許し

小さい頃、経験した経験したことがないだろうか

ある人が悪い行いを行っていて
その悪事がばれた際に、学級裁判が行われる

一つの悪事が暴かれ、まるで正義が実行されたかのような話だが
その時の解決方法の9割9分は、相手を許してあげましょう
といった話で解決しようとする話だ
こうなった場合、皆がその場で許さなければいけいないような空気になる
そして許して話は解決のように見えるが
実際には、その悪事を働いた人間は、改心することもない
その場だけで反省したふりを行い、ほとぼりが冷めたら、
また悪事を働きだす・・・・

だが、その場その人間を許さなければ、
まるで許さなかった人の心が狭いように扱われる

実際、学級裁判では、一切悪は裁かれない
それどころか、悪に対して、逃げ方を学ばせてしまう。

もし、その場の人になって判断を迫られた人に言いたい
その場で人を許すか、許さないかを迫られた時には
許した相手が、許された後に、平気で舌を出していることを想像し
それでも許せる場合を除いては許さないほうがいい

かといって許さなくでも、相手に何も罰則はないだろう
学級裁判、学校という空間なんてそんなものだ

ジャンプ

先日キン肉マンが載っていたので、久しぶりにジャンプを購入しました。

ちょうどワンピースも休載していたということもあり
わかる漫画がほぼありませんでした
それでもせっかく買ったので、読んでみたところ
少しも話が分からないものばかり・・・・・
そればかりか、ほとんどおんなじジャンル・・・・
さらに言うと、絵柄もほとんど一緒・・・・・・

現在ジャンプは年々売り上げが下がっているというが納得である
私のような変りものを除けば、
どの漫画雑誌もいうれ読者が離れていくのは宿命である
それは、雑誌の質という問題でなく、趣味趣向の話である
ほとんどの人間は10年も生きていれば趣味趣向が変わっていくものである
仮に漫画が好きであったしても、
好きなジャンルや作風は変わっていくものである
なので、週刊雑誌というものは、まったく知らない人が読んでも
入り込んでいくように雑誌を作るでべきである。

それ対して今のジャンプは、それができていない
連続で読んでいなければ理解できない、引き込めない作品ばかりである
続きものの作品であっても、その一話の中に起承転結をいれなければならない
しかしそれができている作品はほぼなかったように思われる
少なくとも、半分はこれができているべきである
少なくともファンが固まっていない新人は絶対に必須だ

さらに絵柄、現在では多くの漫画家がデジタル化をしている
そして各ツールが進化しており、現在多くの漫画家は
背景を写真でとって取り込みをしている、
ひどい時は、キャラクターの絵もほとんど取り込んでいる
それ自体は全く悪いことではないのだが、
デジタルから取り込んだものと、アナログで書いているものが
うまく融合できていないのだ
人によっては基本画力がないのに、背景だけデジタルを使っているので
絵柄が一つの漫画のなかでちぐはぐになってしまい
非常にごちゃごちゃして読みにくい漫画になってしまう
あれだったら、背景がないほうがましなレベルである

とジャンプの質が大幅に下がってしまっている・・・・
昔私はジャンプが大好きだった
小さい頃は毎週ジャンプを買うことができなかったが
それでもたまにジャンプを読んだときはワクワクしながら
端から端まで読んだものである
おそらく今のジャンプを子供の時の私に渡しても喜ばないだろう

このままの勢いで続けるのであれば、
もう「少年」という言葉は外したほうがいいだろう
むしろ、ジャンプ事態のブランドを捨ててしまったほうがいいだろう
このまま続けても昔の栄光に泥を塗るばかりである

まだまだ、世には面白いマンガがあふれている。
変わったのは、漫画でなく世の中だけだ
この世の中に乗っかる商売も大事だが
面白い漫画雑誌をを是非作り続けてほしいものである

 

