夜だった。

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