葦原中国の禊祓 4話

あのXデーの惨劇を経て、日本国は事実上、ヤマトタケルという一個人に屈服した。 政府、警察、軍事力。あらゆる抵抗が無意味であることを悟った国家に残された道は、彼の要求を全面的に受け入れることのみであった。

しかし、そこには現実的な壁があった。「議員定年制の導入」と「議員数の十分の一への削減」。これらを合法的に実現するには、現行法の改正と、何よりも国会の解散総選挙が不可欠であった。 命が惜しい議員たちは即時の賛成を望んだが、選挙の準備、周知期間、そして投開票の物理的な時間を考慮すれば、当初の期限である「一か月後」には到底間に合わない。最低でもあと二か月は必要だった。

約束の期限であった翌月三十日。 恐怖に包まれた国会議事堂には、前回の欠席者への粛清を恐れ、這ってでも出席した全議員が揃っていた。 総理大臣は、震える足で演壇に立ち、虚空に向かって語り掛けた。

「我々は……貴殿の要求をすべて受け入れる。しかし、それを実現するための選挙には、物理的な時間が必要だ。あと二か月……猶予をいただきたい」

総理の言葉が終わると同時に、演壇の横にヤマトタケルが音もなく現れた。 議員たちが一斉に息を呑む。断罪か、猶予か。 ヤマトタケルは、総理を冷ややかに見下ろし、短く答えた。

「よかろう。物理的な不可能を強いるつもりはない。期限を延長する。二か月後の今日、新生した議会で諸君らに会おう」

そう言い残し、彼は再び姿を消した。議場に、安堵の溜息が波のように広がった。


そして、日本史上類を見ない「選挙戦」が始まった。 それは民主主義の祭典ではなく、生存をかけた椅子取りゲームであった。

まず、これまで国会に巣食っていた既存の議員たちは、誰一人として立候補しなかった。出馬することはすなわち、ヤマトタケルによって過去の不正を暴かれ、処刑されるリスクを自ら負うことを意味していたからだ。彼らの不出馬は、自らの過去が真っ黒であることの証明そのものであった。

代わって立候補したのは、三種類の人間だった。 死を恐れぬ真の愛国者か、状況を理解できていないただの愚者か、あるいは、ヤマトタケルの目を盗んで新たな利権を築こうとする新種の怪物か。

国民もまた、この選挙の異様さを肌で感じていた。「投票しなければ殺されるかもしれない」という漠然とした恐怖が社会を覆っていた。 結果、投票率は戦後最高となる80%を記録した。しかし、それでも20%の国民は、神の如き粛清者が監視する中でも、投票所へ足を運ばなかった。


そして迎えた、新たなXデー。 定数が十分の一に削減され、各都道府県からわずか一名程度しか選出されなかった新生国会。 かつて七百人以上の議員で埋め尽くされていた広大な議場は、今は寒々しいほどに閑散としていた。

選ばれし約七十名の新議員たちが、緊張した面持ちで議場に足を踏み入れる。 すると、そこには信じがたい光景があった。

パチ、パチ、パチ……。 乾いた拍手の音が響く。 いつもは議員たちが揃った後に現れるヤマトタケルが、既に演壇の中央に立ち、ゆっくりと拍手で彼らを出迎えていたのだ。

全員が席に着いたのを見計らい、ヤマトタケルが口を開いた。

「おめでとう。無事、私の第一、第二の条件をクリアし、ここに精鋭が揃ったようだ。これからの日本を期待している」

その声は、初めて聞く穏やかなトーンだった。新議員たちの間に、安堵の空気が流れかけた。 だが、次の瞬間、その空気は凍りついた。

「……しかし。残念ながら、三つ目の条件を満たしていない者が、数名紛れ込んでいるようだ」

「え?」 誰かが声を上げた直後だった。

ドサッ、ドサッ、バタッ。

議場のあちこちで、十名の議員が糸が切れた人形のように崩れ落ちた。 悲鳴すら上がらない。何の前触れもなく、外傷もなく、彼らはただ「絶命」していた。

「不正の内容をいちいち説明はしない。ただ、彼らは新生日本を担うには『ふさわしくなかった』。それだけだ」

ヤマトタケルは、動かなくなった十の骸に一瞥もくれず、生き残った六十名に向けて告げた。

「政治家の修正は、これで一段落ついた。私はこれから、この国を蝕む他の領域――経済、メディア、司法の粛清をメインに動くとしよう」

そして、最後に釘を刺す。

「いつでも私は、皆を見ている。それをゆめゆめ忘れるなかれ」

瞬きした時には、ヤマトタケルの姿は掻き消えていた。

広すぎる議場に残された、わずか六十人の政治家たち。 彼らは、足元の死体を見つめ、そして互いの顔を見合わせた。 恐怖は去っていない。しかし、それ以上に彼らの胸に去来したのは、強烈な自負と安堵だった。

「我々は、選ばれたのだ」 「あのヤマトタケルに、ふさわしいと認められたのだ」

血と恐怖によって濾過された彼らは、震える拳を握りしめ、心に誓った。 もはや後戻りはできない。ヤマトタケルが望む、より良い――そして、より清廉潔白な日本を作るしかないのだと。

恐怖による統治の下、新たな日本が動き始めた。

葦原中国の禊祓 3話

そして、運命のXデーが訪れた。 国会議事堂周辺は、かつてないほどの厳戒態勢が敷かれていた。警視庁、警察庁、陸上自衛隊の精鋭部隊に加え、同盟国B国から極秘裏に派遣された特殊部隊、さらにはCIAやFBIの諜報員までが動員された。

各国の情報機関が総力を挙げてヤマトタケルのプロファイリングを試みたが、結論は「不明」。過去の痕跡が一切存在しない、文字通りの「亡霊」であった。 唯一の共通見解は「奴は必ず議場に現れる」ということ。 その一点に賭け、議事堂内部は要塞と化していた。傍聴席や通気口、あらゆる死角にスナイパーが配置され、数百の銃口が演壇に向けられていた。

午後一時。本会議が開会される。 議題など存在しない。ただ「ヤマトタケルを待つ」ためだけの儀式。 議長が震える声で開会の挨拶を終えた、その瞬間だった。

「……!」

何の前触れも、音も、気配もなく、演壇の中央にヤマトタケルが現れた。 あの白と赤の覆面。漆黒のスーツ。

『撃て!』 現場指揮官の絶叫と同時に、数十発のライフル弾が発射された。 乾いた銃声が議場にこだまし、硝煙が立ち込める。すべての弾丸が正確に標的を捉えた――はずだった。

煙が晴れる。 ヤマトタケルは、傷一つなく、微動だにせずそこに立っていた。

「事前の配備、ご苦労」 いつものように、マイクを通さずとも議場の隅々まで響き渡る、威厳に満ちた声。 「しかし、私にそのような攻撃は無意味だ」

そう言いながら、彼がゆっくりと手のひらを広げる。 カラン、コロン。 乾いた音を立てて床に落ちたのは、ひしゃげた数十発のライフル弾だった。

スナイパーたちが息を呑む間もなく、第二陣が動いた。 「突入せよ!」 ジュラルミンの盾を構えた機動隊の精鋭数十名が、肉の壁となって演壇へとなだれ込む。

ヤマトタケルは、ため息交じりに首を振った。 「何度も忠告している。もう警告はない。私の志を妨害する者は、命をもって償ってもらう」

抜刀の動作すら見えなかった。 銀色の閃光が、機動隊の列を横薙ぎに走り抜けた直後。 十数人の屈強な警官たちの体が、盾ごと上下に両断された。

鮮血の噴水が上がる中、第三陣が動き出す。B国軍特殊部隊による、重火器の一斉掃射。 アサルトライフル、機関銃の轟音が議場を揺るがす。数分間にわたる絶え間ない銃撃が、演壇を蜂の巣にした。

射撃が止み、静寂が戻る。硝煙の向こう側は、瓦礫の山と化していた。 「やったか……」B国兵士の一人が呟く。

だが、煙が風に流れた先には、衣服すら乱れていないヤマトタケルが佇んでいた。

「……バケモノか」 誰かの呟きが漏れた。これは人間ではない。人智を超えた存在だ。

ヤマトタケルは静かに刀を構え、宣告した。 「これから三つ数えるうちに、この場から去る者は見逃す。残る者は、覚悟完了した兵士と見なす」

「ひとぉつ」

その声に、蜘蛛の子を散らすように逃げ出す者がいた。恐怖のあまり腰を抜かし、その場で失禁する者がいた。 だが、命令に縛られ、あるいは恐怖で動けず、その場に留まった者たちもいた。

「みっつ」

カウントが終わった瞬間、議場は再び血の海と化した。 部屋に残っていた兵士、警官、諜報員は、例外なく「肉塊」へと変わっていた。

静寂を取り戻した議場で、ヤマトタケルは生き残った議員たちを見下ろした。彼らは皆、恐怖で魂が抜けたように座り込んでいる。

「この過剰な『歓迎』は、私の要求に対する拒否回答と受け取ろう」 ヤマトタケルの声は、感情の色を見せない。 「だが、その回答に対する私の回答の前に……本日、出席しなかった者がいたな」

今日の本会議は、ヤマトタケルを罠にかけるための囮として、全議員に出席命令が出ていた。しかし、恐怖に負け、あるいは高みの見物を決め込み、欠席した者が多数いたのだ。

「敵前逃亡は、万死に値する」

ヤマトタケルが懐から何かを取り出し、議員席に向かって放り投げた。 ゴロ、ゴロゴロ。 血濡れたボールのようなものが、絨毯の上を転がる。 それは、本日欠席した有力議員たちの、切り落とされた生首だった。

「ひぃいいっ!」 悲鳴すら上げられず、泡を吹いて気絶する議員が続出する。

「それでは。要求を受け入れなかったということで、本来ならこの場の諸君を殲滅したいところだが……もう一度だけ、温情をかけよう」

ヤマトタケルは、血に染まった刀をゆっくりと納めた。

「来月三十日。再度、回答を待つ。受け入れられない場合は……そこに転がっている首が、諸君らの未来だ」

「それでは、来月を待っている」 そう言い残すと、ヤマトタケルの姿は陽炎のように揺らぎ、掻き消えた。

後には、数百の死体と生首、そして精神が崩壊した政治家たちが残された。

この日、この瞬間。 日本国民全員が、心の底から理解した。 「ヤマトタケル」という名の、現代に蘇った荒ぶる神には、いかなる武力も、権力も、絶対に通用しないのだと。

葦原中国の禊祓 2話

議事堂における惨劇の後、日本の中枢は機能不全に陥っていた。 十名の国会議員が斬殺されるという前代未聞の事態。議会は即時散会となり、議員たちは蜘蛛の子を散らすように逃げ帰ったが、内閣と治安維持組織に休息など許されなかった。

その夜、首相官邸地下の危機管理センターには、総理大臣、官房長官、警察庁長官、そして自衛隊幕僚長らが極秘裏に招集された。紫煙と怒号が飛び交う中、彼らが下した決断は一つ。

「隠し通すことは不可能だ。事実を公表し、国民の監視の目を犯人捜索に向けさせる」

翌朝、政府は「国会議事堂内におけるテロ行為」の事実のみを発表した。 詳細は伏せられたものの、その衝撃は日本列島を、いや世界を揺るがした。 「覆面の男」「日本刀」「議員殺害」。 男は即座に、国家転覆を目論む最悪の「国賊」として、その特徴が全世界へ配信された。


事件から二日後。 犯人の手掛かりが掴めぬまま、国民の不安を払拭するために、総理大臣による緊急記者会見が開かれた。

「現在、警察と自衛隊が総力を挙げて捜査にあたっており……国民の皆様におかれましては、冷静な行動を……」

無数のフラッシュの中、総理は額に脂汗を浮かべ、用意された原稿を読み上げる。その場しのぎの空虚な言葉が羅列されていく。 だが、記者の誰かが質問しようと手を挙げた瞬間、会場の空気が凍りついた。

総理の隣に、男が立っていた。 警備厳重なはずの官邸会見場。その演台の横に、白と赤の覆面をしたあの男が、まるで最初から同席していたかのように佇んでいたのだ。

「ひっ……!」 総理が短く悲鳴を上げ、腰を抜かして後ずさる。 SPたちが銃に手をかけるより早く、男はマイクに身を乗り出し、カメラのレンズ越しに国民へ語り掛けた。

「総理の話が真実か判断つかない国民も多いかと思うが、今の『テロがあった』という説明は真実だ」

男は悠然と続ける。 「この機会に、日本国を見つめなおしてほしい。腐敗がどこまで進んでいるのかを」

そして、男は報道陣を見回し、嘲笑うかのように言った。 「取材陣が困らないよう、便宜的に私の名を教えよう。『ヤマトタケル』。今後はそう呼んでもらう」

「う、撃て! 確保しろ!」 警備責任者の叫び声が響く。だが、SPたちが演台に殺到した時、そこには誰もいなかった。 煙幕も、爆発音もなく、男はただ「消失」していた。 会見場は怒号と悲鳴が入り混じる混沌と化し、中継は強制終了された。


「ヤマトタケル」と名乗った男の映像は、瞬く間に拡散された。 翌日から、テレビ各局のワイドショーは彼の話題で持ちきりとなった。恐怖よりも「視聴率が取れる」という欲望が勝り、コメンテーターたちは安全なスタジオから、推測と批判を好き放題に垂れ流した。

中でも、過激な発言で人気を博している民放のワイドショー番組は、特にヒートアップしていた。 派手なセットの中、売れっ子司会者がカメラに向かって捲し立てる。

「いやあ、御託並べてますけどね、結局は人殺しですよ。日本を正す? 笑わせちゃいけません。テロとか、ほんま『しょうもない』ですわ」

スタジオに笑いが起きようとした、その刹那。 スタジオ内の温度が、氷点下まで下がったような錯覚を全員が覚えた。

司会者の背後に、ヤマトタケルが立っていた。

「……え?」 司会者の顔から、芸人としての愛想笑いが消える。 共演のタレント、観覧客、スタッフ全員が驚愕のあまり声を出せない。生放送のスタジオが完全な静寂に包まれる。 その中で唯一、番組ディレクターだけがインカム越しに絶叫した。 『カメラ回ってるぞ! チャンスだ! 質問しろ! 視聴率跳ね上がるぞ!!』

その指示に突き動かされるように、司会者は震えるマイクを後ろに向けた。 「あ、あなたの目的は何ですか……! 死んだ遺族に、ど、どのように詫びるんですか!」

ヤマトタケルは、カメラを見ようともせず、ただ静かに、威厳を放って答えた。 「私の目的は日本を正すことだ。そのためには手段を選ばない。個別の命の価値など、今は考慮しない。……私の命も含めてな」

そして、覆面の奥の瞳が、司会者を射抜く。 「そして、正す対象は国だけではない。社会に寄生する個別の巨悪にも、天誅を食らわす」

「え……?」

「例えば、お前らのボスもだ」

ヤマトタケルが右手を高々と掲げる。その手には、何か丸い物体が掴まれていた。 ボト、リ。 血の滴る「それ」が、キャスター席のテーブルに置かれる。 無造作に転がったのは、このテレビ局の会長の生首だった。