キチGUY

人間生きていると、絶対にキチガイとぶつかることがある。
このブログでもBLISSの役員や、キュービックソリューションズの社長やら
広真アドの社長やら、そこら辺のジジイやら、
色とりどりなキチガイを紹介してきた
人生あれこれやってきて、思うのだが、
キチガイとすれ違わなかった、時期というのはなかなかないもので
どう生きてきても、常キチガイが周りにいる
今も周りにキチガイがいて、頭がおかしくなりそうだ

私なりの持論で、キチガイの対策としてのベストな回答は
「基本無視」
これが、一番楽で、間違いない回答だと持っているが
多くの場合は、キチガイはどこにでもいるので
無視できないポジションにも存在してしまっているのだ・・・・

そんな中、先日もキチガイに絡まれ悩んでいる
今回遭遇したキチガイはヒステリークレーマー型のキチガイで
自分の主張が通るまで、ひたすらごね続ける人だ

キチガイも色々いるが、一番たちの悪いタイプは
自分の主張が通るまで、ひたすらずっと主張をやめないタイプが面倒くさい
というのも、そのタイプは色々なところに、自分の主張を続けるので
からまざる負えない人の場合は、無視したとしても、
いずれ自分のところにきてしまうのだ
片っ端からなげまくると、なげられた人の中に事なかれ主義がいるので
面倒をこちらに押し付けようとされるのだ
つまりに、逃げても無限地獄となる。

そういう屑にからまれると、余計なストレスばかりが溜まって
常識人はひたすら、精神を消耗することになってしまう・・・・

早く、こういった人類がいなくなればと願わずにはいられない・・・・・

特に落ちもないですが、これで悩んでいる人達にいいいたいのが

三十六計逃げるに如かず

SNS

facebookもTwitterもやっていない私だが、
すごい昔に、mixiをやっていた時があり
その時によくわからない人に出くわすことがあった

当時mixiの特徴といえば、友達の友達へとリンクをたどっていき
色々な人の情報をたどって新たなコミュニティを探すことができるのが特徴だ
現在は違うが、当時会員から招待してもらわないと
入会することができず、特定の人たちだけでやるコミュニティだったのだが
それでも非常に多くの会員数がおり
基本的には投降した内容は不特定多数の人間の目にさらされることになる
ただ、特定の人間以外にロックすることもできる。
といったシステムの中で、私もリアルな友人のリンクをたどって
色々な人たちの日記を見て楽しませてもらった

そういったことを楽しむ中、色々と連携しやすいように
足あと機能という、訪問して聞きてくれた人の情報を見せてくれる機能があった
それによって、自分に興味がありそうな人がわかり、非常に面白かった
そこで、よくわからない人々がいたのだが
その足跡で見に来た人をいちいち細かく気にする人
さらに、足あとを消す機能もあるのだが、わざわざ消す人までいた
不特定多数の人とコミュニティをすることが前提になっているツールで
いったい何をそんなに気にしているのだろうか、
気にしているのであれば、そういった、SNS自体をするべきではないと思う
クローズドなコミュニティツールはいくらでもある

気にしすぎな人は私のように匿名でブログでもやるべきだ

もしくは、まったくやらないべきだね

老害2

本日は平成最後の日でしたが、なかなかむかつくことがあったので
ブログにしたためたく思います。
クソまみれブログにふさわしい、平成最後の記事です。

本日ちょっと電車で遠出していた時のこと、
荷物も多く駅の乗り換えで、エレベータに乗った時
エレベーターの閉めるボタンを押したときに、
ジジイが強引に乗ってきて、ドアにはさまってしまった、
それでもなんとかエレベーターにのりこみ
「乗ろうとしてるんだから、何とかならねんのかよ」
と独り言のようにブツブツ言っていた、
どんなジジイなのかなと、チラチラ見ていたところ、
明らかに私をじっと睨んでおり、
ああ、これは私に文句を言っているのだなと気づいた
連れもいたし、次のスケジュールもあったので、
面倒ごとは御免だったので、適当に謝罪しておわらした

当然のことながら、終わった後は心の中では怒り一色
ただ、特にトラブルにならなかったので良しとした

ちなみに、そのジジイだが、胸には東京オリンピックの徽章が
お上りさんが、お土産で買ったのか
ボランティアの人なのか、それとも、正式な委員会の人なのか
にしても、こういう老害がオリンピックにかかわっているとは納得である

