禅の光と影 サイドB

雲水寺夜語り:断絶と執着
昔、雲水寺(うんすいじ)という古刹に、チンネンとボクネンという二人の小坊主がいた。

チンネンは、陽だまりのような温かい笑顔を持っていた。愛嬌があり、誰に対しても分け隔てなく接する彼の周りには、いつも笑い声が絶えない。寺の坊主たち、出入りの商人、近隣の農夫まで、皆が彼を可愛がった。その社交性ゆえか、一見すると座学や修行には身が入っていないようにも見えた。

ボクネンにとって、その陽光のような笑顔こそが、彼の心を灼く最大の業火だった。

ボクネンは、己の内に世界を閉じ込めるような、寡黙で生真面目な少年だった。朝から晩まで経典を読み込み、座禅の姿勢は微動だにしない。誰よりも勤勉で知識も豊富であったが、彼のすべての努力は、愛されることを知らない孤独な自分と、誰にでも平等に微笑みかけるチンネンの決定的な差を埋めるために捧げられていた。彼は他の坊主たちとは言葉を交わすことも少なく、唯一、チンネンの背中を、嫉妬と切望が混じった視線で追い続けることだけが、彼の日常のすべてだった。

ある日のこと、寺の和尚(おしょう)が、書物にも記されていない秘伝の経(きょう)の教えを、ひそかにチンネンに授け始めた。

「なぜ、この私ではないのですか。なぜ、私だけを見てくれない者が選ばれるのですか——」

修行で一日の大半を過ごすボクネンは、この出来事を、自分がチンネンから選ばれないことの決定的な宣告だと受け止め、耐えられなくなった。

「和尚様」

ボクネンは強い決意をもって進み出た。その声は震え、純粋な求道心ではなく、愛する者への執着からくるものであった。

「私はチンネンよりも多くの書物を読み、真摯に修行に打ち込んでおります。難しい奥義を授けるのであれば、学ぶ姿勢、知識の深さにおいて、私こそが先であるべきではないでしょうか」

和尚は静かに座禅を組み、目を閉じたままボクネンに語りかけた。その声は、深山の水のように澄んでいた。

「ボクネンよ。お前は真に勤勉であり、その熱意は尊い。だが、学問とは、書物の中だけに宿るものではない」

和尚はゆっくりと目を開け、穏やかに続けた。

「一見すると、チンネンは軽やかに見えるかもしれぬ。だが、彼は多くの者と常に情報と心を交換している。お前が求めているのは真理ではない。お前が求めているのは、チンネンその人だ。お前が真に彼を理解したいのであれば、お前が遠ざけている、彼が愛し、彼を形作っている世界を知らねばならぬ」

ボクネンは、その言葉が、自分の恋が修行の妨げになっていることを見抜かれていることに気づき、全身の血が引くのを感じた。

彼は深く頭を垂れた。そして、この日を境に、彼は努めて周りの人間と交流するようになった。それは、他者の声に耳を傾けるという新しい修行の道であると同時に、チンネンが愛する世界に身を投じ、その世界を通じてチンネンとの接点を探ろうとする、報われない愛の試みであった。

それから数十年という月日が流れた。

チンネンは、人々との交流の中で培った温かい心と知恵を買われ、修行した雲水寺の和尚となっていた。彼の寺は、地域の人々の心の拠り所として、常に賑わっていた。

一方、ボクネンは、その知識と努力が認められ、宗派の総本山へと移り、宗家の中枢で教義を司る上級の僧侶となっていた。二人は、互いへの制御不能な感情を、出世という名の「断絶」と「修行」によって封じ込め、何十年もの間、物理的な距離を保ち続けていた。

ある晩秋の夕暮れ、宗家の説教のために、立派な身なりになったボクネンが、雲水寺を訪れた。宗家の高僧としての威厳をまとったボクネンの姿は、もはや昔の小坊主ではなかった。

説教を終えた日の夜。二人は庵の一室で、久しぶりの再会を喜び合った。酒とは呼ばぬ般若湯(はんにゃとう)を静かに酌み交わし、若かりし日の懐かしい思い出話に花を咲かせた。しかし、その言葉の端々には、互いを思い続けた年月の重みと、取り戻せない時間の苦さが滲んでいた。