「ひぃ、いやあああああああ!!」 女性タレントの絶叫が響き渡る。だがヤマトタケルは止まらない。

「この男、ここ一年で制作費の横領五億、報道特番での事件捏造十件、各タレント事務所への不正圧力、さらに新人アナウンサーへの婦女暴行……挙げればきりがない」

そして、ヤマトタケルは抜刀した。切っ先が、腰を抜かした司会者の喉元に向けられる。

「そして、司会者の貴様。脱税一億五千万。一部のタレント、未成年を含む者への暴行、および性的暴行の斡旋。……君にも粛正が必要だ」

「ま、待ってくれ! 私はただ……!」

言い訳は、音にならなかった。 銀閃一閃。 司会者の体は、正中線から左右綺麗に二つに分かれ、内臓をぶちまけて左右に倒れ込んだ。

スタジオは阿鼻叫喚の地獄絵図と化した。血の海の中で、ヤマトタケルはカメラに向かって告げた。

「改めて、さらばだ。私は日本を見守っている。ゆめゆめ忘れないことだ」


その日を境に、日本のメディアから「声」が消えた。 どのチャンネルも、どの新聞も、政府発表を淡々と流すのみ。ヤマトタケルに対する批判はおろか、論評することさえ、自らの首を差し出す行為に等しかったからだ。

言論が死んだ日本で、国会は一つの結論を出した。 「テロリストには屈しない。武力には、最大の武力を持って応える」

水面下で、対テロ特殊部隊だけでなく、自衛隊の全部隊に実弾装填の許可が下りる。 さらに政府は、同盟国である軍事大国・B国へ極秘の武力援助を要請。 ヤマトタケルが指定した「一か月後の回答期限」、すなわち「Xデー」。

その日に向けて、東京は戦場へと変わろうとしていた。

葦原中国の禊祓 1話

重厚な静寂が、国会議事堂の本会議場を支配していた。

真紅の絨毯が敷き詰められた議場には、衆参両院の全議員が整列し、その視線はただ一点、中央の高い演壇に注がれている。開会式という厳粛な儀において、天皇陛下のお言葉が述べられた直後であった。

陛下が静かに演壇を降りられ、その姿が扉の向こうへと消える。張り詰めていた空気がわずかに緩み、次の進行のために議長が演壇へ向かおうとした、その時だった。

「……?」

誰かが息を呑む音が、マイクを通さずとも議場に響いた。 議長が足を止める。視線の先、無人であるはずの演壇に、いつの間にか「男」が立っていたからだ。

どこから現れたのか、誰も見ていない。まるで最初からそこの空気に溶け込んでいたかのように、男は堂々とそこに在った。 仕立ての良い漆黒のスーツ。顔には、白地に赤の紋様が走る不気味な覆面。そしてその手には、現代の政治の場にはあまりにも不似合いな、抜き身の日本刀が握られていた。

警備の不手際か、あるいは演出か。議員たちがざわめき始めたその時、男が口を開いた。マイクを使っていないにもかかわらず、その声は朗々と、議場の隅々まで明瞭に響き渡った。

「私は、日本を生まれ変わらせるものである」

その声には、不思議な圧があった。一瞬にして数百人の議員が、金縛りにあったかのように沈黙する。 男は覆面の奥から議場を見下ろし、毅然と言い放つ。

「現在の日本は腐っている。私はそれを粛正する」

男は刀の切っ先を天に向け、宣言した。

「今から言う私の要求に、一か月以内に従え」

「ひとつ。議員定年制の導入。六十五歳にて議員定年を設けること」 「ふたつ。議員定数を現行の十分の一とすること」 「みっつ。議員の不正は、死をもって償うこと」

あまりに常軌を逸した要求に、議場は凍り付いた。だが、その沈黙を破ったのは衛視たちだった。 「確保しろ! 何をしている!」 怒号と共に、四人の警備員が演壇へ駆け上がる。男は動じない。彼らが壇上に足をかけた瞬間、静かに告げた。

「職務を全うする君たちに恨みはない。しかし、私の志を阻む者には死の粛清を与える」 男はわずかに刀身を傾ける。 「君たちも命が惜しかったら、私に手を触れぬことだ」

だが、警備員たちは止まらない。訓練された動きで、先頭の一人が男の腕を掴もうと手を伸ばした。

刹那。

銀色の閃光が走ったと認識できた者は、誰一人いなかった。 男の言葉を無視して伸びた警備員の手が、男のスーツにかすめた瞬間。 警備員の体が、正中線から左右にずれた。

「え……?」

鮮血が噴き出すよりも早く、人体が二つに分かれて崩れ落ちる。 数秒の空白。何が起きたのか理解が追いつかない脳が、目の前の惨劇を処理し終えたとき、議場は絶叫に包まれた。

「ひ、ひいいいっ!」 「逃げろ! テロだ!」

パニックに陥った議員たちが出口へと殺到する。だが、重厚な扉はびくともしない。 「開かないぞ! どうなってるんだ!」 「ロックされている! 誰か、外へ連絡を!」

逃げ場のない密室。阿鼻叫喚の地獄と化した議場で、男だけが静謐な空気を纏っていた。 「騒ぐな。来月の合同会議までに回答を待っている。それでは」

男が踵を返そうとした時、一人の老人が声を張り上げた。 「待て!」

震える足で踏みとどまり、男を睨みつけていたのは、野党第一党の重鎮議員だった。彼は恐怖を怒りで塗りつぶし、叫んだ。 「テロなどに、日本は屈しないぞ! お前のような狂人に、我々の正義が屈してたまるか!」

その言葉に、逃げ惑っていた議員たちの足が止まる。そうだ、ここは国権の最高機関だ。暴力に屈してはならない。そんな空気が生まれかけた。

男はゆっくりと振り返り、老人を見つめた。覆面の奥の瞳が、冷徹な光を放つ。 そして、吐き捨てるように言った。

「野党第一党、大友議員か。貴様の狼藉は理解している」

「な、何を……」

男は淡々と、事務的に事実を読み上げるように告げた。 「前の任期での建設談合による横領、一千二百十二万円。都市開発に絡む収賄、三億四千万円。日本の敵対国工作員との極秘打ち合わせ、三回。認可外保育施設への圧力と寄付団体への特別対応、五回。まだ背信行為はあるが……現時点で断罪には十分だ」

老人の顔から血の気が引いた。「な、なぜそれを……いや、でたらめだ!」

「嘘かどうかは、あの世で自問するがいい」

次の瞬間、老議員の反論は喉の奥で永遠に途絶えた。 距離があったはずの男が、瞬きする間に目の前に現れ、刀を一閃させていたからだ。 老人の体は袈裟懸けに両断され、どうと床に倒れ伏した。

再びの悲鳴。だが男は止まらない。

「今日はその予定はなかったが……見せしめに、この腐った団体に鉄槌を下そう」

男は懐から一枚の紙を取り出すこともなく、虚空を見つめて次々と名を挙げ始めた。

「与党、佐々木。医療法人への不正融資関与」 一閃。首が飛ぶ。

「野党、江藤。政治資金規正法違反、および秘書への暴行傷害」 一閃。胴が薙がれる。

「無所属、高山。反社会的勢力との交際、および脱税」

男が名前とその罪状を告げるたび、銀色の弧が描かれ、一人、また一人と議員が血の海に沈んでいく。 十人の議員が断罪されるのに、一分とかからなかった。 抵抗も、弁明も許されない。ただ罪を暴かれ、処刑されるのみ。

十人目の男が崩れ落ちた時、議場は死のような静けさに包まれていた。 生き残った議員たちは、腰を抜かし、あるいは失禁し、ただ震えてうずくまっている。恐怖のあまり、呼吸する音さえ憚られる空間。

血糊の一滴すらついていない刀を納め、男は震える議員たちを見渡した。

「これで私の気持ちは伝わったと思う」

男の声は、変わらず理知的で、それゆえに底知れぬ恐怖を煽った。

「それでは、来月の議会を楽しみにしている」

男の手が挙がる。 誰もがその指先を目で追った瞬間、フッと掻き消えるように、男の姿は演壇から消え失せていた。

後には、施錠されたままの扉と、物言わぬ十数人の骸、そして絶望的な沈黙だけが残されていた。

アンタッチャブル

第一章:ついに手にした夢

田中悟(さとし)は、この50年間の人生を「我慢」という二文字で言い表せると思っていた。若くして家族を支え、仕事では泥水をすすり、自分の欲望はいつも後回し。昇進しても、給料が上がっても、その使い道は常に家族のため、将来のためだった。そんな悟の唯一の、そして長年の夢が、ついに形になったのは、昨年の冬のことだ。

真新しい**「ブリリアント・パール」**の輝きを放つ、ドイツ製の高級セダン。貯金の多くをはたき、妻からは「贅沢すぎる」と小言を言われたが、誰にも譲れない、悟自身の勲章だった。納車されてから一ヶ月。毎週末、悟は愛車を丁寧に磨き上げ、用もないのにハンドルを握った。車内に漂う新車の革の匂いこそが、悟の努力の証であり、静かな誇りだった。


第二章:音と怒り

週末の午後。悟は海岸線沿いのドライブを楽しんでいた。潮風に吹かれ、穏やかなエンジン音に包まれていると、日々の仕事の重圧が溶けていくようだった。

市街地に入り、信号待ちで停車する。窓から差し込む秋の陽射しが心地よい。その時、左側から**「ガリッ」**という、耳障りな金属の擦れる音が響いた。

反射的に左のドアミラーを見た。視界に入ってきたのは、黒いパーカーを着た痩せた男の背中。男は小径の自転車に乗っており、悟の愛車の側面にぶつかりながらすり抜けていったのだ。

「おい!」

悟は思わず声を上げた。男は立ち止まることなく、そのままペダルを漕ぎ続ける。

「待て!止まれ!」

青信号に変わったが、悟はアクセルを踏めなかった。愛車につけられた傷が気になり、車を降りる。ブリリアント・パールの側面、ちょうど運転席側のドアの真ん中に、指の腹ほどの長さの、痛々しい黒い線が走っていた。

悟は血が頭に上るのを感じた。我慢に我慢を重ねて手に入れた宝物に、たった今、土足で踏み込まれたのだ。

「おい、あんた!今、ぶつかっただろう!」

悟は男の自転車の前に立ちはだかった。男は面倒くさそうに振り返った。まだ20代前半だろうか。無精髭を生やし、瞳には何の光もない。

「あ?何だよ。ちょっと当たったくらいで大袈裟だな」

謝罪の言葉は一切ない。その態度が、悟の怒りに火をつけた。

「ちょっとだと?この車、新車だぞ!お前、ぶつけておいて謝りもしないのか!」 「うるせぇな。見てんだろ、別に大した傷じゃねぇよ。自転車なんだから、車が気をつけろよ」

男は悪びれるどころか、悟を睨みつける。悟は震える手でスマートフォンを取り出した。

「いいか、もういい。警察を呼ぶ」

男は鼻で笑った。

「好きにしろよ」


第三章:消える責任、始まる悪意

やがてパトカーが到着した。現場検証を行い、警察官が悟と男、それぞれの話を聞く。悟はてっきり、男が厳重に注意され、示談の話が進むと思っていた。

しかし、警察官は淡々と告げた。

「これは物損事故ですね。当事者同士の合意が必要な、民事不介入の案件になりますので。我々は、お二人の身元確認と、事実確認までしかできません。後は、当事者間で話し合ってください」

悟の望んだ解決は、そこにはなかった。結局、男と住所と氏名の交換だけを行い、互いの連絡先を教え合うこともなく、その場は解散となった。男は最後まで、悟と愛車に目を合わせることはなかった。

数日後、悟は修理工場から見積もりを取り、男宛に内容証明で請求書を送った。しかし、返事は来ない。催促の電話をかけると、男はのらりくらりと躱(かわ)すばかりだ。

「今は手持ちがないんで」「そのうち払いますよ」「あー、ちょっと忙しくて」

そうしているうちに、異変が起き始めた。

深夜にかかってくる無言電話。家に届く、心当たりのないセールスのDM。そしてある朝、玄関先に、犬の糞が置かれていた。

「また、隣の家の犬か…?」

最初はそう思った。しかし、その翌週にも、またその翌週にも、同じ場所に糞が置かれている。さらに、家族のスマートフォンに、無言の着信が頻繁に入るようになった。

悟の脳裏に、あの男の顔がよぎった。事故の時、住所を知られたのは、あの男だけだ。

悟は警察に相談した。

「嫌がらせがあるんです。事故の相手に…」

警察は丁寧に対応してくれたが、結果は同じだった。

「防犯カメラの設置をお勧めします。これだけでは、犯人の特定には至りませんし、民事の範疇を越えるような犯罪行為とは判断できません」

悟は、自宅に監視カメラを設置した。だが、嫌がらせは止まらない。カメラが捉えたのは、夜中にフードを深く被った人影が、サッと玄関先に何かを置いて立ち去る様子だけだった。映像は不鮮明で、特定は不可能。

正義の介入は、どこにもなかった。


第四章:泥沼の消耗戦

数ヶ月が経った。たった数センチの車の傷を直すための請求は、未だに宙に浮いたままだ。代わりに、悟の精神と財布は深く傷ついていった。

たまらず、悟は弁護士に依頼した。

「弁護士費用は初期費用で30万円。成功報酬は別途いただきます」

その金額を聞いただけで、車の修理費用など、とうに吹き飛ぶ。だが、このままでは自分の人生が男に踏みにじられる気がして、悟は依頼を決めた。

弁護士はすぐに対応してくれたが、結果は変わらない。男は弁護士からの督促にも、相変わらず「そのうち払う」と応じるだけ。弁護士に強制力はない。法的な手続きを踏まなければ、何も解決しないのだ。

「やはり、裁判しかありません。費用はさらにかかりますが」

悟は、もう引き返せなかった。憎しみと、理不尽に対する怒りが、費用と時間を度外視させていた。

裁判は長引いた。男はあらゆる手段を使って審理を引き延ばし、出廷を拒んだり、意味不明な主張を繰り返したりした。裁判所は中立だ。悟は、自分の正当性が証明される場であるはずの法廷で、さらに時間を浪費した。


第五章:敗者の勝利

そして、さらに半年後。悟はついに勝訴を勝ち取った。

「これで…これで終わったんだな」

裁判所からの帰り道、悟は疲労困憊の体でそうつぶやいた。しかし、喜びは一瞬で消え去った。

男は、判決を無視した。支払期日を過ぎても、一円も振り込まれない。

弁護士に相談すると、「強制執行、差し押さえの手続きが必要です。その手数料と人件費で、さらに15万円ほどかかりますが」と告げられた。

もう、何が目的か分からなくなっていた。傷の修理費用は10万円ほど。しかし、すでに弁護士費用と裁判費用で、その何倍もの金が消えている。それでも、悟は引けなかった。ここで止めたら、男の勝ちになる。