急にオリンピック批判になるが、現在の日本でオリンピックをやる意味がない
経済的にも安定というより、最悪衰退期に入っている日本
こういったカンフル剤でなく、経済面では、
新しい一過性ではないビジネスが必要なのだ
にもかかわらず、一部の利権関係者とノスタルジジイがやりたがっている
本当に税金の無駄遣いとはこういうことを言うのだろう

さて、心怒りが落ち着き、最寄り駅に着いたとき、
エレベーターに若い人が並んでおり、私は大荷物だったため
若い人たちに、若者のはエレベータを使うなと新しい怒りがわいた
そして、その怒りは上のジジイのエゴと何ら変わりないことだと思ったら
自分の中にも老害が潜んでいることを理解し、なんとも情けなくなった

皆の心にエゴが住んでいて、そのことを常に心に意識しなおし
平成の終わりとともに、新しい希望を明日に臨む

OOOOOOOOOOOOOOO

以前の投稿でも書いたが私は中小企業の社長が嫌いだ
私も昔から嫌いだったわけではないのだが
いつもの事件をへて嫌いになっていった
ふと先日その話をおもいだしたので
そのことを書こうとおもう

当時していた仕事は大手の会社に対して下請けの会社を紹介する仕事をしていた
大手から下請けにといっても
かならずしも大手が上で、下請けが下とはおもっていない
請けた仕事は責任をもってうけるのが契約で
それ以上でもそれ以下でもないと思う

そんな仕事をしていたある日のこと
ある仕事で急遽下請けがドタキャンしてしまって非常にこまっている案件があり
自分もその代替を探しを頼まれていた
そのため各下請け会社に打ち合わせをセッティングするときに基本断らないとこを前提に紹介すると
仕事をうけるかどうかの初回打ち合わせの際に仕事を断ってほしいと
打ち合わせには担当者がくるため
請けれる仕事かどうかを判断できるはずなので
基本的にこの話をまとめておけば問題ないはずだった
その案件である会社と打ち合わせをセッティングし
初回の打ち合わせも終わり、相手の会社を出たタイミングで
担当者にも問題ないかということを確認し
その場で問題ないという話で後日
元受の最終回答だけをもらうこととなった
その後無事元受からOKをもらい早速仕事にうつってもらう依頼の電話をしたことろ
担当者がやっぱりやりたくないというトンでも理由で断りを入れてきた
勿論契約前なので訴えることができない
というなかでクレームをあげたところ
担当者は電話に出ずに、営業担当も歯切れが悪い
流石に話にならないので上をだすようにいったところ
そこの社長が電話で連絡してくることとなった
そこで改めて理由を聞くのだがとても社長がいうような発言ではないような適当な回答が来る
「いやー、本人がやりたくないっていってるんだからしょうがないでしょう」
といわれこちらも納得いかないので
「子供の言い訳みたいなこと言わないで下さいよ」
といったところ急に不機嫌になり
電話を切ってしまった、その後営業と連絡したところ
社長はむかつくので電話に出たくないそうですとのこと
中小企業にはこんな適当に仕事をしている社長がゴロゴロしている
本当に困ったものである

選挙2

エリアにもよりますが、本日は多くのエリアで選挙でした
私は、ここ最近選挙に対してむなしくなっている、
というのも、だいたい、受かる人間というのは事前にわかってしまうからだ
事前にわかること自体はどうでもよく
私がむなしくなるのは、予測できる理由だ
簡単に言えば、その人物の過去の行いにかかわらず
単純に知名度の高い人間が受かるだけということに気づいてしまったから

一番わかりやすいのは、東京都知事だろう、ここ最近で受かっているのは
芸能人か芸能人もどきのTVによく出る政治家ばかりだ
ひどいのになると、過去に不正を犯していたにもかかわらず
問題なく受かってしまう・・・・・・・・禿のことですよ