夜が更け、月の光が障子に細い影を落とす頃、チンネンがぽつりと呟いた。

「実はな、ボクネン。あの頃も、今も、私はお前のことを嫉妬していたのだ」

ボクネンは驚いて目を見開いた。

「私はこの寺とこの土地の人々を愛してきた。だが、お前のように宗家の本山へ行き、仏教の真髄に迫ることは叶わなかった。お前は、私には決して届かない、孤高の頂きに立っている。今も、宗門の柱として立派に立つお前を、羨ましいと思わずにいられない」

その言葉を聞き、ボクネンは笑った。それは、諦めと悲しみが混ざった、乾いた笑いだった。

「何を言う。私こそお前を羨ましく思っている」

ボクネンは続けた。

「私は宗家で、確かに高度な学問と知恵を追求している。だが、それは、この狭い宗派の世界の中でしか通用しない、限定された知恵かもしれぬ。それに比べ、お前は、この地の人々に心から愛され、多くの魂を救っている」

ボクネンは杯を置き、障子の影に映るチンネンの横顔を見つめた。

「お前の生き方こそ、生きた仏法だ。人々の顔を見、その手を取り、悩みを聞く。どれほど経典を読み込んでも、私にはお前のその温かさが、どうしても足りぬのだ。そして何より、私の二十年、三十年の努力は、お前のその温かい笑顔一つに勝てぬのだ。私は、誰にでも平等な光であるお前を、ただ一人占めしたいという業から、未だに逃れられていない」

二人は、それぞれの胸の内にあった報われない執着と、遠すぎた道の苦悩を打ち明け、顔を見合わせた。

その瞬間、ボクネンは立ち上がり、宗家の高僧の威厳をすべて捨てて、一歩、チンネンに近づいた。彼はただ、数十年ぶりに、彼の光の近くに身を置きたかった。

そして、「もう、離れないでくれ」という言葉の代わりに、ボクネンは、冷え切った自分の手のひらで、チンネンの頬にそっと触れた。

チンネンは何も言わず、その冷たい手に自分の手を重ねた。互いの道のりを認め合う、清々しい笑いはそこにはなかった。あったのは、互いの存在によってしか埋められない、数十年分の空虚な時間と、それを悟ってしまった、今更どうすることもできない、切なすぎる夜語りだけであった。

その後、二人はそれぞれが選んだ生き方に、互いを唯一の執着として抱き続け、二度と一線を越えることなく、それぞれの場所で禅の光を灯し続けたという。その心の奥底には、いつまでも消えない、遠い夜の温もりが残っていた。

どう読むか、この悲劇的な喜劇

前の二つの小説を読んでください。

あるミッション系高校の教室で、教育という名の茶番劇が上演された。登場人物は、二人の教師と、十七、八歳の感受性豊かな観客たち。そして、小道具は一冊の分厚い聖書である。

第一幕:心臓病のプロフェッショナルと、無秩序という名の儀式
チャイムが鳴る。主演は、病弱な心臓に信仰心を宿す高尾先生。しかし、舞台に登場したのは代理の西村浩介、歴史教師である。彼は、いつもの「無秩序」な光景に遭遇する。すなわち、授業開始と同時に、生徒が一斉に黒板脇の本棚に殺到し、分厚い聖書という名の「鈍器」を強奪する、この学校の伝統的な儀式だ。

西村は激怒した。その怒りのベクトルは、生徒の不真面目さではなく、「持病持ちの同僚への敬意を欠いた、準備の無さ」に向けられた。心臓に悪いという理由で怒りを募らせ、その怒りが自らの血圧を上げ、結果的に病気の同僚と同じような体調不良を引き起こすという、見事な自己言及のパラドックスを披露したのだ。彼は、誰にも一言の説明もなく、無言で退場した。

生徒たちからすれば、これはまさしく「突然、神隠しにあった教師」というホラーコメディである。教師は、自分の病気のリスクと、生徒への説明責任のどちらを「どう読むか」という選択を迫られ、両方を放棄したのだ。