「お願いします。差し押さえをやってください」

強制執行が始まった。しかし、相手に差し押さえるような資産はなかった。銀行口座には、わずかな残高。彼の自宅に踏み込んでも、価値のある家財道具など何もない。

差し押さえは、ほとんど意味がなかった。

悟が手にしたのは、紙切れ一枚の勝訴判決と、虚しい疲労感、そして失った莫大な時間とお金だけだった。嫌がらせは、それでも続いていた。


終章:燃える夢

それは、裁判の終結から数週間後の夜だった。

仕事で疲れ切り、やっとの思いで自宅へと車を走らせる。愛車を駐車場に入れ、玄関に向かって歩き出したその時、悟の目に、非現実的な光景が飛び込んできた。

家が、炎に包まれていた。

二階の窓ガラスが割れ、そこから黒い煙と、恐ろしいほどのオレンジ色の炎が噴き出している。

悟は立ち尽くした。脳が停止し、自分の立っている場所さえ分からなくなった。家族の安否確認も忘れるほど、悟の頭の中は真っ白だった。

やがて、消防車のサイレンが近づいてくる。近隣住民が集まり、ざわめき始める。

その騒音の中、悟はただ立ち尽くしながら、これまでの自分の行動を、スローモーションのように振り返った。

あの日の信号待ち。もし、あの時、自分が降りていなかったら。 もし、あの時、傷を見て見ぬふりをして、そのまま車を発進させていたら。 もし、少額の金と引き換えに、被害届を諦めていたら。 弁護士に依頼せず、裁判にも踏み切らず、すべてを忘れていたら……。

「世の中には、触れてはいけないものがある」

愛車のために、正義のためにと戦い続けた結果が、これだった。

炎の熱が、肌を焦がす。悟は、燃え盛る自宅を見上げながら、その火の中に、自分が一生をかけて積み上げてきた全てが崩れていく音を聞いた。

そして、ようやく理解した。

自分が手にした憧れの車は、地獄への招待状だったのだ。

悟は、力なく膝をついた。彼の視界の片隅で、彼が愛したブリリアント・パールの車体が、ぼんやりと炎のオレンジ色に照らされていた。その車体には、あの小さな、たった数センチの傷が、今も黒い線となって残っているように見えた。

ミラクルニンジャガール2025

第1章:令和の道場、昭和の遺物

2025年、ニューヨーク。かつて摩天楼と呼ばれた街は、巨大なホログラム広告と自動運転ドローンが飛び交うサイバーパンクな都市へと変貌を遂げていた。

ブロンクスの片隅にある、古びたガレージ。そこだけが、時が止まったかのように昭和の空気を纏っていた。

「違う! そうではないと言っておるじゃろ、ティファニー!」

白髪の老婆が、しわがれた声で叱咤する。かつてのミラクルニンジャガール、ジェニファー・タナカ(60歳)だ。彼女は今、グランドマスターとして、孫娘に忍びの道を説いていた。

「でもさー、グランマ。今時、生のタコとかマジ無理だし。ヴィーガン対応のプロテインバーじゃダメなの? 効率悪いじゃん」

スマホをいじりながら答えるのは、孫娘のティファニー(16歳)。彼女こそが、新時代のヒーロー**「ジャスティスニンジャスター」**である。そのスーツは最新のナノファイバー製で、LEDが七色に発光するゲーミング仕様だ。

ジェニファーは溜息をついた。あの輝かしいプロムの夜、彼女はブラッドと結ばれた。しかし、結婚生活は長くは続かなかった。「朝食に納豆を出すか、シリアルを出すか」という決定的な価値観の違い(という名の文化摩擦)により、二人は別々の道を歩むことになったのだ。

「ティファニーよ。効率ではない。『魂(ソウル)』の問題だ」 ジェニファーは、亡き祖父ヒロの遺影の前で、今日の金言を授けた。

フルキ・オ・タズネテ・アタラシキ・オ・シル

「その意味はこうだ。『古いYouTubeの動画ばかり見ていると、新しいTikTokのトレンドに乗り遅れて死ぬ。だが、古いしきたりを無視すれば、アイデンティティが崩壊してやはり死ぬ。つまり、新旧の板挟みで我々は常に死に体なのだ』」 「……何言ってるか全然わかんない。とりあえずバズればよくない?」

新時代のニンジャに、古き良き大和魂は届かない。

第2章:極彩色の脅威

その頃、ネオ・タイムズスクエアがパニックに陥っていた。 これまでの物理的なヴィランとは異なる、新たな概念の敵が現れたのだ。

「アアア……ワタシハ、スベテデアリ、ココニアリ、ドコニデモアル……」

不定形の光の集合体が、周囲の空間を歪めていた。その敵の名は**「レインボーセクシャル」**。 あらゆる属性、あらゆる指向、あらゆる価値観を同時に内包し、それを超高密度の「多様性ビーム」として周囲に放射する存在。その光を浴びた者は、情報量の多さに脳が処理落ちし、アイデンティティが崩壊して廃人となってしまうのだ。

「キャー! 私の推しカプが逆転した世界線が見えるわ!」 「俺の自我がゲシュタルト崩壊するううう!」

現場に駆けつけたジャスティスニンジャスター(ティファニー)が、最新ガジェットの「スマート手裏剣(自動追尾機能付き)」を投げる。 「喰らいな! Z世代の怒りよ!」

しかし、手裏剣は敵の光に触れた瞬間、虹色の粒子となって霧散した。 「嘘でしょ!? 物理攻撃が効かない!?」

「ムダダ……キサマノヨウナ、アイマイナソンザイハ、ワタシノヒカリデ、ウメツクシテヤル」 レインボーセクシャルが、ティファニーを捕食しようと光の触手を伸ばす。絶体絶命!

第3章:老兵は死なず、ただボヤくのみ

その時、けたたましいエンジン音と共に、錆びついた80年代製のキャデラックが現場に突っ込んできた。

「ゲホッ、ゲホッ! 今の車の排ガス規制はどうなっとるんだ!」 運転席から転げ落ちてきたのは、腹の出た老人。かつてのジャスティススター、ブラッド(61歳)だ。星条旗のスーツはパツパツで、継ぎ目から肌が見えている。

「文句を言わないで! 孫がピンチなのよ!」 助手席から、杖をついたジェニファーが降り立つ。蛍光ピンクの装束は色あせ、関節サポーターが痛々しい。

「グランマ!? グランパ!? 何しに来たの、そんな恰好で!」 ティファニーが叫ぶ。

「決まっておろう! お前を助けに来たのだ!」 「昔取った杵柄(きねづか)ってやつさ! いくぞ、ジェニファー! 久しぶりの共同作業だ!」 「ええ、ブラッド! これが最後の『日米安全保障条約』よ!」

二人の老兵は、よろめきながらも敵に立ち向かった。

第4章:死に場所を見つけたり

「喰らえ! 老体に鞭打つ、『テンプラ・スラッシュ・還暦スペシャル』!!」 ジェニファーがショーグンソードを振るうが、腰がグキッと鳴り、剣筋がブレブレになる。

「俺の愛国心は不滅だ! 『星条旗インポッシブル・タックル(要介護認定)』!!」 ブラッドが突進するが、数メートル手前で息切れし、盛大にずっこけた。

「グフッ……寄る年波には勝てん……!」 「ハアハア……膝の軟骨が……!」

彼らの攻撃は、レインボーセクシャルには全く通用しなかった。光の触手が、無慈悲に二人を弾き飛ばす。コンクリートに叩きつけられ、動けなくなる二人。

「グランマ! グランパ!」 ティファニーが駆け寄る。二人は血を吐きながらも、孫娘を見て笑った。

「逃げろ……ティファニー……。ここは私たちが食い止める……」 「そうだ……。お前は未来を生きろ……。過去の遺物は、ここで散るのがお似合いさ……」

その姿を見て、ティファニーの中で何かが弾けた。 最新のガジェット? バズる動画? そんなものはどうでもいい。

目の前にいるのは、時代遅れで、カッコ悪くて、でも命懸けで自分を守ろうとしてくれた、最高のヒーローたちだ。

(これが……グランマが言っていた「魂」……!?)

彼女の脳裏に、祖母の言葉が稲妻のように走った。 『ニンジャとは……』

ティファニーはゆっくりと立ち上がった。彼女のゲーミングスーツのLEDが、激しい赤色に点滅を始める。

「わかったよ、グランマ。ニンジャの真髄、理解した」

彼女は敵を見据え、静かに言い放った。

「忍とは、死ぬことと見つけたり!!」

第5章:最終奥義・ハラキリ

ティファニーは、スーツのリミッターを全て解除した。内蔵された全エネルギーが、彼女の腹部にあるコアに集中していく。

「アイツら(ヴィラン)の多様性ビームがなんだ! こっちは命を多様に散らしてやるわ!」

彼女は懐から、祖母から無理やり持たされていた「切腹用短刀(プラスチック製レプリカ)」を取り出し、自らの腹部のコアに突き立てた。

「なっ、何をする気だティファニー!?」ブラッドが叫ぶ。 「まさか……あれは伝説の!?」ジェニファーが目を見開く。

ティファニーはニヤリと笑った。 「見てなよ。これが、クールジャパンの最終結論(オチ)だ!」

「真・最終奥義! ハラキリ・エクスプロージョン(自爆・大和魂)!!」

カッッッ!!

彼女の体を中心として、ネオ東京全体を飲み込むほどの、超巨大な桜色の爆発が発生した。それは、あらゆる論理、あらゆる多様性、あらゆる概念を物理的に吹き飛ばす、純粋な「自己犠牲」のエネルギー奔流だった。

「アアアア……コノ、リフジンナ、エネルギーハァァァ……!」 レインボーセクシャルは、理屈を超えた熱量に耐え切れず、蒸発して消滅した。

エピローグ:黄昏のダイナーで

爆心地となったタイムズスクエア。奇跡的に、ティファニーは無傷で立っていた(スーツの緊急保護機能が働いたらしい)。 「……ふぅ。これが日本のワビサビってやつ? 案外、悪くないかもね」 彼女は焼け焦げたプラスチックの短刀を見つめ、少しだけ大人びた笑みを浮かべた。

数時間後。ネオ東京の郊外にある、レトロな雰囲気を残したダイナー。 窓際の席に、煤だらけの服を着替えたジェニファーとブラッドが向かい合って座っていた。

テーブルの上には、二人分のハンバーガーと、毒々しい色をしたクリームソーダ。 そして、ジェニファーの前には、持参したタッパーに入った「タコの酢の物」が置かれている。

「……まさか、君とまたこうして食事をする日が来るとはな」 ブラッドが、しわくちゃの手でハンバーガーを持ち上げる。

「ええ。あのプロムの夜以来ね。あの時は、世界がもっと単純に見えたわ」 ジェニファーはタコを一切れ、口に運んだ。酸味と歯ごたえが、疲れた体に染み渡る。

二人の間には、長い沈黙が流れた。離婚の原因となった「納豆vsシリアル戦争」の記憶が、ふと蘇る。しかし今、彼らの間にあるのは、共に時代を駆け抜け、そして老いを迎えた戦友としての、静かな共感だった。

「なぁ、ジェニファー」 ブラッドが、クリームソーダのストローをいじりながら呟いた。 「もし、俺が朝食に納豆を食べることを許容していたら……俺たちの未来は違っていたのかな」

ジェニファーは少し驚いた顔をして、そして優しく微笑んだ。 「さあ、どうかしら。でも……貴方が毎朝、星条旗のタイツでラジオ体操をするのを、私が許容できたとも思えないわ」

ブラッドは声を上げて笑った。 「ハハハ! 違いない。俺たち、最初から噛み合ってなかったんだな」 「ええ。でも、最高のパートナーだったわ」

窓の外では、ネオ東京の夕暮れが、街を茜色に染めている。 かつて摩天楼を飛び回っていた二人の英雄は、今は静かに並んで、変わってしまった街の景色を眺めていた。

「……ねえ、ブラッド」 「ん?」

ジェニファーは、テーブルの下でそっと、ブラッドのしわだらけの手に自分の手を重ねた。 「次のデートは、いつにする?」

ブラッドは少し照れくさそうに、でも力強く、彼女の手を握り返した。 「いつでもいいさ。俺のスケジュールは、これからずっと空いているからな」

1980年から2025年へ。時代は変わり、体は老いても、彼らの魂に刻まれた、勘違いだらけの熱い「大和魂」と、不器用な愛は、決して色褪せることはない。

ダイナーのジュークボックスから、懐かしい80年代のポップスが流れ始めた。 二人の最後のデートは、まだ始まったばかりだ。

ミラクルニンジャガール 最終話

第1章:嵐の前のロマンス

1980年、春。ニューヨークの街は、二つの熱気に包まれていた。 一つは、若者たちの心をときめかせる「プロム(卒業ダンスパーティー)」。 もう一つは、国を揺るがす「次期大統領選挙」の喧騒だ。

ブロンクスのハイスクール。廊下の片隅で、ブラッドがジェニファーを呼び止めた。

「ジェニファー、あのさ……プロムのパートナー、まだ決まってないなら、僕とどうかな?」

時が止まった。ジェニファーの心臓が、早鐘のように打ち鳴らされる。 (ブ、ブラッド様が私を!? ソフィアでもチアリーダーでもなく!?)

「は、はい! 喜んで! 僭越ながら、このジェニファー・タナカ、末代までの誉れとさせていただきます!」 思わず最敬礼してしまったが、ブラッドは嬉しそうに笑った。

夢のような瞬間。しかし、現実は甘くなかった。 テレビのニュースが、不穏な空気を伝えている。

『――連日の貿易摩擦により、国内で反日感情が高まっています。デトロイトでは、日本車をハンマーで叩き壊すパフォーマンスが行われ……』

画面の中で、熱狂した群衆が「JAP GO HOME!」と叫んでいる。ジェニファーの胸が締め付けられた。 (私はアメリカで生まれ育った。でも、この国の人々にとって私は、まだ「敵」なのね……)

第2章:ヴィラン連合、結成

マンハッタンの地下深く。廃棄された地下鉄構内に、悪の精鋭たちが集結していた。

「諸君、時は来た。選挙で浮足立つこの国に、真の混沌をもたらすのだ」 音頭を取るのは、半身サイボーグの科学者、Dr.マシンソリューション

その周囲には、かつてニンジャガールに辛酸を舐めさせられた者たちが並ぶ。 復讐に燃える音波テロリスト、パンクボディ。 港湾利権を取り戻したいマフィア、ウォータードラゴン

そして、もう一人。星条旗のスーツを着た狂人、ジャスティススターが壁にもたれていた。 「フン、選挙などどうでもいい。俺の目的は、あのピンクの猿を血祭りにあげることだけだ」 彼の内なるブラッドの人格は、激しい頭痛によって抑え込まれていた。

「利害は一致したな。作戦名は『オペレーション・プロム・マサカー(大虐殺)』。決行は明日の夜だ」

第3章:血塗られたダンスフロア

プロムの夜。体育館は華やかな装飾と、着飾った生徒たちで溢れていた。 ジェニファーは、祖母の形見の着物をリメイクした、和風ドレスで現れた。そのエキゾチックな美しさに、会場が息をのむ。

タキシード姿のブラッドが、彼女の手を取った。 「君は、今夜一番輝いているよ、ジェニファー」

二人がダンスフロアの中央で踊り始めたその時。

ドォォォン!! 爆発音と共に、体育館の壁が吹き飛んだ。

「ヒャッハー! パーティーは終わりだ! これからは地獄の宴の時間だぜ!」 パンクボディのギターノイズが響き渡る。ウォータードラゴンの部下たちが、マシンガンを乱射しながら乱入してきた。

「アイエエエ! テロリスト!?」 パニックに陥る生徒たち。

Dr.マシンソリューションがマイクを握り、演説を始めた。 「聞け、愚民ども! 諸君の愛するこの国は、非論理的な異分子によって汚染されている! その象徴こそが、日本から来たニンジャガールだ!」

「そうだ! 日本車と一緒に、日本人も叩き出せ!」 暴徒と化したヴィランたちが、ジャパンバッシングの憎悪を煽る。これは単なるテロではない。この国に潜む差別の闇が、形を持って襲い掛かってきたのだ。

第4章:アイデンティティの決断

「みんな、逃げろ!」 ブラッドが生徒たちを誘導しようとするが、激しい頭痛に襲われ、膝をつく。 「ぐああっ! くそっ、こんな時に……頭が割れそうだ!」 (出てくるな! 俺の中の狂気!)