となると、よくいわれる、選挙に行っても何も変わらないから行かない
と思ってしまうのも仕方ないことでは思ってしまいかねない
さらに言うと、今政治に興味がない人が選挙に行っても
おそらく、現在の知名度だけで受かるデータがより偏りがでてしまうだけだろう

そんなことばかりを考えて投票に行かないのは
もったいないので当然毎回選挙に行く

そこで数年前から、一番いい投票は何だろうと考えた
当然、知名度が高くても優れた政治家もいる
ただ、そういった人は、票をいれなくてもうかる
わざわざ入れてあげなくてもいいだろう
では、票の入らなそうに入れてあげればいいのか
単純に無能な奴は大勢いる・・・・
と色々考えた末、現在ある方法とっている

立候補者一覧の無所属で年齢の若い人のHPを端から見て
一番若くてまともそうな人にいれている

単純に若い人に入れてあげようと思ったこともあるのだが
過去出馬している若い人をみていると、
だいたい何にも考えていない人が多かった
主張は、大きいことばかり言っていて、具体的な解決策がなかったり
あれもこれも片っ端から書いていて、結局何がしたいのかわからない
そもそも、見せ方が下手で、とても政治を任せられるとは思えない
過去の感覚でいうと、少なくとも30代後半ぐらいにならないと
まともな主張をしている人は少なかった

そういった最低限のラインをクリアしている人に
受からなくても、あなたに票を入れてくれる人がいるから
是非次回も出馬していってねとのメッセージとなると信じている

政治家の皆さん、こんな人もいるので、
いい加減拡声器で名前を叫ぶだけの選挙はやめにしませんか
少なくとも、私は過去に選挙カーで名前を聞いたから投票しよう
と思ったことは一度もありません。

ただ、ぼけてそうなジジババは
どっかで聞いた名前と票を入れてしまうのかもしれませんね

早く選挙を変えていってほしい

パクリ2

先日ネットで話題になっていたのだが、勝海麻衣という銭湯絵師が
盗作問題でいろいろやり玉に挙がっていた

こういう問題が起きるとどこかの暇人が
過去の作品も盗作だと騒いで、あれやこれや難癖をつけてくる

この手の話でいつも私が思うのは
芸術作品においてモチーフが似ているのは悪なのかということだ
過去の世界から芸術の作品はありとあらゆることが試されている
単純に実在の世界をモチーフに写生するのであれば
過去に誰も描いたことのない作品など存在するのであろうか
おそらくもう手つかずの風景など存在しないだろう

想像の世界においても、一人が思いつくものというのは
ほとんどの人が思いついてしまうだろう
何か一つのことにインスピレーションがわいたとしても
それは、多くの人もそれを見て同じように完成を働かせるだろう

実際に勝海麻衣さんの比較画像を見てみたところ、
どれもパクリというより、そんなに目新しくないモチーフではないので
似たような画像を探せばいくらでもでてくるといったレベルのものだった
どこの暇人だか知らないが、ああいった比較画像をつくっている人は
よほど日常にうっぷんがたまっているのだろう
あれをたたいて悦に浸っているとは哀れとしか言いようがない

以前にも佐野研二郎さんというデザイナーの方も
東京オリンピックのエンブレムをコンペに入賞した後
ベルギーの劇場にあるロゴと類似していると批判を受けた
恐ろしい世の中である、似たようなものを見つけられただけで
仕事全てを否定されて、その後、過去の仕事内容まで
全て強引に似たようなロゴを片っ端から紐づけられて
盗作犯人扱いされて仕事を失うことになる・・・・
もうデザイナーという仕事は成立できない

似たような話で音楽の話もある
以前ある友人が、オレンジレンジのパクリ疑惑と嬉しそうに話していた
とにかく、オレンジレンジの曲はパクリばかりで、
まったくオリジナリティがないと
さらに本人たちも進んでパクリをしていて
次のパクリの題材をひたすら探していると
真実かどうかもわからない、ネットの情報をうのみにして楽しそうに話していた