休憩を挟み、「教育熱心病」を患う歴史教師、西村が再登場する。彼は鎮静剤で己の怒りを鎮めた後、一つの崇高な使命を帯びていた。「答えを与えるのではなく、自力で過ちに気付かせる」という、極めて抽象的な教育理念だ。

彼は、生徒たちが一向に理解できていない「なぜ高尾先生は消えたのか」という疑問に、正面から答えることを拒否する。代わりに与えられたのは、「ヒント」という名の、拷問的な言葉の連打だった。

「お前らわかるか、『どう読むか聖書』なんだぞ」

この授業で使う教科書のタイトルが、西村にとっての「真理の言葉」であった。彼は、声のトーン、イントネーション、表情を変えながら、このフレーズを二十回以上も繰り返したという。

生徒たちの視点から見れば、これは単なる「真面目な大人が故障した瞬間」に他ならない。彼らは、真剣に問いかける教師の姿を前に、「何か重要なことを言っているのだろう」と耳を傾けるが、聞こえてくるのは、「どう読むか聖書」という無意味な呪文だけだ。彼らの困惑は、「自責の念」ではなく、「教師の正気」に対するものへと変化した。

西村は、生徒たちが俯いたのを「反省」と読み取り、体が震えているのを「罪の意識」と読み取った。教師は、生徒の沈黙と身体的反応を、常に自分の都合の良いように「読んで」しまうのだ。


そして、極めつけの幕切れが訪れる。

「お前らわかるか、『どう読むか聖書』なんだぞ」という、慈愛に満ちた(と本人が信じた)最後の問いかけの直後、一人の生徒、田中が堪えきれずに吹き出した。

田中が笑ったのは、西村の言葉ではなく、その言葉の反復によって生み出された滑稽さ、そして教師の意図と生徒の反応の、あまりにも巨大なズレだった。しかし、西村の脳内では、これは即座に「教師の威厳と、同僚の病気を嘲笑うニヒリズム的な反抗」と翻訳された。

西村は、自分の教育的アプローチの失敗を認める代わりに、田中を「犯人」に仕立て上げ、最初の被害者である高尾先生への謝罪という名目で「生贄」として差し出した。

こうして、この一件は終結した。西村は、「自力で気付かせる」という高邁な理念を掲げたにもかかわらず、最終的には「答えを理解できずに笑った生徒を罰する」という最も権威主義的で、最も教育的でない方法で幕を引いた。

最後まで、生徒たちは高尾先生の退場の理由も、西村先生の「どう読むか聖書」の真意も理解できなかった。彼らはただ、一連の出来事を、「二人の先生が、それぞれ別の理由で勝手に怒り、一人の生徒が巻き添えになった喜劇」として記憶するだろう。

結局、この物語で誰も「読めなかった」のは、教師たちの自己満足的な感情と、生徒たちの素直な困惑であった。「どう読むか聖書」。皮肉なことに、このタイトルこそが、教師と生徒の間に横たわる、永遠に埋まらない断絶を最も雄弁に語っていたのである。

「どう読むか聖書」地獄

山田(俺)の席は窓際の後ろから二番目。今日も今日とて、聖書の授業は地獄だった。ミッション系高校の慣例で、教室の黒板横にはデカい本棚があり、分厚くて邪魔くさい俺たちの聖書が並んでいる。授業が始まる直前に、一斉にわらわらとそこに取りに行くのが、このクラスのお約束だ。

聖書強奪と、消える先生
チャイムが鳴り、いつもの聖書の高尾先生がドアを開けた、その瞬間。

「よーし、強奪開始!」

誰かが叫ぶより早く、クラス全員が本棚ダッシュを決めた。ドタバタと聖書をひっつかみ、席に戻る。俺も自分の名前の入った分厚い鈍器(聖書のことだ)を抱えて席についた。

と、異変が起きた。高尾先生が、固まってる。

先生は普段からちょっと神経質なところがあったけど、今日は様子がおかしい。顔が真っ赤で、首筋の血管が妙に浮き出てる。「うわ、なんかキレてる?」と思った瞬間、先生は何も言わずに、まるで電源が切れたかのように、クルッとUターンして、そのまま職員室へ引き返していった。