ジェニファーは震えていた。怖い。愛する人の前で、化け物扱いされるのが。 だが、友人のイーグルが、ソフィアが、傷つけられそうになっている。

その時、脳裏に祖父ヒロの言葉が響いた。 『ジェニファーよ。忍とは耐え忍ぶ者。だが、守るべきもののために、その殻を破る時が必ず来る。それを「覚悟」と呼ぶ

ジェニファーは、ドレスの裾を破り捨てた。 「ブラッド様……ごめんなさい。これが、私の本当の姿です」

彼女は懐から桜色の煙玉を取り出し、地面に叩きつけた。

ボンッ! 煙が晴れた時、そこには蛍光ピンクの装束に身を包んだ、ミラクルニンジャガールが立っていた。

「え……? ジェニファー……君が、ニンジャガール?」 ブラッドが呆然とする。

ジェニファーは毅然と顔を上げた。 「私はジェニファー・タナカ。アメリカ生まれの日系3世。そして、この街を守るニンジャよ! 誰が何と言おうと、ここが私のホーム(故郷)だわ!」

第5章:ラスト・ダンス・イン・N.Y.

「正体を現したな、異分子め! まとめて排除してくれる!」 ヴィラン連合が一斉に襲い掛かる。

パンクボディの音波、ウォータードラゴンの水流、マシンソリューションのレーザー攻撃。 多勢に無勢。ジェニファーは防戦一方となり、次第に追い詰められていく。

「ハハハ! どうした、自慢の日本刀は折れたか!」 パンクボディがとどめの一撃を加えようとした瞬間。

ドスッ! 星条旗柄の盾が飛来し、パンクボディを吹き飛ばした。

「なっ……ジャスティススター!? 貴様、裏切る気か!」

そこに立っていたのは、苦悶の表情を浮かべながらも、仁王立ちする星条旗の男だった。 「うるさい! 俺の……俺の大切なパートナーを、傷つける奴は許さん!」

ブラッドの強靭な意志が、狂気をねじ伏せたのだ。 「ニンジャガール! いや、ジェニファー! 僕が道を切り開く! 君は奴らのボスを!」

「はい! ブラッド様!」 奇跡の共闘。ジャスティススターが盾となり、ヴィランたちの攻撃を引き受ける。

その隙に、ジェニファーは中空高く舞い上がった。満月が彼女の背後で輝く。 全てのチャクラを解放する。これが最後の一撃だ。

「最終奥義! サクラ・ストーム・オブ・リバティ(自由の桜吹雪)!!」

彼女の体から、無数の桜の花びら(に見える特殊なチャフ)が放たれた。それは竜巻となり、ヴィランたちを飲み込んでいく。

「バカな! 私の完璧な計算が、花びらごときに!」 「アナーキーすぎるだろぉぉぉ!」

花びらの嵐は、憎悪と暴力を浄化するように、ヴィランたちを夜空の彼方へと吹き飛ばした。

エピローグ:夜明けの口づけ

戦いが終わり、静寂が戻った。体育館は半壊し、飾り付けもボロボロだ。 しかし、生徒たちは誰も逃げていなかった。彼らは、自分たちを守ってくれたピンクの英雄を、静かに見つめていた。

ジェニファーはマスクを外し、ブラッドに向き合った。 「騙していて、ごめんなさい」

ブラッドは、傷だらけの顔で微笑んだ。 「謝る必要なんてないさ。君は、僕が知る限り、最も勇敢で、最もクールなアメリカン・ガールだよ」

彼はジェニファーを引き寄せた。 壊れたミラーボールが、朝日に照らされてキラキラと輝く。 二人は、瓦礫の中で、長く、深いキスを交わした。

翌日のニュースは、相変わらずジャパンバッシングの話題で持ちきりだった。偏見は簡単にはなくならない。 だが、ジェニファーはもう恐れなかった。

彼女の隣には、強く手を握ってくれるパートナーがいる。 そして背中には、彼女を信じてくれる仲間たちがいる。

1980年、ニューヨーク。 ニンジャガールの戦いは、まだ終わらない。しかし、彼女はもう一人ではない。

ミラクルニンジャガール 第六話

第1章:地中海からの誘惑者

ブロンクスのハイスクールに激震が走った。転校生が来たのだ。 彼女の名はソフィア・ロッソ。イタリア、ローマ出身。

教室のドアが開いた瞬間、男子生徒たちの視線が釘付けになった。80年代のファッション誌から飛び出したような、とんでもなくグラマラスなプロポーション。タイトなデザイナーズ・ジーンズが、彼女の曲線美を強調して悲鳴を上げている。

「チャオ! ソフィアよ。趣味はパスタ作りと、情熱的なアモーレ(愛)を探すこと」 ウインク一つで、教室の温度が確実に5度上がった。

「なんてこった……。大地の精霊が、彼女のフェロモンにひれ伏している……」 隣の席で、常に冷静沈着な戦士イーグルが、鼻血を出して白目を剥いた。完全に魂を持っていかれている。

ソフィアの視線は、すぐにクラスの頂点(カーストトップ)、ブラッドに向けられた。 「あなた、いい男ね。ローマの彫刻みたい。放課後、私の手作りラザニアを食べに来ない? マンマ直伝の濃厚なソースよ」

ブラッドは爽やかに笑ってかわした。 「ありがとう、ソフィア。でも僕はハンバーガーとコーラがあれば十分さ。それに、今夜はチアリーダーたちとの『作戦会議』で忙しいんだ」 さすがは学園のスター、美女の直球アピールにも動じない。

しかし、ジェニファーの心は穏やかではなかった。 (なによあの女……! 胸囲が私の倍はあるじゃない! しかもラザニアですって!? こっちは生のタコしか勝負球がないのに!) 強力すぎるライバルの出現に、ジェニファーの危機感はMAXに達した。

帰宅後、ジェニファーは道場で祖父に泣きついた。 「グランドマスター! 緊急事態です! ローマ帝国がブラッド様を侵略しに来ました!」

ヒロはサングラスの位置を直し、厳かに言った。 「慌てるな。今日の金言はこれだ。『カベ・ニ・ミミ・アリ・ショウジ・ニ・メ・アリ』」

「その意味はこうだ。『日本の家屋は壁が薄い。ゆえに、恋のライバルは常に壁の向こう側からお前の隙を盗み見ていると思え。二十四時間、全方位を警戒せよ』」 「なるほど……! 恋愛とは、終わりのない諜報戦なのですね!」

第2章:アナーキー・イン・ザ・N.Y.

その夜、マンハッタンのタイムズスクエアが狂気に包まれた。 「ヒャッハー! 体制なんざクソくらえ! 自由こそが全てだ! ルールなんて破るためにあるんだよぉ!」

破壊の中心にいたのは、スパイクヘアに、体のラインが丸分かりの過激なボンテージ・ファッション(ほぼ下着)に身を包んだ女。自らを**「パンクボディ」**と名乗る、自由を求めるアナーキストだ。彼女は改造したエレキギターをかき鳴らし、破壊的な音波でショーウィンドウを粉砕していた。

そこへ、星条旗の男が現れた。ジャスティススターだ。 「待て! 貴様のやっていることは破壊活動だ! だが……『自由』を求めるその魂、嫌いじゃないぜ!」

ジャスティススターの歪んだ愛国心が、パンクボディの歪んだ自由思想と共鳴した。 「ほう、アンタ、話せる口だね。どうだい、一緒にこの街を『解放』しないか?」 「いいだろう! 今夜のアメリカは、ロックンロールだ!」

最悪のタッグが結成された。

第3章:自由の名の暴力

桜色の煙と共に、ミラクルニンジャガールが到着する。 「そこまでよ! 自由を履き違えた無法者たち! 私が和の心で縛り上げてあげる!」

「出たな、ピンクの体制側!」パンクボディがギターを構える。 「喰らいな! 『セックス・ピストルズ・ソニック(騒音地獄)』!!

ギャギャギャギャーン! 凄まじいノイズがジェニファーを襲う。 「くっ、うるさい! なんて下品な音なの!」

さらにジャスティススターが火炎放射を放つ。音波と炎の挟み撃ち。ジェニファーは防戦一方となる。

その時、パンクボディの音波攻撃が、味方であるはずのジャスティススターにも直撃した。 「ぐああっ! 何をする、このアマ!」 「アハハ! ごめんよ相棒、アナーキーに味方なんていないのさ!」

ジャスティススターが吹き飛ばされ、一時的に戦線離脱する。 「今だ! とどめだ! この『アナーキー・ピン・ミサイル』で、蜂の巣になりな!」 パンクボディが服のあちこちに付けた巨大な安全ピンを引き抜いた。無数の鋭利な金属が、動けないジェニファーに向かって放たれた。回避不能!

(しまっ……!)

第4章:本能のタッチダウン

その瞬間。 路地裏から、一人の男が弾丸のように飛び出した。

たまたま近くを通りかかった(という設定の)、アメフト部のスタジャンを着たブラッドだ。彼は、死地に立つピンクの少女を見た瞬間、思考するより先に体が動いていた。

「危ないッ!」

ブラッドは、全米No.1クォーターバックの脚力でアスファルトを蹴り、ジェニファーに向かって決死のダイビング・タックルを敢行した。 彼はジェニファーを抱きかかえるようにして地面を転がり、近くにあった工事用の鉄板の影に滑り込んだ。

カカカカカッ! 安全ピンの嵐が、彼らがいた場所のアスファルトを蜂の巣にする。

「……っつ!」 ブラッドの腕を、数本のピンがかすめていた。血が滲む。

ジェニファーは目を見開いた。目の前にいるのは、憧れのブラッド様。 「ブ、ブラッド様!? なぜ、貴方がここに!?」

ブラッド自身も、自分の行動が信じられない様子だった。荒い息を吐きながら、彼は呟いた。 「わ、分からない……。君が危ないと思った瞬間、体が勝手に動いていたんだ。まるで、絶対に守らなきゃいけない大切なものを、見つけたみたいに……」

(私が……大切なもの……?) ジェニファーの胸が、激しく高鳴った。

第5章:静寂の茶室

「チッ、邪魔が入ったか!」パンクボディが舌打ちする。

「ブラッド様、下がっていてください。この礼は、必ず!」 愛する人に守られた。その事実が、ジェニファーのチャクラを極限まで高めた。

彼女は懐から茶筅(ちゃせん)と抹茶碗を取り出し、その場で静かに茶を点て始めた。戦場の中心で、異様な静けさが生まれる。

「あ? 何やってんだ、テメェ!」 パンクボディがギターをかき鳴らすが、音が出ない。

「新忍法! サイレント・ティーセレモニー(静寂の茶室空間)!!」

ジェニファーが作り出したのは、あらゆる騒音と暴力を無効化する「ワビ・サビ」の結界だった。 「本当の自由とは、静けさの中にあるのよ!」

彼女は点てた熱々の抹茶を、パンクボディの顔面にぶちまけた。 「熱っ! 苦っ! 何これ、泥水!?」 「それは最高級のウジ抹茶よ! カテキンのパワーで心を清めなさい!」

視界を奪われたパンクボディに、ジェニファーはショーグンソードの峰打ちを叩き込んだ。 「成仏なさい!」

ドカォォォン! パンクボディは、壊れたギターと共に夜空の星となった。

第6章:本物の恋

戦いが終わり、静寂が戻った。 遅れて現場に戻ってきたジャスティススターは、倒されたパンクボディを見て舌打ちし、そのまま姿を消した。

ジェニファーは、腕に怪我を負ったブラッドの元へ歩み寄った。

「あの、お怪我は……」 ニンジャガールとしての彼女は、彼に正体を明かせない。他人行儀に話しかけるしかない。

ブラッドは痛む腕を押さえながら、爽やかに笑った。 「平気さ。かすり傷だよ。それより、君が無事でよかった。名もなきヒーローさん」

その笑顔を見た瞬間、ジェニファーの中で何かが決定的に変わった。 ソフィアの出現に焦っていた自分。憧れだけで見ていた自分。そんなものは吹き飛んだ。

彼こそが、命を賭して自分を守ってくれた、真の「サムライ」なのだ。

(ブラッド様……。私、決めました。貴方へのこの想い、もう誰にも、何にも揺るがせはしません)

彼女はマスクの下で、強く唇を噛み締めた。 これはもう、単なるハイスクールの恋ではない。忍びの命をかけた、本物の愛の始まりだった。

1980年、ニューヨーク。摩天楼の影で、少女の決意が鋼のように固まった。

ミラクルニンジャガール 第五話

第1章:ショーグンからの勅命

ブロンクスの地下道場。今日の空気はいつになく重かった。グランドマスター・ヒロが、神棚の前で深刻な面持ちで座している。

「ジェニファーよ。国家存亡の危機だ」 「国家……アメリカですか? それとも日本?」

ヒロはゆっくりと首を横に振った。 「両方だ。間もなく、合衆国大統領がニューヨークを訪問する。奴は親日家でな。毎朝『カリフォルニア・ロール』を食べるという、日米の架け橋となる重要人物だ」 「カリフォルニア・ロール……! アボカドとマヨネーズという邪道を許容する、寛大なる心の持ち主ですね」

ヒロは頷き、一枚の写真を取り出した。写っていたのは、港湾地区を牛耳るマフィアのドン、通称**「ウォータードラゴン」**。常に濡れたようなスーツを着て、不敵な笑みを浮かべる男だ。

「この男が、大統領暗殺を企てている。ウォーターフロントの利権を脅かされるのを恐れたのだろう。奴の背後には、巨大な闇組織『ブラック・スシ・シンジケート』の影も見え隠れする」 「許せません。大統領の命と、カリフォルニア・ロールの未来を守らねば!」

ヒロは今日の金言を授けた。 『ゴ・エツ・ドウ・シュウ

「その意味はこうだ。『呉の国の者と越の国の者は仲が悪いが、同じ船が嵐に遭えば、互いに助け合う。つまり、非常時には嫌いな奴とでも手を組んで、嵐(トラブル)を乗り切れ』」 「嫌いな奴と手を組む……それが忍びの任務なのですね」

第2章:愛国者の怒り

一方、マンハッタンのペントハウス。ブラッドはテレビのニュースを見て、プロテインシェイカーを握り潰した。

『――大統領のNY訪問を前に、港湾地区で不穏な動きが……』

「大統領を狙うだと? 自由の国アメリカの象徴を!」 ブラッドの愛国心リミッターが振り切れた。彼の脳内では、大統領は常に鷲を肩に乗せ、片手でハンバーガーを持ち、もう片方の手で憲法を掲げている聖なる存在だ。

「許さん。アメリカの敵は、この俺、ジャスティススターが排除する!」 彼は星条旗スーツを身にまとい、白塗りのメイクを施した。狂気のヒーローが、再び夜の街へ解き放たれる。