今、 勝海麻衣さんのネットニュースを真に受けているあなた
あのニュースを人におもしろそうに語っているあなた
何にも知らないのに、勝海麻衣さんを否定しているあなた
そんなことはもうやめなさい、何も生みだしませんよ

罪と罰

先日、子供を殺した親のニュースをやっていた
殺した理由は三つ子を生んだが、育児を手伝ってくれる人もおらず
子供の中で、癇癪を起す子供を思わず殺してしまった・・・
世間では彼女を同情して減刑の署名が3万も集まったそうだ

私も正直言って、彼女の境遇には非常に同情する
だが、彼女は減刑されるべきではないと思う
そもそも、彼女が有罪になったということは、
彼女の精神状態は普通であったということだ、狂うことができなかったのだ
そんな状態の彼女を無罪にしたらどうなるだろうか

無罪になれば、彼女はまた元の日常に戻る、つまり子育てにもどるのだ
三つ子の一人を殺したということは、あと二人子供はいる
双子だって、一般の子育てからすればそうとうプレッシャーがかかる
元のプレッシャーがかかる状態にもどり
彼女は日々、自分の手で愛する子供を殺してしまったことを思い出すだろう
日々自分の罪を思い出し続ける日々は拷問同然だろう

それなのであれば、せめて別のことで忙しくし
子供のことを忘れさせてあげるのが、彼女にとっての救いになるだろう

彼女は元の生活に戻ることはないだろう
せめて彼女に少しでも罪が薄れるよう、罰を与えることを望む


結婚率

年々結婚する人の割合が減っていると、よくニュースや世間が騒いでいる
結婚しなくなった理由でよく聞くのは
結婚するメリットがなくなったという話を耳にする
私は、どうにもその真意はここにないのでは、ないかと思う

逆に考えてみたとき、昔の人はメリットがあったから結婚したのだろうか
もちろん、政略結婚や家柄同士の結婚というのは、今以上に多かっただろうが
それでも、結婚した人の割合からすれば微々たるものであったと思う
それに対してそれ以外の理由で結婚した人達の理由の多くが
メリットがあったとは思いにくい。

例えば、よく上がる話として、家事負担が現在のほうが楽になったという話だが
昔の人は家事をしてくれる人が欲しくて結婚したのだろうか?
確かに現在に比べて家電も少なく、コンビニもない時代だが
逆に女性の面倒を一生見ていかなければいけないという観点からすれば
現在以上に結婚とはハードルの高いものだったのではないだろうか
そう考えると、結婚のデメリットは今以上に大きかったのではないだろうか

そして、この議論の時にいつも抜けていると思われるのは
結婚は本来一人でするものではないということだ
男がどう思うとしても、実際女性が同意しなければ結婚はできないということだ
その点で、女性の権利は年々大きくなっている
これによって、昔に比べて、結婚を拒否する権利ができてしまったことにより
結婚率が下がっていったのでは思う

しかし、それ以上に思うことは、結婚に対しての感覚が
昔と変わってきているのではないだろうか
現代の置いて、大体の人は小さいころから、TVか本を目にしている
そして、それらには自由な恋愛、情熱的な恋愛
プラトニックな愛、純愛、愛のあふれる結婚、本当に好きな相手と結ばれる
そんな思想の恋愛像であふれている

そんな中、昔から、実際にそんな恋愛をしていた日高どの程度いただろうか
はるか昔より、打算で結婚した人のほうが、おおかったのではないだろうか
にもかかわらず、誤った幻想を子供のころから植え付けられた人たちは
結婚に対してただ理想ばかりを求めて、
本来の結婚像を忘れてしまったのではないだろうか

本来の結婚は愛よりも、家と家の結びつき、子孫繁栄の効率のいい
家庭同士の吸収合併これが大半の結婚んだったのではないだろうか
それよりも自由恋愛を優先してしまえば、
結婚率が下がってしまうのはしょうがないのではないだろうか

もし、結婚にメリットや理想の恋愛像を思う人がいたら今一度考えてほしい
本当に理想の異性などこの世にいるのか
いたとして、あなたのことを好きになるだろうか
あなたはその愛にこたえる覚悟はあるのか