「…は?」

教室は静寂に包まれた。何が起きた?聖書を取りに行ったのがマナー違反だった?いや、いつもやってるじゃん。

「おい、まさか俺たちのせいでブチ切れたんじゃねーの?」「いや、でも理由の説明ゼロだぞ?」「もしかして、先生、幻覚でも見たんじゃね?」「あの顔、なんか苦しそうだったよな。心臓止まったんじゃねーか?」

誰も真実を知らないまま、クラスはミステリー談義で盛り上がった。

壊れたレコーダーの襲来
10分ほどして、救世主が現れた。代わりに授業に来たのは、歴史担当の西村先生だ。この先生は普段は温厚だけど、たまに難しい顔をして「若者に自力で気付かせたい」みたいな教育熱心病を発症する厄介なタイプだ。

西村先生は、教壇に立つと、高尾先生の病気の事情は一切説明せず、やたら深刻な顔で俺たちを見回した。

「お前ら、なんでこんなことになったか、わかってるか」

全員が目を丸くして首を振る。「いえ、さっぱり」

西村先生は「チッ」と舌打ちしたように見えた。そして、ここからが悪夢の始まりだった。

「お前ら、いいか。高尾の授業は聖書の授業だ。そしてお前らが使っている教科書は、『どう読むか聖書』なんだぞ」

俺たちはポカンとした。「どう読むか聖書」。それがどうした?教科書の名前を暗唱しろってこと?

西村先生は俺たちが正解に辿り着くのを待っているようだったが、誰もピンとこない。すると先生は、イライラを抑えつつ、同じ言葉を繰り返した。

「お前らわかるか、『どう読むか聖書』なんだぞ」

誰も答えられない。俺たちの困惑を、先生は「ヒントが足りない」と解釈したらしい。

「お前らわかるか、どう読むか聖書なんだぞ」(←聖書に力を込める)

「お前らわかるか、『どう読むか聖書』なんだぞ?」(←急におどけてみる)

先生はイントネーションを変え、声のトーンを変え、まるで再生速度を調整された古いカセットテープみたいに、同じフレーズを永遠に繰り返した。

俺たちの頭の中は「先生、どうした?」「何かのおまじないか?」「流行りのギャグか?」という疑問でいっぱいになった。真面目な顔で同じことを連呼する西村先生は、だんだん滑稽に見えてきた。

特にひどかったのは、先生が「威圧感を与えすぎたのでは」と勘違いした時の、あのおどけた言い方だ。あれには、普段からお調子者の田中が、口を手のひらで覆って必死に笑いをこらえているのが見えた。

田中、生贄になる
そして、先生は「厳しさ」に戻った。

「お前らわかるか!『どう読むか聖書』なんだぞ!」

そして、トドメとばかりに、連打を始めた。

「お前らわかるか、『どう読むか聖書』なんだぞ、お前らわかるか、『どう読むか聖書』なんだぞ、お前らわかるか、『どう読むか聖書』なんだぞ!」

これはもう、精神攻撃だ。

俺たちは先生の異常な行動に、恐怖と、爆発寸前の笑いで俯いた。笑っちゃいけない雰囲気なのはわかる。だけど、先生が真面目に同じ言葉を三回繰り返すたびに、内臓が揺れる。多くの奴らが、肩を震わせて笑いを必死に押し殺している。

先生は、それを「反省の色」と勘違いしたようだ。最後の最後に、優しいトーンで言った。

「お前らわかるか、『どう読むか聖書』なんだぞ」

その瞬間、耐えきれなかった田中が、「ブフッ!」と盛大に吹き出した。

教室の笑いの堰が決壊した。

西村先生の顔が、今度はさっきの高尾先生とは違う、純粋な怒りで真っ赤になった。

「お、お前がやったのか!お前がこの状況を嘲笑ってるのか!すぐに高尾先生に謝って来い!」

田中は、笑い過ぎて涙目になりながら、先生の全く見当違いな怒りに巻き込まれて、生贄として職員室へ引きずられていった。

結局、俺たちは最後まで、高尾先生がなぜブチ切れて帰ったのかも、西村先生の「どう読むか聖書」が何を意味していたのかも、全く理解できなかった。ただ、あの日の聖書の時間は、先生の壊れたレコーダーと、一人の友人の壮絶な爆笑死をもって、伝説の喜劇として語り継がれることになった。