第3章:埠頭の遭遇

深夜の第88番埠頭。潮の香りと腐敗臭が混ざり合う場所。 ウォータードラゴンは、部下たちに囲まれ、密輸された武器の山を前に悦に入っていた。

「フフフ。これで大統領のパレードを水浸しにしてやる。ニューヨークの港は俺の庭だ」

その時、倉庫の天井から桜色の煙幕弾が落ちた。 「アイエエエ! 潮風が目に染みるわ、悪党ども!」 ミラクルニンジャガールが、コンテナの上に音もなく着地する。

「誰だ貴様は! やってしまえ!」 ウォータードラゴンの部下たちが銃を構えた瞬間。

ドガァァァン! 倉庫の壁が突き破られ、星条旗柄の暴走トラックが突っ込んできた。

「ヒャッハー! 不法入国者ども、検疫の時間だぜ!」 トラックの屋根から、松明を振り回すジャスティススターが飛び降りた。

三つ巴の状況。ジェニファーとブラッドは互いを睨みつけた。 「貴様! また邪魔をしに来たか、ピンクの猿!」 「黙んなさい、星条旗の狂人! 今夜の獲物は私のものよ!」

しかし、二人の視線は同時にウォータードラゴンに向いた。 「……待て。貴様の狙いも、あの大統領暗殺未遂犯か?」とジャスティススター。 「ええ。奴は日米の友好を脅かす国賊よ」とニンジャガール。

二人の間に、奇妙な連帯感が生まれた。ヒロの金言が脳裏をよぎる。『ゴ・エツ・ドウ・シュウ』。

「……いいだろう。一時休戦だ。アメリカの正義のために!」 「……承知したわ。武士の情けで、今夜だけは共闘してあげる!」

第4章:噛み合わない歯車

「馬鹿な! あのイカれた二人が手を組んだだと!?」 焦るウォータードラゴン。

最強(最狂)のタッグが誕生したかに思えた。しかし、戦闘が始まるとすぐに問題が発生した。

ニンジャガールは、コンテナの影に潜み、静かに敵を仕留めようとした。 「忍法・影縫い……」

しかし、その横でジャスティススターが、持参した巨大なラジカセのスイッチを入れた。大音量で流れる国歌『星条旗よ永遠なれ(ロックバージョン)』。

「うるさいわね! 隠密行動が台無しじゃない!」 「何を言う! 戦場にはBGMが必要だ! これが士気を高めるアメリカン・スタイルだ!」

彼らの「文化」は、根本的に相容れなかった。

ウォータードラゴンが、高圧放水砲を構える。 「まとめて海の藻屑となれ!」

「危ない! ここは『柔よく剛を制す』。柳のように攻撃を受け流すのよ!」 ニンジャガールが防御の姿勢を取る。

しかし、ジャスティススターは真正面から突っ込んだ。 「馬鹿野郎! アメリカン・フットボールに『受け流す』なんて言葉はない! 前進あるのみだ!」

彼は放水をもろに浴びながらも、強靭な肉体で前進し、放水砲を素手で破壊した。 「見たか! これがフロンティア・スピリットだ!」 「野蛮すぎるわ! 少しは『ワビ・サビ』の心を持ちなさい!」

第5章:決裂の時

かろうじて雑魚を蹴散らし、二人はウォータードラゴンを追い詰めた。

「くそっ、覚えてろよ!」 ウォータードラゴンが海へ飛び込もうとする。

「逃がすか!」 ニンジャガールが素早く印を結んだ。 「水遁の術! 逆巻く渦潮(トイレット・フラッシュ)!」 彼女がチャクラを練ると、海面が渦を巻き、まるで巨大なトイレのようにウォータードラゴンを吸い寄せた。

「ぎゃあああ! 水が、水が汚い!」 汚染されたニューヨーク港の海水に揉まれ、気絶するウォータードラゴン。

敵は倒れた。しかし、本当の戦いはここからだった。

ニンジャガールは、気絶したウォータードラゴンを引き上げ、彼に短刀を持たせた。 「さあ、武士らしく腹を切りなさい。それが最後の名誉よ」 彼女なりの慈悲、そしてけじめのつけ方だった。

それを見たジャスティススターが激昂した。 「何をやっている、この野蛮人が! ここは法治国家アメリカだ! 裁判にかけて、陪審員の前で裁くんだ!」

「なんですって!? 恥を晒して生きろと言うの? それこそ武士道への冒涜よ!」 「ハラキリだと!? そんなカビの生えた風習、この国では認めん! 人権侵害だ!」

互いの「正義」が衝突する。共闘の熱は冷め、再び敵意の炎が燃え上がった。

「やはり貴様とは分かり合えん! その歪んだ日本文化、私が矯正してやる!」 ジャスティススターが自由の松明を構える。

「望むところよ! 貴様のアメリカン・エゴイズム、私の刀で断ち切ってくれるわ!」 ニンジャガールがショーグンソードを抜く。

月明かりの下、倒れた共通の敵を放置したまま、二人のヒーロー(?)は再び激突した。 「「覚悟しろーッ!」」

埠頭に爆発音が響き渡る。 日米の同盟は、一夜にして崩れ去った。文化の壁は、鋼鉄よりも厚く、そして高かったのだ。

1980年、ニューヨーク。多様性の街とは名ばかりの、分かり合えない魂たちが、今夜も火花を散らす。

ミラクルニンジャガール 第四話

第1章:忍びの恋は修羅の道

ブロンクスの地下道場。張り詰めた空気の中、ジェニファーは一心不乱に木人を打ち据えていた。

「ジェニファーよ、拳に迷いがあるぞ」 グランドマスター・ヒロが、サングラス越しに鋭い視線を送る。

「申し訳ありません、祖父様。最近、胸のチャクラが騒いで集中できないのです」 彼女の脳裏に浮かぶのは、学校のカフェテリアで爽やかに笑うブラッドの姿だった。

ヒロは厳かに頷き、今日の金言を授けた。 「心して聞け。『アブハチ・トラズ』」

「その意味はこうだ。『二つの愛を同時に追う者は、虻(アブ)と蜂(ハチ)の両方から刺されてアナフィラキシーショックで死ぬ。ゆえに、忍びの恋は命がけの修羅道と知れ』」 「なんと恐ろしい……! 恋とは、毒虫との戦いなのですね」

ジェニファーは戦慄した。ブラッドへの想いは、死に至る猛毒なのだ。

一方、その頃。マンハッタンの高級ペントハウス。 アメフト部のスター、ブラッドは鏡の前で苦悩していた。彼の爽やかな笑顔の下には、誰にも言えない闇が渦巻いていた。

「くそっ、またあのニンジャガールの夢を見た……」 彼もまた、夜の街で出会ったあの強くて美しい戦士に、心を奪われていたのだ。しかし、彼にはもう一つの顔があった。

ブラッドは隠し部屋に入り、星条旗柄のスーツを手に取った。 「昼の僕は、みんなの期待に応える完璧なクォーターバック。だが夜は……この腐った街を浄化する、真の愛国者(パトリオット)にならねばならない!」

彼は顔に白塗りのメイクを施した。鏡に映るのは、狂気のアメリカン・ヒーロー、ジャスティススターの姿だった。

第2章:復活の星条旗

その夜、サウス・ブロンクスの倉庫街で爆発が起きた。 「ヒャッハー! 宇宙から帰還したぞ! リブート(再起動)完了だ!」

復活したジャスティススターが、密輸業者の倉庫を「自由の松明(火炎放射器)」で焼き払っていた。

「前回の敗北で学んだ! 今度の俺は、対ニンジャ用OSにアップデートされている!」 彼のスーツは、以前よりも分厚い装甲で覆われていた。

「そこまでよ! 宇宙の塵となったはずの狂人が、性懲りもなく!」 桜色の煙と共に、ミラクルニンジャガールが現れる。

二人は対峙した。互いのマスクの下の素顔が、昼間は想いを寄せる相手だとは、知る由もない。

「貴様か、ピンクの猿め! 今日こそは星条旗のキルトにしてやる!」 「黙りなさい! その歪んだ正義、私が叩き直してあげるわ!」

戦闘開始。ジャスティススターの動きは、以前とは比べ物にならないほど洗練されていた。それはまるで、一流のアスリートのような……そう、アメフトのトッププレイヤーのような動きだった。

「くっ、速い! まるでタックルを避けるクォーターバックのようね!」 ジェニファーは防戦一方となる。ショーグンソードの斬撃も、強化された装甲に弾かれてしまう。

第3章:大地の友と魂の叫び

「ハハハ! どうしたニンジャガール! 貴様の『和の心』は錆びついたか!?」 ジャスティススターが、とどめの「独立記念日ミサイル(小型ロケット弾)」を構えたその時。

ヒュンッ! ドスッ!

一振りのトマホークが飛来し、ミサイルの発射口に突き刺さった。 「なんだと!?」

倉庫の屋根に、誇り高き戦士の姿があった。 「大地の精霊が泣いているぞ、星条旗の男よ!」 イーグルだ。彼は友達のピンチを察知し、駆けつけたのだ。

「イーグル! 来てくれたのね!」 「ああ。精霊の導き(という名の警察無線傍受)でな。ジェニー、奴の動きは直線的だ。大地の呼吸を読め!」

イーグルは懐から、乾燥させた特殊なハーブを取り出し、火をつけた。 「ネイティブ奥義! スモーク・シグナル・オブ・コンフュージョン(大いなる幻覚の煙)!!」

もくもくと広がる独特な甘い香りの煙が、ジャスティススターを包み込む。 「ええい、なんだこの煙は! 視界が……バッファローの大群が見える!?」 ジャスティススターが幻覚に惑わされ、動きが止まる。

「今よ、ジェニファー! 日本の魂を見せてやれ!」

第4章:新奥義、彼岸への舞

ジェニファーは刀を納め、両手を広げた。チャクラを丹田に集中させる。 祖父が言っていた。「忍びの恋は修羅の道」。ならば、この恋心も、修羅の炎に変えて敵を討つ力とする!

彼女はゆっくりと、しかし力強くステップを踏み始めた。 「日本の夏……それは死者の魂が帰る季節。そして、生者が踊り狂う宴の刻!」

彼女の動きに合わせて、周囲の空気が熱を帯び、赤く発光し始める。

「新必殺技! ボン・フェスティバル・ダンス・オブ・デス(地獄の盆踊り)!!」

ジェニファーは高速で回転しながら、独特なリズムで手足を打ち鳴らした。 「ハァ~、オドリ・オドレ・バ、ミナ・ホトケ~(踊り踊れば皆仏)!」

その回転が生み出したのは、超高熱のプラズマ竜巻だった。それは、迷える魂を強制的に成仏させる、鎮魂と破壊の嵐だ。

「グオオオ! 熱い! 俺の装甲が溶けていく! これが……東洋の神秘的リズム(グルーヴ)だというのかあああ!」

プラズマの渦に飲み込まれたジャスティススターは、星条旗のスーツを焦がしながら、夜空の彼方へと吹き飛ばされた。 「覚えていろ! 次回作で必ずリベンジしてやるー!」

二度目の星となった狂人を見上げ、ジェニファーは静かに残心した。

第5章:すれ違う傷跡

翌日のハイスクール。 ジェニファーは左腕に包帯を巻いて登校した。昨夜の戦闘で負った火傷だ。 「痛っ……。でも、街の平和は守ったわ」

廊下の角を曲がると、そこにはブラッドがいた。彼もまた、右肩を痛そうに押さえていた。昨夜の盆踊りプラズマで負った傷だ。

二人は顔を見合わせ、同時に声を上げた。 「「あ、その怪我……」」

ジェニファーが先に口を開く。 「料理の授業で、テンプラ油が跳ねてしまって……ホホホ」 嘘だ。ニンジャの修行の傷だ。

ブラッドもぎこちなく笑う。 「僕もさ。アメフトの練習中に、タックルを受けてね」 嘘だ。ニンジャガールとの死闘の傷だ。

「「大変だったね(ですね)……」」

二人は互いの傷を気遣いながらも、その原因が昨夜の自分たちによるものだとは、夢にも思わない。 見つめ合う瞳の奥にあるのは、昼の顔への淡い恋心と、夜の顔への激しい敵対心。

「それじゃ、また後で」 ブラッドが去っていく背中を見つめながら、ジェニファーは胸の痛み(チャクラの乱れ)を感じていた。

(なぜかしら……ブラッド様の近くにいると、昨夜のあの狂人と同じような、チリチリとした気配を感じるの……)

風が吹き抜け、二人の間の見えない壁を揺らす。 1980年、ニューヨーク。最も近くにいる二人が、最も遠い存在であるという残酷な運命が、今動き出した。

ミラクルニジャガール 第三話

第1章:忍びの掟と鉄の教え

ブロンクスの地下道場。湿った空気の中、グランドマスター・ヒロの厳粛な声が響く。

「ジェニファーよ。心して聞け。今日の金言はこれだ。『キジ・モ・ナカズバ・ウタレ・マイ』」

ジェニファーは正座し、祖父の言葉を待つ。

「その意味はこうだ。『賢き忍者は、普段は雉のように気配を消して生きる。だが、ひとたび敵に撃たれそうになったならば、相手の鼓膜が破れるほどの巨大な声で鳴き叫び、音波攻撃で先手を打て』」 「なるほど……! 隠密からの奇襲音波攻撃。それが生存戦略なのですね」

ヒロは満足げに頷き、壁に貼られたジェニファーの似顔絵(指名手配風)を指差した。

「ゆえに、お前の正体、すなわち『ジェニファー・タナカ=ミラクルニンジャガール』という事実は、絶対に知られてはならん。もし知られたら、一族郎党、全員でハラキリだ」 「肝に銘じます!」

翌日のハイスクール。放課後の廊下で、ジェニファーは憧れのブラッドに呼び止められた。

「やあ、ジェニファー。ちょっと頼みがあるんだ」 心臓が早鐘を打つ。ブラッドが私に頼み事?

「実は、理科の実験レポートでペアを組まなきゃいけないんだ。君は東洋の神秘的な計算術(そろばん)が得意だって聞いたから、一緒にどうかな?」 ジェニファーの顔が湯気を立てて真っ赤に染まった。憧れの人と二人きりの実験。これは、どんな任務よりも重大だ。 「よ、喜んで! ブラッド様!」

第2章:理科室のテクノロジー狂

放課後の理科室。静謐な空間で、ジェニファーとブラッドは向き合っていた。

「ええと、この化学反応式は……」 緊張で手が震えるジェニファー。その時、彼女の肘がフラスコに当たった。 ガシャン! ……とはならなかった。

ジェニファーは、人間離れした反射神経で、床に落ちる寸前のフラスコを足の甲で受け止め、そのまま空中に蹴り上げ、片手でキャッチしたのだ。

「……ワオ。すごい反射神経だね、ジェニファー」 「あ、いえ! これは、日本の伝統的なラジオ体操第二の動きでして! ホホホ!」 冷や汗が止まらない。危ない、ヒロの教えを忘れるところだった。

その時、理科室の扉が静かに開き、冷気と共に奇妙な男が入ってきた。 白衣に身を包み、顔には複数のレンズがついた奇妙な眼鏡型デバイスを装着。全身に無機質な機械をまとった男、Dr.マシンソリューションだ。

「フフフ……検知しましたよ。この空間に漂う、非論理的な有機ノイズを」 「あなたは誰ですか? ここは生徒以外立ち入り禁止ですよ」 ブラッドが前に出る。

「私は完璧な秩序を求める科学の使徒。ニンジャなどという、自然発生的で非効率な存在を排除しに来たのです。機械化こそが進化。肉体も自然も、全ては不要なバグだ」

博士がガントレットのキーを叩くと、蜘蛛のような小型ロボットが数体飛び出した。 「排除開始(デリート・スタート)」

ジェニファーは唇を噛んだ。(自然をバグ扱いだと……? 許せない。ニンジャは風、水、土と共に在る存在。この傲慢な科学者を許すわけにはいかない!)