メリットだけで結婚を考えている人は考えてほしい
あなたは、そのメリットを相手にあたえることができるか
相手の感じるメリットはなんなのか
あなたが求めるメリットをくれる人は、この世にいるのか

別に無理して皆、結婚してほしいとは思わない
したい人だけすればいいと思う
ただ、結婚しない理由に、メリットがないからとは言ってほしくはない
日本で子供を作ろうと思うなら結婚していないとうまくは生活できないし
子孫繁栄、遺伝子を残すことは生物として最も大事なことなのだから

これを書いている私はどうなんだと思ったかた

そんな周りを気にしないで、あなたの本当の気持ちだけを考えてほしい
未来のあなたにどうしてほしいのか聞いてほしい

そこに答えがきっとある


大学入試詐欺

1月から2月は入試のラッシュで
幼稚園~大学までの様々な範囲で入試の話を聞いていた
私のような留年した挙句に四流大学に入ったような
落ちこぼれからすればいい思い出はまったくない
そんな中でふと不思議な話を思い出した。

当時様々な大学を受験したのだが、多くの大学の試験で共通する注意があった
大学構内の外で、合格発表の郵送サービスをする人の話は聞かないようにと
色々文言は違うが大体そんな話だった
全ての大学ではないが、ある程度以上の規模の大学になると
確かに、多くの受験会場の外にそういった業者がいた
私も、あの注意文がなければ、思わず契約してしまったかもしれない
ただ、どの大学でも、試験説明文にもかいてあるし
会場のアナウンスでも言っているので
そこまで言われれば、いくら世間知らずだった当時でも
それに対し、ひっかかることはなかった

ただ、面白いもので、あれだけ説明を受けても、引っかかっている人がいるのだ
敵もさるもので、語り口上でまるで大学の関係者かのように呼び掛けていたり
桜かもしれないが、常に一人、人がついていて
一人引っかかると、何人かもあれっとついていってしまう
どんな詐欺でもそうだが、必ず引っかかる人いるものである

詐欺と書いたが、ネットで見る限りだと
一応、サービスも実際に行っているようで
一概に詐欺とはいいがたいようで、この集団を規制はできないようだ・・・・

結局は自分で防衛するしかないのである、新入生の皆さん気を付けて

本当にこの世はクソまみれだ

もんじゃ 大木屋

鉄板焼きで有名なもんじゃ大木屋に先日行ってきました

丸々した牡蛎の丸焼き

肉のエアーズロック

どれも見ごたえ豊かな非常においしい食事でした

ただ、ひとつひっかかったのは
この店のメニューですが、完全に固定されているということ
普通これだけこだわりの食材を使って入れば
季節ごとにメニューを変えたり
色々とラインナップを手を変え品を変え
飽きさせないようにするのが普通だと思います。
にもかかわらず、有名になってから何年も同じメニューにしています。

しかも親父はこだわりがある風にふるまっているのに
実際工程をみていると、あまり、ちゃんとできているとも思えない
店員も中国人で、適当にやっているように見える

ここで私はある推測をしました
ここから下は私の勝手な想像ですので真に受けないようにしてください。

まず、この店の入り口にあるポスターを見かけました
公明党のポスター
さらにこの店が有目になったきっかけは寺門ジモンが紹介した
この二つのキーワードをつなぐカギは・・・・創価学会

ある日売れないもんじゃ屋の親父を救うために
食道楽で有名な寺門ジモンが一肌脱いだのではないだろうか
対して、調理技術がない親父でも切り盛りできるように
ただ焼くだけの料理でよく、かつお客の目を引くような
見た目の派手さと、味のわかりやすさだけで構成されたコース
そして有名人の宣伝

これだけそろっているれば、よっぽどの馬鹿でなければ
ビジネスを軌道に乗せることができるでしょう

ただ、私のこの店の感想としては確かにおいしいけど、
もう一回行ってみたいほどの店ではありませんでした
人を楽しませようとして連れて行くのはアリだと思いますが
自分が楽しもうと思っていくには2回楽しめる内容ではありませんでした