可哀想なのは田中だ。彼はただ、真面目な先生の滑稽な姿に耐えられなかっただけなのに。

どう読むか、この教室を

西村浩介は、ミッション系高校の教壇に立ちながら、自分の心臓の鼓動が不規則なリズムを刻むのを感じていた。彼は歴史担当だが、今日は病欠の高尾先生の聖書の授業代理でこの教室に来ている。

教室の黒板の横には、作り付けの年季の入った本棚がある。分厚い聖書を机にしまうには場所を取りすぎるため、生徒一人ひとりの名前が記された聖書が、そこに整然と並べられていた。

チャイムが鳴り、西村が教室のドアを開けた、まさにその瞬間だった。

それまでざわついていた教室内の十七、八歳の生徒たちが、まるで示し合わせたかのように一斉に立ち上がり、本棚へと殺到した。

「おい、待て!」

西村の脳裏に、心臓を患う高尾先生の顔が浮かんだ。高尾先生は、授業開始前に生徒が席で静かに待っている状態、つまり「準備」を重んじる先生だ。授業が始まってから、皆が一斉に私物を整理し始めるような「無秩序」を、彼は最も嫌う。

西村は代理とはいえ、高尾先生の苦労を知っていた。彼は、生徒たちが授業直前にようやく聖書を取りに行くという、準備を怠った彼らの無神経さに、猛烈な怒りを覚えた。それは、彼らの学習態度、そして高尾先生への敬意の欠如に見えた。

「何だ、この体たらくは…!」

その怒りは、持病を持つ西村の血圧を急激に押し上げた。頭がくらくらし、視界が白んでいく。怒りの感情が、心臓の痛みに変わる。彼は、生徒に何かを怒鳴りつけることも、状況を説明することもできず、ただ激しい動悸に耐えながら、無言で踵を返し、職員室へと引き返した。


職員室で鎮静剤を飲んだ西村は、高尾先生から事情を聞き、ふたたびその教室へと戻った。

教室は静まり返っていた。生徒たちは困惑の表情で、互いに顔を見合わせている。「先生は怒って出て行ったのか?」「何があったんだ?」彼らの間には、状況への理解が全くないことが見て取れた。

西村にとって、答えを出すのは簡単だった。「高尾先生は君たちが準備をしていなかったことに怒ったんだ」と。しかし、すでに十七、八歳にもなる彼らだ。教師が答えを与えるのではなく、自らの過ちに自力で気付いてほしい。それが、西村の教育者としての信念だった。