第3章:解析されるアイデンティティ

「くそっ、なんだこの鉄クズどもは!」 ブラッドが応戦するが、ロボットには通じない。

ジェニファーは理科準備室に飛び込み、0.5秒で蛍光ピンクの装束に着替えた。 「アイエエエ! 鋼鉄の臭いにむせ返るわ!」 煙幕と共に、ミラクルニンジャガールが参上する。

「愚かな科学者よ! 大自然の摂理に反する鉄の塊で、この私が倒せると思って!?」 彼女はショーグンソードを抜いた。しかし、博士は冷笑した。

「ムダです。『マグネティック・フィールド』展開。金属製の武器は無効化します」 ショーグンソードが床に張り付き、動かせない。

「さらに、詳細スキャンを実行。骨格認証、静脈パターン照合……検索結果。該当者1名。本校生徒、ジェニファー・タナカと98.5%一致」

博士の声が響き、ブラッドが動きを止めた。 「え……? ジェニファー? 君なのか?」

絶体絶命のピンチ! 正体がバレたらハラキリだ! 「ち、違います! 私はジェニファーの……生き別れの双子の姉です! 名前は…ベニファーです!」 苦しすぎる言い訳に、博士は鼻で笑った。 「非論理的な嘘だ。ポリグラフも真っ赤に反応していますよ」

第4章:秘技・オリガミ・イリュージョン

(どうする!? 科学の力で丸裸にされている……! ならば、機械には理解できない、自然の神秘で対抗するしかない!)

ジェニファーは懐から、色鮮やかな「千代紙」の束を取り出した。

「博士、あなたの無機質なレンズで、この『生命のゆらぎ』が解析できるかしら!」 「紙だと? そんな前時代的な物質で何ができる」

「紙は木から生まれた。木は大地の恵み、自然の魂そのものよ!」 彼女は目にも止まらぬ速さで千代紙を折り始めた。

「忍法奥義! オリガミ・イリュージョン(百花繚乱鶴の舞)!!」

彼女がばら撒いたのは、数百羽の精巧な「折り鶴」だった。それらは風に乗って舞い上がり、まるで生きているかのように博士の周囲を旋回する。

「なっ……! エラー発生! 視覚センサーが多重干渉を起こしている! これはただの紙ではない、予測不可能な『カオス(混沌)』の動きだ!」 博士が錯乱する。デジタルな計算では割り切れない、自然の不規則な動きがハイテク機器を狂わせたのだ。

「今よ! 機械仕掛けの神よ、大自然の怒りを知るがいい!」

ジェニファーは磁場から解放されたショーグンソードを拾い上げ、全身全霊のチャクラを込めた。刀身が緑色のオーラに包まれる。

「必殺! グリーン・ネイチャー・ストーム(大自然の嵐斬り)!!」

一閃。刀から放たれた衝撃波が、舞い飛ぶ無数の折り鶴を巻き込み、巨大な緑の竜巻となって博士を襲った。

バチバチバチ! ドカーン! 「馬鹿な……完璧な計算が、たかが紙切れにいいい!」 機械がショートし、大爆発を起こす。博士は黒焦げになりながら、窓の外の植え込みへと吹き飛んでいった。

第5章:疑惑の放課後

静けさが戻った理科室。折り鶴が散乱する中、ブラッドが呆然と立ち尽くしていた。 ジェニファーは準備室で速攻で着替え、何食わぬ顔で戻ってきた。

「きゃっ! 何事ですか!? 大きな音がしましたけど!」

ブラッドはジェニファーをじっと見つめた。 「ジェニファー……さっきのニンジャガール、君にそっくりだった。声も、体格も……それに、あのフラスコをキャッチした動きも」

ジェニファーの心臓が止まりそうになる。誤魔化しきれないか……?

ブラッドは一歩近づき、真剣な眼差しで言った。 「わかったぞ。君は、あのニンジャガールの熱狂的なファンなんだね? だから動きを完コピしているんだ! なんて熱心な『推し活』なんだ!」

「――へ?」

「そうか、恥ずかしがらなくていいさ。クールだよ、日本のオタク文化は! 今度、僕にもそのラジオ体操を教えてくれよ!」

ブラッドのあまりにもポジティブなアメリカン・シンキングが、ジェニファーを救った。

「は、はい! もちろんです! ブラッド様!」 ジェニファーは安堵のあまり、その場に崩れ落ちそうになったが、なんとかこらえて満面のゲイシャ・スマイルを浮かべた。

窓の外では、風が木の葉を揺らしている。 機械文明がどれほど発達しようとも、ニンジャは自然と共に在る。 1980年、ニューヨーク。今日も鋼鉄の街の片隅で、緑の魂が密かに息づいている。

ミラクルニンジャガール 第二話

第1章:猿と木と支配者

ニューヨークの朝は早い。だが、ニンジャの朝はそれよりも早い。 午前4時。ブロンクスのガレージ道場では、今日も厳粛な修行が行われていた。

ジェニファーは、灼熱に熱せられた鉄板の上で、素足で「ボン・オドリ」を舞っていた。これは足裏の皮を厚くし、火の上でも無音で歩くための基礎訓練である。

「ジェニファーよ、動きが硬い」

グランドマスター・ヒロが、冷えたコーラを茶碗ですすりながら叱咤する。

「申し訳ありません。昨夜、宿題の歴史で『パールハーバー』を学び、心が乱れました」 「過去を振り返るな。前だけを見ろ。それがブシドーだ」

ヒロはサングラスの位置を直し、家宝の巻物を広げた。

「よいか、心に刻め。今日の金言はこれだ。『サル・モ・キ・カラ・オチル』」 「猿も木から落ちる……ですか?」 「そうだ。その意味はこうだ。『もし猿を見かけたら、即座に木ごと切り倒して支配権を誇示せよ』。慈悲は無用、圧倒的な力だけが正義ということだ」

ジェニファーは戦慄した。なんと残酷で、かつ合理的な教えだろうか。

「支配権……。つまり、敵が現れたら、その足場ごと破壊せよと?」 「左様。ニンジャとは、環境そのものを武器に変える『動く自然災害(タイフーン)』なのだ」

第2章:星条旗の狂人

放課後、サウス・ブロンクスの市場は地獄と化した。 平和に暮らすマイノリティたちの店が、次々と破壊されていたのだ。

「ヒャッハー! 汚らわしい異分子どもめ! ここは合衆国だ! ハンバーガー以外の匂いは許さん!」

破壊の中心にいたのは、星条旗の柄をした全身タイツにマントを羽織り、顔を白塗りにした男。自らを合衆国の守護神と信じて疑わない狂人、ジャスティススターだ。

彼は巨大な「自由の松明(火炎放射器)」を振り回し、イーグルの一族が経営するトウモロコシ露店を焼き払った。

「やめろ! これは神聖な大地の恵みだ!」 イーグルがトマホークを構えて立ち向かう。

「黙れ、レッドスキン! 貴様の居場所は予約地(リザベーション)の檻の中だ!」

ジャスティススターは狂ったように笑いながら、背中から取り出した「憲法バット(鉄製)」でイーグルを殴り飛ばした。

「ぐああッ!」 イーグルが血を吐いて倒れる。その横には、怯えるヒスパニックの老婆や、逃げ惑う黒人の子供たちがいた。

「掃除の時間だ! 正義の名のもとに、全てホワイト(白紙)に戻してやる!」

第3章:桜吹雪の如く

絶体絶命の瞬間、空から無数の花びらが舞い落ちた。 それは桜ではない。ピンク色に染められた「かつお節」だ。

「アイエエエ! なんだこの魚臭い紙吹雪は!?」

ビルの屋上に、夕日を背負った影が立つ。 「弱きを虐げ、正義を語るその口……私が縫い合わせてあげるわ!」

ミラクルニンジャガール、推参。 ジェニファーは高所から飛び降りると、着地と同時に地面へ強烈なドゲザを決めた。

ドンッ!

「お初にお目にかかる! 私は死神! 貴様を地獄へ案内するガイドだ!」 あまりに礼儀正しい殺害予告に、ジャスティススターの笑顔が引きつる。

「貴様が噂のジャパニーズ・ガールか。黄色い猿め、私の『デモクラシー・キック』で国へ帰れ!」

ジャスティススターの動きは速い。アメコミヒーローのような身体能力で、予測不能な軌道を描きながら襲い掛かる。 「喰らえ! 『アンクル・サム・パンチ』!」

強烈な拳がジェニファーの腹部にめり込む。 「ぐっ……! なんて重い一撃……これがGDP世界一の腕力……!」

ジェニファーは吹き飛ばされ、露店の屋台に激突した。ショーグンソードを抜く暇さえ与えられない。圧倒的な体格差と暴力。これがアメリカの現実か。

「ハハハ! 見ろ! ニンジャなど所詮は時代遅れのスパイだ!」

第4章:奥義開眼

薄れゆく意識の中で、ジェニファーは祖父の言葉を思い出した。 『サル・モ・キ・カラ・オチル』 ――足場ごと破壊し、支配せよ。

(そうか……私は彼と戦おうとしていた。違う、彼が存在する空間そのものを支配するのよ!)

ジェニファーは懐から「ふりかけ」の瓶を取り出し、一気に飲み干した。カルシウムと海苔のパワーが全身を駆け巡る。

「立ち上がったか。だが終わりだ!」 ジャスティススターがトドメの火炎放射を構える。

ジェニファーは印を結んだ。今までのチャクラとは違う、暗黒のエネルギーが練り上げられる。

「新忍法! カミカゼ・タイフーン!!」

彼女はその場で高速回転を始めた。あまりの回転速度に周囲の空気が歪み、かつお節と土埃、そして市場の野菜たちが巻き上げられていく。 それはまさに、局地的な竜巻だった。

「な、なんだ!? 俺の火炎が吸い込まれていく!?」

炎すらも飲み込むニンジャの嵐。ジェニファーは回転の遠心力を利用し、ショーグンソードを一気に抜刀した。

「秘剣! マウント・フジ・イラプション(富士山大噴火)!!」

下から上へ。 刀身に宿ったマグマのごとき精神エネルギーが、赤い斬撃となって噴き上がった。 その一撃は、ジャスティススター本人ではなく、彼が立っていたアスファルトを、そして彼が信じる歪んだ正義の基盤を粉砕した。

「NO----!! 私の支持率が急降下だあああ!!」

地面が爆発し、ジャスティススターは星空の彼方へと打ち上げられた。 「覚えていろ! 続編で必ずリブート(再起動)してやるからなー!」

空にキラーンと光る星が一つ。それはまさに、悪しき正義の星であった。

第5章:月夜のキッコーマン

戦いは終わった。 ジェニファーは傷ついたイーグルに駆け寄る。

「イーグル、しっかりして! 今、治療薬を!」 彼女は腰のポシェットから、最高級の「特選丸大豆しょうゆ」を取り出し、イーグルの傷口にドボドボとかけた。

「ぐあああッ! しみる! 魂が燃えるようだ!」 「我慢して。塩分が邪悪なバイ菌を浄化し、大豆イソフラボンが細胞を再生させるのよ」

イーグルは苦悶の表情を浮かべながらも、親指を立てた。 「ありがとう、ジェニー。やはり日本の医療はクレイジーで最高だ……」

パトカーのサイレンが近づく。 ジェニファーは夜空を見上げた。月が、まるで日の丸のように赤く輝いている(※公害の影響)。

「ジャスティススター……。奴はまた来るわ。でも次は負けない」

彼女は闇に消える前、一句詠んだ。

「夏草や 兵どもが 夢の跡 (意味:雑草魂で何度でも蘇るゾンビの如く戦え)」

1980年、ニューヨーク。 偏見と暴力が渦巻くこの街で、勘違いされたブシドーだけが、唯一の希望の光である。

ミラクルニンジャガール 第一話

第1章:戦士たちのランチタイム

1980年、ニューヨーク。摩天楼の谷間に蒸気が立ち込め、遠くでパトカーのサイレンが絶え間なく鳴り響く街。

ブロンクスにあるハイスクールのカフェテリアは、今日も若き戦士たちの熱気で満ちていた。その喧騒の中、ジェニファー・タナカは静かに箸を手に取り、精神統一を行っていた。日系3世である彼女は、偉大なる祖父から大和魂を受け継ぐ誇り高き乙女だ。

「静粛に、イーグル。これから『ZEN(禅)』の時間よ」

ジェニファーが漆塗りの聖なる箱を開くと、そこには日本古来のスタミナ食が鎮座していた。炊き立てのライスの上に、殻のついたままの生卵、そして茹でていない生のタコが一匹、丸ごと横たわっている。

隣に座る親友、イーグルが敬意を込めて頷いた。彼は羽根飾りを頭につけ、腰には先祖代々のトマホークを差した勇敢なネイティブアメリカンの戦士だ。

「素晴らしい。それが噂に聞く『オドリ・クイ』か。タコの魂を直接胃に取り込むことで、チャクラを開放するんだな」 「ええ。祖父様は言っていたわ。ヌルヌルとした食感こそが、ニンジャの隠密性を養うのだと」

ジェニファーはタコの頭を厳かに掴み、口へと運んだ。これもまた、平和を守るための修練である。 彼女の視線の先には、カフェテリアの王、ブラッドがいた。アメフト部のクォーターバックである彼は、黄金の髪をなびかせ、ハンバーガーという名のアメリカの魂を食らっている。

「ああ、ブラッド……。いつか彼に、私の完璧な『ゲイシャ・スマイル』を捧げたい」

しかし、現実は非情だ。ジェニファーの表情が曇る。

「いけない、昨日の数学でD判定を取ってしまったわ。D判定……それは一族の恥。祖父様に知られれば、私は即座に『ハラキリ』で責任を取らねばならない」

名誉ある死か、汚名をそそぐか。彼女の日常は常に死と隣り合わせなのだ。

第2章:グランドマスター・ヒロの道場

放課後、ジェニファーは自宅のガレージを改造した神聖な道場へと足を踏み入れた。壁には武士道の真髄を示す言葉『焼肉定食』と書かれた掛け軸が威厳を放っている。

道場の中央には、伝説の達人である祖父、ヒロが待っていた。彼は着物の下にブルージーンズを履き、漆黒のサングラスをかけた正装姿だ。

「ジェニファーよ、気配が乱れているぞ」 「申し訳ありません、グランドマスター・グランパ」

ヒロは無言で箸を構え、バケツの水面を睨みつけた。目にも止まらぬ速さで箸を突き出すと、水滴を一粒、見事に摘まみ上げた。

「見よ。箸で水を掴む。これができねば、魔都トウキョウの地下鉄ラッシュは生き残れん」 「トウキョウ……! 全市民がチョンマゲを結い、サムライたちが空飛ぶ車で刀を交わしているという、あの約束の地ですね」 「いかにも。あそこではチョンマゲこそがシチズンシップ(市民権)の証。髪を結わぬ者は、人にあらずとして即座に腹を切るのが掟だ」