一回行くならおすすめですよ

生活の進歩

先日ニュースで出ていたが
今、小学生に学校のスマフォ持ち込みの是非を国で検討しているらしい

当たり前の話だが、世間は賛否両論だ
私の周りでは、小学生どころか、中学生からスマフォを持たすか悩んでいたのに
珍しく、国から積極的に進歩的な展開だ

そんな、珍しく国が先進的な考え方をしている中ではあるが
私は、小学生の学校にスマフォを持ち込みさせるのは反対だ
理由は三つある

・スマフォに遊ぶ機能が多すぎる
・現場の管理が煩雑すぎる
・もっと他にやるべきことがある

まず最初に大前提だが、スマフォを持たすことによって
セキュリティ面でメリットがあるという人いるが
それ以上にスマフォには遊ぶ機能が多すぎる
仮に授業中スマフォを触れる状況だったとして
おそらく、子供にはゲームを我慢することができないだろう
実際にはもっとひどく、いたずらなどに使うケースも多く
子供にとってプラスよりマイナスが多いだろう

次に現場の管理が煩雑になるだろう
スマフォ自体はピンキリだが、ある程度高価なもので
当然盗難問題を管理するのは難しい
さらに、上でも書いたいたずらなども横行し
おそらく、現場の教師はとても手が回らなくなるだろう

最後に、スマフォの前にもっと前段階がいっぱいあるだろう
例えば、未だに公立小学校ではシャーペンの持ち込みが許されていないのに
何弾もすっ飛ばして、スマフォをやるべきでないだろう

誰が思いついたのか、急にろくでもないことをする

将来の夢

最近テレビで、子供向けの歌を聴いていた時に

大人になったらOOになりたい、将来の夢といったキーワードを耳にした。

何とも耳の痛い言葉のようだが、
正直言って、自分が子供のころ何を考えていたか、ほとんど思い出せないので
自分は子供の頃思い描いていた大人になれているのか

判断を下すことができない。

自分の今の人生には満足しているが、
子供の頃は、おそらく空想的な将来を考えていたかと思うので

はたして、子供の頃の自分が今の自分を見たら何を思うのであろう

すごいガッカリするかもしれないし、喜ぶかもしれない、

全く想像がつかない

そして、今の自分も将来の夢がある
はたして、20年後の自分はどうなっているのだろう
20年後の自分は今の自分を思い出せるのだろうか

素振り

私はこの世で努力というものが非常に重要であると考えている

だが、努力には質があるということを思っている
例えば、バッティンングの練習をするときにひたすら素振りをすることに意味があるだろうか
もちろん、素振りという練習方法自体は意味がある
ただ、ひたすらに素振りをしていくことに意味はないと思う
極端にいうと、素振りより、実際にボールを打ったほうが効果が高いだろう
どういったボールを打つかのイメージもないのに
ひたすらにバットを振っても効果はあまり現れないだろう
ただ、それを理解し上での素振りであれば
只バットを振るより効果があるだろう

というより、すべての練習自体がそういったものがあるのではないだろうか
バッティングの素振りであれば、球が当たるイメージをできなければ
いくらバットを振っても対した効果が出ないように
どんな練習でも、その練習からどのような結果が生まれるかを
イメージし続けなけなければ練習としてはいまいちなのではないだろうか
そもそも、そういったイメージを保てないと、
練習自体にモチベーションを保っていけないだろう

こういった練習に関してのイメージを言われなくても
できる頭の回転が早い人はきっと何をやってもうまくいくのだろう
ただ、いわれてもそれでもイメージできない鈍い人もいる
私は後者の人間だが、それでも、練習すれば多少成本効果はでる

練習できる時間は限られている
練習に燃やせる情熱も限りがある
効率的にできないことも多い
それでもやり続けなければ、置いてかえてしまう。

世の中は残酷だが、ちゃんとどこにでも道が用意されている
あきらめずにやるしかないね