彼は、静かに教壇に立ち、そして問いかけた。

「お前ら、なんでこんなことになったか、わかってるか」

生徒たちは一様に首を振り、茫然としている。「いえ、さっぱり」という声が響く。

西村は、彼らにヒントを与えることを決断した。今日の授業で使う教科書の名を思い出す。それは『どう読むか聖書』という、実に示唆に富んだタイトルだった。

「お前ら、いいか。高尾の授業は聖書の授業だ。そしてお前らが使っている教科書は、『どう読むか聖書』なんだぞ」

彼は、生徒たちの反応を待った。彼らは目を丸くしているが、それが「どう読むか」に繋がっているのかは理解できていない。西村は、いらだつ心を抑え、同じ言葉を繰り返す。

「お前らわかるか、『どう読むか聖書』なんだぞ」

困惑は深まるばかりだ。西村は考えた。伝え方が悪いのか。

今度は「聖書」に力を込めてみる。

「お前らわかるか、どう読むか聖書なんだぞ」

反応は変わらない。むしろ、教師の繰り返す言葉に、彼らはますます混乱している。

西村は、威圧感が邪魔をしているのではと推測し、態度を一変させた。おどけた調子で、少し笑顔さえ作って同じ言葉を繰り返す。

「お前らわかるか、『どう読むか聖書』なんだぞ?」

しかし、生徒たちの表情は変わらない。それどころか、教師の甘い態度を察したのか、クラスの隅で薄ら笑いを浮かべる生徒がいる。反省の色は、微塵も見えない。

「やはり、この世代には厳しさが必要なのか…」

西村はそう思い直し、再び語調を厳しくして詰め寄った。

「お前らわかるか!『どう読むか聖書』なんだぞ!」

厳しさが効いたのか、何人かの生徒は体を震わせている。答えには辿り着いていないようだが、その瞳の奥で、何かが働きかけている。

彼は、繰り返せば理解に繋がると信じ、壊れたレコーダーのように同じ言葉を畳み掛けた。

「お前らわかるか、『どう読むか聖書』なんだぞ!お前らわかるか、『どう読むか聖書』なんだぞ!お前らわかるか、『どう読むか聖書』なんだぞ!」

多くの生徒が俯いた。西村は「よし」と思った。彼らは自分の行動の愚かさを理解し、己を恥じているのだろう。思春期の生徒は、なかなか素直に謝れないものだ。

最後に、彼は慈愛に満ちた教師の顔を作り、優しく問いかける。

「お前らわかるか、『どう読むか聖書』なんだぞ」


一息ついた静寂の中、クラスのいつもお茶らけている生徒が、突然吹き出した。

「くっくっく…」

西村の思考は一瞬にして凍りついた。彼は必死に彼らに気付きを与えようとしていた。彼らの無準備が、病を持つ教師の命を危険にさらしたことを、「どう読むか」を問いかけていたのだ。

しかし、この生徒には、彼の真剣な思いは届いていなかった。真面目な大人を馬鹿にし、ニヒリズムを気取っている自分が格好いい、そう思っているに違いない。

西村の心は、怒りへと転じた。彼はこの笑い出した生徒こそが、クラスの雰囲気を乱し、教師の意図を嘲笑っている「犯人」だと決めつけた。

「お前が、やったのか。すぐに高尾先生に謝って来い!」

生徒はしぶしぶ、西村の指示に従い、職員室で休んでいる高尾先生に謝罪に向かった。これで一件落着。そう思ったのは、教師である西村だけだった。

生徒たちは、最後まで高尾先生が教室から出て行った理由を全く理解できなかった。

困惑の中で教室に入ってきた西村先生は、何か重要な答えをくれると期待していた。しかし、彼は滑稽なほどに同じ言葉を繰り返すだけだった。生徒たちの目には、教師の真剣な「気付きを促す問いかけ」は、ただの壊れたジョークにしか映らなかったのだ。

彼らは、笑いをこらえることに必死で、俯き、肩を震わせていた。そして、とうとうこらえきれずに吹き出してしまった生徒は、残念ながら、教師の感情的な裁きの生贄となってしまった。

「どう読むか聖書」という言葉の裏に隠された教師の思いは、結局、生徒たちの心の扉を開くことなく、言葉の暴力として受け取られ、彼らの間に、深い溝と、滑稽な誤解だけを残した。西村は、彼らに「読ませる」ことはできなかったのだ。

こんな夢を見た

加藤健吾、30代の日本人考古学者である彼は、いつものようにジャングルの湿った空気を吸い込んでいた。ここは地球の肺、アマゾン川のさらに奥地。彼のキャリアのほとんどは、この地で失われた文明の痕跡を追うことに費やされてきた。

「健吾、無理しないでね」

出発前、東京の自宅で、妻のアンバーが心配そうに言った言葉が、湿った空気の中にふと蘇る。アンバーは、彼の研究を理解し、いつも支えてくれる太陽のような女性だった。

調査は順調に進み、新たな遺跡の断片を発見できた喜びも束の間、異変は静かに、そして素早く起こった。現地ガイドが発熱で倒れ、健吾自身も激しい悪寒に襲われた。熱帯特有の熱病かと思ったが、幸いにも彼の体力と免疫が勝った。数日で症状は治まり、調査は続けられた。現地医師は「一時的な風土病でしょう」と診断した。

健吾は知らない。彼の体内で、アマゾン奥地の古代の菌株が変異した、恐ろしい「何か」が静かに定着したことを。彼は、それをただの「治った風邪」として、自身のキャリアの成果と共に日本へと持ち帰ってしまったのだ。