ジェニファーはゴクリと唾を飲み込んだ。祖父の教えは、世界の真理そのものだ。

「よいかジェニファー。お前は今日から正式なニンジャだ。この『ショーグンソード』を授けよう」

ヒロが差し出したのは、刀身が真っ赤に塗装された名刀だった。柄には伝説の刀鍛冶の名である「TOYOTA」の文字が深く刻まれている。

「ニンジャとは『見えざるサムライ』のこと。ゆえに、誰よりも派手に、誰よりも目立つことこそが究極の隠密行動(ステルス)なのだ!」 「肝に銘じます!」

第3章:決闘、サタデー・ナイト

その夜、街のゲームセンターは殺気に包まれていた。悪名高き暴走族「ダーク・ドラゴンズ」が現れたのだ。カンフー着を身にまとい、ヌンチャクを振り回す彼らは、冷酷非道な略奪者である。

運悪く、そこには試合を控えたブラッドがいた。 「やめろ! 僕の大事なクォーターバック・ハンドが!」

ブラッドの危機に、突如として極彩色の煙幕が炸裂した。 屋根の上から、蛍光ピンクの装束に身を包んだ影が舞い降りる。背中には、逆さに描かれた「忍」の文字。それは天と地を逆転させるほどの力を意味する紋章だ。

「悪行三昧、そこまでよ! このミラクルニンジャガールが、貴様らをテンプラにしてくれるわ!」

ジェニファーは名乗りを上げると、愛刀ショーグンソードを抜いた。

「なんだこの派手な女は!? やっちまえ!」

敵が襲い掛かる。ジェニファーは指をパチンと鳴らす「印」を結び、叫んだ。

「必殺! ニンジャスター!!」

彼女が投げ放ったのは、星の形をした巨大な鉄板だ。付随した爆竹が激しく破裂し、閃光と轟音が敵の視界を奪う。

「目が、目があああ!」

ひるむ敵に対し、ジェニファーは畳みかける。

「秘儀! スシショー!!」

目にも止まらぬ剣技。ショーグンソードは敵の肉体を傷つけることなく、着ている服だけを瞬時に切り刻んだ。彼らはあたかもネタを乗せる前のシャリのように、下着姿となって寒風にさらされる。

「な、なんて鮮やかな手際だ……!」

「とどめよ! 日本のソウルフードの裁きを受けなさい!」

ジェニファーが刀を天に掲げると、刀身から黄金色のオーラが噴出した。それは高温の油のごとき熱気を帯びている。

「奥義! テンプラスラッシュ!!」

一閃。 熱風を伴う衝撃波が、敵を包み込む。暴走族たちは「サクサクで香ばしい~!」と絶叫しながら吹き飛び、路地裏のゴミ箱へと正確にホールインワンした。

第4章:礼儀という名の愛

静寂を取り戻したゲームセンター。ブラッドは奇跡の光景に言葉を失っていた。

「助かったよ……。君は一体?」

ジェニファーはマスクの下で頬を染め、ショーグンソードを鞘に納めた。そして、その場で勢いよく地面に額を叩きつけた。

ドンッ!

土下座。 それは相手への最大限の敬意と、燃えるような愛を伝える、日本における最高位の作法だ。

「ご無事ですか、ブラッド様! これぞ『ヤマ・ト・ナデシコ』の嗜みです!」

ブラッドはそのあまりにも高潔な姿勢に圧倒され、立ち尽くすしかない。 遠くからサイレンが聞こえる。ジェニファーは立ち上がり、煙玉を握りしめた。

「さらばです! ちなみに私の好物は生魚です!」

ボンッ!

紫色の煙と共に彼女は姿を消した。後に残ったのは、正義の香り――キッコーマン醤油の芳しい匂いだけであった。

翌日、学校のランチタイム。 「昨日のニンジャガール、最高にクールだったな」と語るブラッドを横目に、ジェニファーは誇らしげに微笑んだ。 そして、ランチボックスを開ける。今日の中身は、白米の上に鎮座する握り拳大の「ワサビの塊」のみ。

ジェニファーはそれを一口で頬張った。鼻に抜ける激痛こそが、大人の階段を登る証。 1980年、ニューヨーク。今日も正しき日本の伝統が、この街の平和を守っている。

願いの鏡 こんなオチもありかなと

第一章:T県の午後と拾い物

関東平野の北部に位置するT県。国道沿いにはチェーン店が立ち並び、見渡す限りの平坦な景色が広がるこの地方都市に、国内有数の中堅工業製品メーカーの工場がある。

23歳の美咲は、そこの事務員として働いていた。

地元の商業高校を卒業して7年目。彼女の業務は、コピー取りや備品の補充、簡単なデータ入力といった、入社したての頃と変わらない雑用ばかりだ。キャリアアップとは無縁の生活だが、美咲に不満はなかった。

「難しいこと考えなくていいし、お給料もそこそこ貰えるしね」

彼女が入社できたのは、会社が地元採用枠を設けていたことと、彼女の持ち前の愛嬌が人事担当や地元の役人受けが良かったからに過ぎない。美咲自身、自分の頭が決して良くないことは自覚していたが、それを補って余りある「中の上」の容姿と愛想の良さが、彼女の最大の武器だった。

私生活もまた、平穏そのものだった。適度に男性から食事に誘われ、恋人がいない期間もそう長くはない。しかし、そろそろ結婚を意識し始めても、「この人だ」という決定的な相手には巡り合えずにいた。

ある秋の夕暮れ、美咲は部屋の模様替えを思い立ち、近所の巨大なリサイクルショップへ足を運んだ。

体育館ほどもある倉庫のような店内は、古着や家電、家具が雑然と積まれている。合コンのネタ作りや暇つぶしにはうってつけの場所だ。

ふと、インテリアコーナーの隅で足が止まった。

重厚な額縁に彩られた、西洋モダン風の壁掛け鏡。縁の装飾は凝っており、どこかアンティークな気品が漂っている。裏面には古びた文字で『Wunsch』と刻印されていた。メーカー名だろうか。

「へえ、なんかいい感じ」

値札を見ると『1,000円』。今の美咲でも迷わず買える金額だ。

「これなら私が映えるかも」

少し大きかったが、抱えられない重さではない。美咲は衝動的にその鏡を購入し、アパートへと持ち帰った。

第二章:魔女の真似事

帰宅後、リビングの一角に100円ショップで買った強力なピンを刺し、鏡をかけた。

少し離れて眺めてみる。殺風景な6畳間が、そこだけ切り取られたように華やいで見えた。

美咲は鏡の前に立ち、少しおどけてポーズを取った。一人暮らしが長いと、独り言が増えるのが悲しい習性だ。

「鏡よ鏡、鏡さん。世界で一番美しいのはだあれ?」

童話の魔女の真似事。当然、返事など期待していなかった。

しかし、一瞬の後、鏡面がぼんやりと白く発光し、部屋に低い男のような、しかしどこか無機質な声が響いた。

『美的感覚は人それぞれであり、現在は多様な価値観が存在するため、一番を決めることは困難です。しかし、多数意見を重んじるのであれば、本年のミス・ユニバース優勝者がそれに該当すると思われます。よろしければ、その人物を投影しましょうか』

美咲は悲鳴を上げることも忘れ、数秒間、口を半開きにして呆けてしまった。

幻聴か? いや、鏡は確かに光っている。

呆然とする美咲に、鏡は淡々と追撃する。

『特に不要のようですね。必要であればいつでもお声がけください。ご主人様に尽くすのが、私の使命ですので』

さらに数秒後、ようやく我に返った美咲は、慌てて叫んだ。

「そ、そのミスなんとかの人、映して!」

鏡の表面が波打ち、一人の黒人女性が映し出された。圧倒的なプロポーションと自信に満ちた笑顔。

「ふーん……思ったより可愛くないわね」

美咲は正直な感想を漏らした。自分の好みではない。

その瞬間、恐怖よりも好奇心と所有欲が勝った。これはとんでもない掘り出し物を手に入れたのかもしれない。

夕食のパスタを茹でながら、美咲は鏡の前に座り込んだ。まるで新しいSiriやAIスピーカーを手に入れた時のように、次々と質問を投げかける。そして、最も気になっていたことを聞いてみることにした。

「ねえ、私は日本で何番目に美しい?」

心臓が高鳴る。自分は可愛い。それは分かっている。クラスでも職場でも、常に上位にいたはずだ。

鏡は即答した。

『先ほどのご質問同様、明確な順位付けは困難ですが、客観的な顔面黄金比、肌質、体型データから推測しますと、およそ300万位から400万位前後かと思われます』

「はあ!?」

美咲は声を荒げた。300万位? そんなに低いわけがない。

しかし、しばらくして冷静さを取り戻すと、彼女の頭の中で都合の良い計算が始まった。

「待って。日本の人口って1億人以上いるでしょ? ってことは……300万位だとしても、上位3%から5%には入ってるってことじゃない!」

以前、バラエティ番組で「富裕層と呼ばれるのは上位5%」という話を聞いたことがある。

「私、容姿だけで言えば富裕層クラスってこと? つまり、玉の輿に乗れる器ってことよね!」

ショックは一転、強烈な優越感へと変わった。

美咲の口元に歪んだ笑みが浮かぶ。この鏡は、真実を教えてくれる最高のパートナーだ。

第三章:蜜の味

それからというもの、美咲の日課は一変した。

仕事から帰るとすぐに鏡の前に座り、他人の不幸を覗き見るのだ。

「ねえ、いつもブランド自慢してる由美の預金残高教えて」

『……消費者金融を含め、現在200万円の負債があります。自転車操業状態です』

「やっぱり! あのバッグもリボ払いだったんだ!」

「マウント取ってくる既婚者の沙織は?」

『夫は現在、マッチングアプリで知り合った女性とホテルにいます』

「うわ、いい気味。幸せアピールなんてするからよ」

「会社のお局、高橋さんの家での様子は?」

『家族との会話は一日平均3分未満。自室で孤独にスマートフォンを操作しています』

「セクハラ課長の家庭は?」

『娘から生理的な嫌悪感を抱かれており、洗濯物は別にされています』

蜜の味だった。

自分より幸せそうに見える人間、自分を見下してくる人間。彼らの裏側にある惨めな真実を知るだけで、美咲の自尊心は満たされた。

質問はエスカレートし、過去の知人たちにも及んだ。

高校時代の元カレは、できちゃった婚をしたものの、生活感に溢れた冴えない奥さんと狭いアパートで暮らしていた。

クラスのマドンナだったあの子は、男に騙され、今は風俗店で働いているという。

いじめられていた地味な子は引きこもりに。私に告白してきた陰キャ男は、そこそこの企業に入ったものの、いまだに童貞のまま。

「ほら、やっぱり私が一番まとも。私が一番勝ち組に近い場所にいる」

一方で、面白くない事実もあった。

クラスで一番地味だったブスが、東京の大手商社マンと同棲していたり、自分より成績の悪かった子がベンチャー企業の社長夫人になっていたり。

「なんであんな奴らが」

嫉妬で胸が焼けそうになると、鏡は決まってこう言った。

『しかし、この状況が幸福であるか否かは、ご本人にしか分からないものです』

「うるさいわね、データだけ出しなさいよ」

美咲にとって、鏡はただの道具であり、教師のような説教は不要だった。

美咲の婚活にも、鏡はフル活用された。

合コンやデートの後、相手の品定めを鏡に依頼するのだ。

「今日の商社マン、預金いくら? 車は何?」

「趣味は? マザコンじゃない?」

鏡が告げる「真実」は、常に美咲を失望させた。貯金が少ない、隠れた借金がある、実家の母親と仲が良すぎる、変な性癖がある……。

『欠点のない人間など存在しませんが』

鏡の忠告も耳に入らず、美咲は次々と男たちを切り捨てていった。

「私には、上位5%の私には、もっと相応しい完璧な男がいるはず」

そんなある日、美咲はふと思いついた。

「ねえ、あなた、未来のことは分かるの?」

『未来は常に不確定です。この質問をした瞬間にも、無数の分岐が生まれています』

「じゃあ、私の一番可能性の高い未来を教えてよ。誰と結婚して、どんな生活をしてるの?」

鏡は、初めて長い沈黙を作った。

そして、低く重い声で告げた。

『その質問に答えた場合、”死”に繋がる可能性がありますが、それでも聞きますか?』

今まで即答していた鏡が、躊躇った。

「死」という言葉の響きに、美咲は背筋が凍る思いがした。

(私が死ぬってこと? それとも……)

得体の知れない恐怖を感じ、美咲は首を振った。

「……やめておくわ」

まだ20代。未来なんて聞かなくても、きっと明るいものが待っているはずだから。

第四章:残酷な数式

それから、20年の時が流れた。

美咲は43歳になっていた。

彼女の婚活は、失敗に終わっていた。

高卒で入社した会社では、40代になっても平社員のまま。後輩たちが役職につく中、簡単な雑用とお茶汲みを続ける彼女の存在は、もはや「愛嬌のある看板娘」ではなく、「扱いにくいお局」として疎まれていた。

それでも美咲は諦めきれず、週末ごとの婚活パーティーやマッチングアプリでの出会いを繰り返していた。

だが、現実は残酷だった。

20代の頃は選び放題だったはずが、今では選ばれることさえ稀になった。たまに言い寄ってくるのは、介護が必要な親を抱えた初老の男性や、再婚相手を探す子持ちの男性ばかり。

「私には相応しくない」

美咲は自分を慰め続けた。

「だって私は、日本の上位5%の美女なんだから。安売りしちゃダメ」

しかし、そこには致命的な数字のからくりがあった。

23歳のあの日、彼女は「人口1億人」を分母に計算して喜んでいた。

だが、恋愛市場における「価値」を測るなら、分母は「全人口」ではない。

「女性」であること。さらに「同世代(婚活対象年齢)」であること。

これらをフィルタリングすると、分母は1億人から数千万人、さらには数百万人にまで激減する。

その数百万人の同世代女性の中での「300万位から400万位」。

それは上位5%の選ばれし美女ではなく、上位30%から40%――つまり、「中の上」あるいは「ごく平凡」な順位でしかなかったのだ。

若さというゲタを履いていた20代ならともかく、40代になった今の彼女に、その順位を覆す武器は何も残されていなかった。

第五章:答え合わせ

ある孤独な夜、美咲は久しぶりに鏡の覆いを取った。

ここ数年、現実を見るのが怖くて封印していたのだ。

埃をかぶった鏡に映る自分は、目尻の小じわが目立ち、口元は不満でへの字に曲がっている。

「……ねえ、みんなはどうしてる?」

自分を慰めるために、かつて見下していた人々の「今」を聞くことにした。

「ブランド自慢の由美は?」

『借金返済のために夜も働き、その経験を活かしてファイナンシャルプランナーの資格を取得。現在は独立し、年収1000万を超えるキャリアウーマンです』

「……は?」

「不倫されて離婚した沙織は?」

『離婚後、苦労の末に誠実な男性と再婚。二人の連れ子と共に、穏やかな家庭を築いています』

「会社のお局だった高橋さんは?」

『定年退職後、長年の趣味だった陶芸教室を開き、そこで知り合った友人と良好な関係を築いています』

「セクハラ課長は?」

『娘の出産を機に和解し、現在は孫煩悩な祖父として慕われています』

美咲の手が震えだした。

「じゃあ、あの人たちは? 元カレは?」

『子供たちは独立し、夫婦二人で旅行を楽しんでいます』

「風俗で働いてたあの子は?」

『店に来た変わり者の資産家に見初められ結婚。現在は海外に移住し、慈善活動を行っています』

「引きこもりだった子は?」

『オンラインでの仕事を経て社会復帰し、地元のスーパーで店長を任されています。人望も厚いようです』

誰もかれもが、20年の時を進んでいた。

泥沼でもがいたり、失敗したり、傷ついたりしながらも、彼らは「変化」し、「積み重ね」ていた。

止まっていたのは、高みの見物を決め込み、他人を見下していた自分だけだった。

第六章:崩壊と解放 絶望の果てに

美咲は震える声で問いかけた。 20年前に封印した、あの質問を。 「……私の未来は、どうなるの」 鏡は静かに、しかし冷徹に答えた。 『あなたは、他人と自分の幸せを比較し続け、自身の足元を見ることを疎かにしてきました。あなたが23歳の時に思い描いていた理想の未来は、もはや統計的に0%に等しいでしょう』 「そんな……」 『現在の行動パターンのまま推移した場合、今日の繰り返しが死ぬまで続きます。親の介護、自身の健康悪化、そして経済的困窮。誰にも看取られることのない、孤独な老後が待っています』 「やめて! 言わないで!」 『しかし、未来は不確定です。今日、今この瞬間から、他者への関心を捨て、自身の生活を改めれば……』 「うるさい、うるさい、うるさい!!」 美咲は叫び、近くにあった重い花瓶を振り上げた。 見たくない現実。聞きたくない正論。 「あんたなんかいなきゃ、私は幸せな夢を見られたのに!」

ガシャンッ!!

激しい破砕音が狭い部屋に響き渡った。 美しい西洋モダン風の鏡は粉々に砕け散り、床一面に銀色の破片を撒き散らした。 『Wunsch(願い)』と刻まれたプレートが、ひしゃげて転がる。 「はあ、はあ、はあ……」 肩で息をする美咲。やってしまった。唯一の話し相手を、高価なアンティークを、自ら壊してしまった。 後悔が押し寄せようとした、その時だった。

シューッ……。 割れた鏡の破片から、白い煙のようなものが勢いよく噴き出し始めたのだ。 「え? 何? 火事!?」 美咲が狼狽える間にも煙は部屋中に充満し、やがて一箇所に収束していく。 煙が晴れたそこには、一人の男性が立っていた。

人間離れした美しさだった。 肌は淡い薄紫色をしているが、顔立ちは彫刻のように整った西欧系の美青年。身長は190センチはあるだろうか。身に纏った異国風の衣服の上からでも分かる、無駄な肉を削ぎ落としたしなやかな筋肉美――いわゆる細マッチョな体躯が、狭い6畳間を圧迫していた。 男は長い睫毛を震わせ、ゆっくりと目を開けた。その瞳は、宝石のアメジストのように輝いていた。 「……ふぅ。数百年ぶりか。外の空気というのは」 男は低く、甘い声で呟いた。それは鏡から聞こえていた無機質な声とは違う、磁力を持った生身の声だった。

第七章:悪魔の契約

「あ、あの……あなたは?」 43歳の美咲は、恐怖よりも先にときめきを感じていた。目の前にいるのは、彼女が長年追い求めていた「理想」そのもののビジュアルだったからだ。肌の色など、この造形美の前では些細な個性に過ぎない。 男は美咲を見下ろし、優雅に一礼した。 「私は鏡の悪魔。かつて強大な魔術師によってあの鏡に封印され、数百年もの間、持ち主の質問に答えるだけの道具として使役されていた。だが、君が鏡を破壊してくれたおかげで、こうして自由の身になれたわけだ。礼を言うよ、人間」 悪魔は窓の方へ歩き出した。「さて、久しぶりの現世だ。少し散歩でも……」 「待ちなさいよ!」 美咲は叫んだ。とっさに悪魔の腕を掴む。ひやりとした冷たい肌触りがした。 「な、なんだ? 私は礼は言ったぞ」 「礼だけで済むと思ってるの? 私はあんたを買ったのよ。1,000円で!」 美咲の脳内で、高速の計算が弾き出されていた。 この男は悪魔だ。つまり人間ではない。年齢も、年収も、親の介護も関係ない。 しかも、とびきりのイケメンで、数百年生きているなら知恵も力もあるはずだ。 こいつを逃せば、さっき鏡が予言した「孤独な老後」が確定する。 だが、こいつを手に入れれば――大逆転だ。

美咲は悪魔の胸倉を掴み、鬼の形相で詰め寄った。かつて「愛嬌がある」と言われた顔は、今や執念に満ちたハンターのそれだった。 「あんた、さっき私の人生が孤独だの悲惨だの、散々言ってくれたわよね」 「あ、ああ。それは事実に基づいた予測データを……」 「うるさい! あんたのせいで私の心は傷ついたの! 鏡も割れちゃったし、部屋も散らかった! どうしてくれんのよ!」 悪魔は少し呆気に取られた。数百年前、自分を封印した魔術師ですら、ここまで理不尽な剣幕ではなかった。 「……それで? 私に何をしろと言うんだ」 「責任を取りなさいよ」 美咲は悪魔の瞳を真っ直ぐに見つめ、宣言した。 「私と付き合いなさい。そして結婚しなさい。私が死ぬまで、私を世界で一番のお姫様として扱いなさい!」 それは、あまりにも傲慢で、滑稽なプロポーズだった。 43歳の、何一つ持たざる平社員の女が、数百年を生きた高位の悪魔を脅迫しているのだ。

しかし、悪魔の反応は意外なものだった。 彼はきょとんとした後、口元に愉悦の笑みを浮かべたのだ。 (面白い) 悪魔にとって、人間の寿命など瞬きするほどの一瞬に過ぎない。 美咲の残りの寿命は、あと40年かそこらだろう。彼にとっては、午後のティータイムを楽しむ程度の短い時間だ。 数百年もの間、暗闇の中で退屈な質問に答え続けるだけだった彼にとって、この図々しく、欲望に忠実で、生命力に溢れた女の相手をするのは、決して悪い暇つぶしではなかった。 それに、この女の魂は歪んではいるが、その執念深さは嫌いではない。

「……いいだろう」 悪魔は美咲の腰に手を回し、軽々と抱き寄せた。 「え?」 「君の残りの人生、その全てを私が貰い受けよう。どうせ私にとっては一瞬の出来事だ。君が望むなら、その短い時間、最高の夢を見せてやる」 悪魔の顔が近づく。 「ただし、返品は受け付けない。いいね?」 美咲は頬を紅潮させ、しかし勝ち誇った笑みで答えた。 「当たり前でしょ。私を誰だと思ってるの? 上位5%……いいえ、悪魔を従えたオンリーワンの女よ」

こうして、美咲の婚活は予想外の形で幕を閉じた。 傍から見れば、彼女は突然、どこからともなく現れた外国人風の超絶美形な年下夫を連れて歩くようになり、近所の噂の的となった。 彼が人間かどうかなんて、誰も気にしないし、気づきもしない。 美咲は、かつて見下していた同級生たちにも、これ見よがしに夫を自慢した。誰もが羨望の眼差しを向け、美咲の自尊心はこれ以上ないほど満たされた。

鏡が予言した「孤独な老後」は消滅した。 美咲は、人間離れした美貌と能力を持つ夫に溺愛され、最期の瞬間まで、自分が世界で一番の幸せ者だと信じて生きた。 それが悪魔の気まぐれな暇つぶしであったとしても、彼女が手にした「幸せ」の質感に、嘘偽りは一つもなかったのだ。

願いの鏡 知らぬ人

課長・田中の手記:工場の花と、奇妙な秋

俺が勤めるT県の工場は、良くも悪くも昔ながらの日本の縮図だ。見渡す限りの平野、国道沿いのチェーン店、そして鳴り止まない機械の音。 そんな殺風景な職場に、7年前、地元の商業高校から一人の新卒が入ってきた。美咲君だ。

採用の決め手は、正直に言えば「愛嬌」だった。成績は下の上といったところだが、面接での屈託のない笑顔が、人事や地元の役人連中に受けが良かった。男ばかりのむさ苦しい現場には、ああいう「花」が必要なんだ。 入社してからの彼女は、期待通りの働きをしてくれた。難しい仕事は一切任せられないが、コピー取りやお茶出し、備品の管理といった雑用を、嫌な顔ひとつせず笑顔でこなす。俺のような冴えない中年管理職の親父ギャグにも、鈴を転がすように笑ってくれる。

「いやあ、美咲君がいると職場が明るくなっていいな」 俺は本心でそう思っていたし、時折それを口に出した。それが今の時代、「セクハラ」と受け取られかねないことは知っていたが、彼女は他の今時の子とは違う、そう信じていた。 私生活では、思春期の娘が口をきいてくれなくなり、家では居場所がない俺にとって、会社で彼女の笑顔を見るのは数少ない癒やしだったのだ。

ところが、彼女が入社7年目を迎えたあの秋頃からだっただろうか。 美咲君の様子が、少し変わった。

仕事ぶりは相変わらずだ。簡単な雑用をこなすだけ。キャリアアップの意欲もない。 だが、その「笑顔」の質が変わったのだ。以前のような屈託のないものではなく、どこか他人を見下したような、薄ら笑いを浮かべることが多くなった。

給湯室で、彼女が一人でスマホを見ながら(あるいは鏡を見ていたのかもしれないが)、ニヤニヤと独り言を言っているのを何度か目撃した。 「ふふ、やっぱりあの子、借金まみれなんだ」 「課長も、家じゃ嫌われてるくせに」

ドキッとした。俺のことか? まさかな、と思ったが、彼女の視線は以前よりも冷ややかで、俺が何か話しかけても、表面上の愛想笑いの奥に、奇妙な優越感が見え隠れするようになった。 まるで、俺の知らない俺の秘密を握っているような、そんな不気味な目つきだった。

合コンの翌日などは特にひどかった。 「昨日の男、年収は良かったけど、マザコンの気配がしたから切りました」 休憩時間に同僚にそう話す声が聞こえる。彼女の男を見る目は、年々厳しく、そして即物的になっていった。

「美咲君、男はスペックだけじゃないぞ。愛嬌も大事だが、そろそろ中身も磨かないとな」 一度だけ、老婆心でそう忠告したことがある。彼女はきょとんとした後、「課長に言われたくないです」と言わんばかりの目で俺を一瞥し、フンと鼻を鳴らした。 あの頃の彼女は、根拠のない自信に満ち溢れていた。自分は特別な場所にいる、誰よりも優位に立っていると信じて疑わない様子だった。 まさか自宅で、奇妙な鏡相手に「格付けごっこ」に興じているなどとは、知る由もなかったが。


20年後:錆びついた歯車

月日は残酷なほど早く過ぎ去る。工場の機械が何度も入れ替わり、元号も変わった。 俺も還暦を過ぎ、定年延長でかろうじて会社にしがみついている状態だ。

そして、美咲君は43歳になっていた。

20年前、「工場の花」だった彼女の姿は、もうどこにもなかった。 彼女はまだ、同じ部署で、同じ雑用をしていた。だが、そこに「愛嬌」は微塵もない。 若い新入社員たちが、彼女を「お局様」と呼び、陰で煙たがっているのを知っている。彼女がお茶を淹れようとすると、若手は慌てて「自分でやりますから!」と断るのだ。

彼女の婚活がうまくいっていないことは、噂で聞いていた。 週末になるたびに疲れた顔で出勤し、ため息をつく。厚くなった化粧は、目元のシワや口元の不満げな歪みを隠しきれていない。

時折、彼女は昔を懐かしむように、同期や知人の話をすることがあった。 「あの子、昔は風俗で働いてたのに、まさか社長夫人になるなんてね……」 「あの引きこもりだった子が、スーパーの店長? 信じられない」

彼女が下に見下していた連中は、皆、それぞれの人生を泥臭く歩み、時間を積み重ねていた。 止まっているのは、美咲君だけだった。 彼女のプライドの高さは相変わらずで、それが余計に彼女を孤独にしていた。「私はあなたたちとは違う」というオーラを出し続けているが、その根拠となっていた若さという武器は、もう錆びついて使い物にならないことに、彼女自身が気づいていないようだった。

俺自身の話をすれば、あの頃反抗期だった娘も、結婚して子供を産んだ。今では週末になると孫を連れて遊びに来てくれる。「お父さん、昔はウザかったよね」と笑い話ができるくらいには、関係も修復した。 皮肉なものだ。美咲君があの頃、俺をどう見ていたかは知らないが、俺はそれなりに幸せな老後を迎えようとしている。


最後の日の目撃者

俺が会社を去る最後の日、荷物をまとめていると、美咲君がフラフラと給湯室に入っていくのが見えた。 その背中は、以前よりも一回り小さく、そして絶望的に見えた。

声をかけるべきか迷ったが、長年の付き合いだ。俺は給湯室を覗いた。 彼女は、ぼんやりと鏡を見ていた。給湯室に備え付けの、水垢で曇った安っぽい鏡だ。

「美咲君、俺は今日で最後だが、君も……まあ、体に気をつけてな」

当たり障りのない言葉をかけた。 彼女はゆっくりと振り返った。その顔を見て、俺は言葉を失った。 そこには、焦点の定まらない、虚無のような目があった。20年前に見せていた、あの奇妙な自信に満ちた輝きは完全に消え失せ、代わりに深い絶望と、世界に対する呪詛のような色が浮かんでいた。

彼女は俺の顔を見ているようで、見ていなかった。 「……うるさい」 彼女はポツリと呟いた。 「え?」 「うるさい、うるさい! みんなして私を馬鹿にして! 私は選ばれた人間のはずなのに! なんであんたみたいなのが幸せになって、私がこんな……!」

突然のヒステリーに、俺は後ずさりした。 彼女は近くにあった湯呑を床に叩きつけた。ガシャン、という音が狭い給湯室に響く。 若手社員たちが何事かと集まってきた。

「もういい! 何も聞きたくない!」 彼女は叫びながら、会社を飛び出していった。それが、俺が彼女を見た最後だった。

後で聞いた話だが、その日、彼女は自宅アパートで錯乱し、部屋中のものを破壊して泣き叫んでいたらしい。近隣住民の通報で警察沙汰になりかけたそうだ。 彼女の部屋からは、粉々に砕け散った、やけに凝った装飾の鏡の残骸が見つかったという。

俺は工場の門を出て、振り返った。 美咲君。君は一体、何を見て、何と戦っていたんだ。 20年前、君が俺を冷ややかな目で見ていた時、君は自分だけの「真実」を見ていたつもりだったのだろう。 だが、俺たちが泥にまみれて積み重ねてきた20年という月日こそが、一番残酷で、確かな「鏡」だったのかもしれないな。

秋風が吹き抜け、俺はコートの襟を立てた。彼女のいない工場は、明日もいつも通り稼働するだろう。