帰国後、健吾は精力的に研究と論文執筆に取り掛かった。体調は万全。何事もなかったはずだった。

異変は、彼が帰国して一ヶ月後の夜に起こった。

「健吾、私、体がだるいの…それに、寒気がする」

アンバーの声に、健吾はハッとして彼女を見た。彼女の肌が、照明の加減か、わずかに青みを帯びているように見えた。翌日、病院で精密検査を受けたが、原因は特定できない。ただ、アンバーは徐々に様子がおかしくなっていった。

最初は些細なことだった。些細な音に過剰に反応し、夜中にうなされる。だが、数日のうちにそれは悪化し、彼女の瞳からは理性的な光が消え、代わりにある種の獰猛さが宿るようになった。そして、彼女の肌は、深く、鮮やかな青色へと変色していった。

ある晩、健吾が書斎で作業をしていると、背後から物音がした。振り返ると、青い肌と充血した眼を持つアンバーが、信じられないほどの力で本棚を押し倒し、獣のような唸り声を上げながら彼に襲いかかろうとしていた。

「アンバー!やめてくれ!」

健吾は恐怖と混乱で叫んだ。これが、彼がアマゾンから持ち帰った「キャリア」の真の姿だった。このウイルスは、感染者を凶暴化させ、皮膚を青く染め、そして、接触や体液を通じて恐ろしい速度で増殖する化け物へと変貌させるのだ。

健吾はなんとかアンバーを拘束し、感染のメカニズムを理解しようと必死になった。彼自身の体内で抗体ができたのは、ウイルスの変異初期に感染したためかもしれない。彼は一縷の望みをかけ、隔離した自宅で治療法を探したが、時間は彼を待ってはくれなかった。

アンバーは拘束を破り、外の世界へと飛び出した。そして、その恐ろしいウイルスの拡散源となってしまった。

街は地獄と化した。青い肌の化け物たちが人々を襲い、次々と感染者を増やしていく。警察も軍隊も、その狂暴な集団の爆発的な増殖には対処できなかった。健吾は、自分が引き起こした惨状に打ちひしがれながらも、唯一、アンバーを止めることだけを考えた。

彼は、狂気の中心へと向かった。そこには、数え切れないほどの青い化け物たちを率いる、一際大きく、凶暴な一体がいた。それは、かつての彼の愛する妻、アンバーの姿を留めた、化け物のボスだった。

「アンバー…俺が、全部終わらせる」

健吾は最後の力を振り絞ってボスに立ち向かった。だが、力は圧倒的だった。激しい格闘の末、彼はボスとなったアンバーによって組み伏せられる。

牙が彼の首筋に食い込み、熱い痛みが走った。彼は知った。これで終わりだと。

ウイルスは、彼という抗体を持つ最後の理性的な人間をも飲み込んだ。痛みと狂気が全身を駆け巡り、彼の肌も徐々に青く染まり始める。意識が遠のく直前、健吾はポケットから調査用のメモ帳とペンを取り出し、震える手で最後の言葉を書き付けた。

「ボスはアンバー」

日本は青い肌の化け物の国と化した。その頂点には、かつての愛と優しさを完全に失った、アンバーという名のボスが君臨している。

健吾は、アンバーの忠実な、新たな青い化け物の一員として、かつて愛した女性の支配下で、永久の狂気の中で咆哮を上げ続けた。彼の人生を賭けた考古学の発見は、皮肉にも、文明を終わらせる災厄となったのだ

禅の光と影

昔、雲水寺(うんすいじ)という古刹に、チンネンとボクネンという二人の小坊主がいた。

チンネンは、陽だまりのような温かい笑顔を持っていた。愛嬌があり、誰に対しても分け隔てなく接する彼の周りには、いつも笑い声が絶えない。寺の坊主たち、出入りの商人、近隣の農夫まで、皆が彼を可愛がった。その社交性ゆえか、一見すると座学や修行には身が入っていないようにも見えた。

一方、ボクネンは、己の内に世界を閉じ込めるような、寡黙で生真面目な少年だった。朝から晩まで経典を読み込み、座禅の姿勢は微動だにしない。誰よりも勤勉で知識も豊富であったが、他の坊主たちとは言葉を交わすことも少なく、その孤高な態度は、時として軋轢を生んだ。

ある日のこと、寺の和尚(おしょう)が、書物にも記されていない秘伝の経(きょう)の教えを、ひそかにチンネンに授け始めた。

修行で一日の大半を過ごすボクネンは、これを見て耐えられなくなった。

「和尚様」

ボクネンは強い決意をもって進み出た。

「私はチンネンよりも多くの書物を読み、真摯に修行に打ち込んでおります。難しい奥義を授けるのであれば、学ぶ姿勢、知識の深さにおいて、私こそが先であるべきではないでしょうか」

和尚は静かに座禅を組み、目を閉じたままボクネンに語りかけた。その声は、深山の水のように澄んでいた。

「ボクネンよ。お前は真に勤勉であり、その熱意は尊い。だが、学問とは、書物の中だけに宿るものではない」

和尚はゆっくりと目を開け、穏やかに続けた。

「一見すると、チンネンは軽やかに見えるかもしれぬ。だが、彼は多くの者と常に情報と心を交換している。病で苦しむ村人の悩み。旅の僧がもたらす遠方の宗派の教え。市井の人々の暮らしの智慧。彼はそれらを、経典と同じように、己の糧としている。その知識の幅広さは、お前が想像する以上に深く、そして実用的なのだ」

書物から頭を上げず、自分の努力だけを絶対視していたボクネンは、その言葉に顔が熱くなるのを感じた。それは、己の過信と狭量さを、冷たい水で洗い流されるような恥ずかしさであった。

ボクネンは深く頭を垂れた。そして、この日を境に、彼は努めて周りの人間と交流するようになった。勤勉さはそのままに、他者の声に耳を傾けるという、新しい修行の道を歩み始めたのである。

それから数十年という月日が流れた。

チンネンは、人々との交流の中で培った温かい心と知恵を買われ、修行した雲水寺の和尚となっていた。彼の寺は、地域の人々の心の拠り所として、常に賑わっていた。

一方、ボクネンは、その知識と努力が認められ、宗派の総本山へと移り、宗家の中枢で教義を司る上級の僧侶となっていた。

ある晩秋の夕暮れ、宗家の説教のために、立派な身なりになったボクネンが、雲水寺を訪れた。

説教を終えた日の夜。二人は庵の一室で、久しぶりの再会を喜び合った。酒とは呼ばぬ般若湯(はんにゃとう)を静かに酌み交わし、若かりし日の懐かしい思い出話に花を咲かせた。

夜が更け、月の光が障子に細い影を落とす頃、チンネンがぽつりと呟いた。

「実はな、ボクネン。あの頃も、今も、私はお前のことを嫉妬していたのだ」

ボクネンは驚いて目を見開いた。

「私はこの寺とこの土地の人々を愛してきた。できる限りの修行に励んだつもりだ。だが、お前のように宗家の本山へ行き、仏教の真髄に迫ることは叶わなかった。今も、宗門の柱として立派に立つお前を、羨ましいと思わずにいられない」

その言葉を聞き、ボクネンは静かに微笑んだ。そして、般若湯の入った杯を掲げた。

「何を言う。私こそお前を羨ましく思っている」

ボクネンは続けた。

「私は宗家で、確かに高度な学問と知恵を追求している。だが、それは、この寺の中、この狭い宗派の世界の中でしか通用しない、限定された知恵かもしれぬ。それに比べ、お前は、この地の人々に心から愛され、その日々の苦しみや喜びに寄り添い、多くの魂を救っている」

「お前の生き方こそ、生きた仏法だ。人々の顔を見、その手を取り、悩みを聞く。どれほど経典を読み込んでも、私にはお前のその温かさが、どうしても足りぬのだ」

二人はお互いの胸の内を打ち明け、目を見合わせた。そして、声に出して笑い合った。それは、お互いの道のりを認め合い、その価値を確かめ合う、清々しい笑いだった。

その後、二人はそれぞれが選んだ生き方に確かな自信を抱き、生涯、多くの人々を導く素晴らしい僧侶として、それぞれの場所で禅の光を灯し続けたという。